
高橋御山人の百社巡礼/其之八拾弐 兵庫・出石 太陽光妊娠と新羅の王子
太陽光で妊娠して生まれた赤玉の化身の姫を追い、新羅王子・天日槍命が渡来する神話
カートのアイテムが多すぎます
カートに追加できませんでした。
ウィッシュリストに追加できませんでした。
ほしい物リストの削除に失敗しました。
ポッドキャストのフォローに失敗しました
ポッドキャストのフォロー解除に失敗しました
Audible会員プラン 無料体験
-
著者:
-
高橋 御山人
このコンテンツについて
こちらもおすすめ
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾四 秋田三湖 古の龍伝説が未来を拓く
- 田沢湖・十和田湖・八郎潟の「秋田三湖」に伝わる龍伝説に、明日への展望を見出す
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
秋田県にある「秋田三湖」と呼ばれる三つの湖。その全てに龍の伝説が伝わっている。まずは、田沢湖の「辰子姫」。このあたりに住んでいた人間の娘・辰子は、永遠の美を求めて観音菩薩に願を掛け、お告げにより山中の泉の水を飲んだ。しかし喉が渇いて際限なく水を飲み続け、龍の姿に変ってしまった。そこで仕方なく泉を広げて湖とし、そこに住んだ。これが田沢湖だという。湖畔のその泉の近くには、辰子姫を祭る御座石神社が建っている。青森との県境にある十和田湖にも、近くに住んでいたマタギの若者「八郎太郎」が、掟を破って仲間のイワナまで食べてしまい、川の水を飲み続けて龍となり、十和田湖を作って住んだという伝説がある。そこに、熊野で修業を積んだ山伏「南祖坊(なんそのぼう)」が現れる。南祖坊は「草鞋が切れた場所が終の棲家となる」という神託とともに鉄の草鞋を授かり、その切れた場所が十和田湖だった。南祖坊はここで龍に化身して八郎太郎と戦い、勝利する。これが十和田神社に祭られる青龍権現である。敗れた八郎太郎は西へ逃れて湖を作って住む。これが八郎潟であり、湖岸の八郎神社に祭られている。その八郎潟を戦後干拓して作ったのが大潟村で、入植した村民により建てられた大潟神社にも、八郎太郎は祭られている。古の龍伝説を辿り、明日にまで展望を広げた未来志向対談。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾 不撓不屈!! 神代より続く紀伊の精神
- 神代より現代まで続く紀氏の祭祀と、驚くべき紀伊の「まつろわぬ」不屈の精神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
和歌山市の日前・國懸神宮(ひのくま・くにかかすじんぐう)は、紀伊一宮。天照大神の天の岩戸隠れの際に作られた三種の神器の一つ・八咫鏡(やたのかがみ)に先立って作られた二枚の鏡を祀るとされ、日本書紀にも載る、非常に古く格式の高い神社である。その祭祀は、土佐日記の作者・紀貫之を輩出した古代豪族・紀氏により、神代より今に至るまで続けられている。その境内にある中言神社(なかごとじんじゃ)に祀られる名草姫命(なぐさひめのみこと)は、紀氏の祖神の一柱であるが、地元には、名草姫命は日本書紀において神武天皇に逆らい討たれたという、当地の首領・名草戸畔(なぐさとべ)のこととする伝承がある。「名草」とは、紀三井寺の建つ名草山に見られるように、当地の古名であり、「戸畔」とは、女性シャーマンを意味するという。名草戸畔は、討たれた後に首、胴、足の三つに分断されて葬られたとされ、それぞれの地に神社が建っている。頭を葬った地、海南市の小野田には宇賀部神社(うがべじんじゃ)が建つが、その地の名を負う小野田家からは、第二次大戦中フィリピンに赴き、三十年近く潜伏して帰還した、小野田寛郎(ひろお)氏が出ている。古代から現代へ続く紀州の「まつろわぬ」系譜を読み解く。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾壱 高知・香美 いざなぎ流に見る日本人本来の心象
- 「いざなぎ流」は本来日本人にとって「普通」のものだったと、京極夏彦氏は指摘する
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 34 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
毎年高橋御山人が足を運んでいる、民間呪術「いざなぎ流」が伝わる、高知県北西部山間の物部村(現・香美市)。毎年、高知県立歴史民俗資料館が、研究ツアーを開催しているが、平成二十八年は、資料館でも「いざなぎ流の里・物部」という企画展を開き、多数のイベントを開催した。例年通りツアーも行われ、今回は、まだあまり研究の進んでいない、物部北部の上韮生(かみにろう)地域を中心に巡った。ここでは、魚を捕る為に淵に毒を流し、祟りによって山崩れが起き滅びた集落や、鍛冶屋が熱した大金槌を池に投げ入れて退治した、人々に恐れられた大蛇など、水神の伝承が目立つ。その大蛇伝説の池がある神池の集落には、かつて七堂伽藍の大寺院があったというが、現在境内に残るのは大日寺と王子神社のみである。その間の広場では、かつていざなぎ流の呪術師・太夫による「大山鎮め」の儀式が行われていた。神道、仏教、陰陽道、修験道が混ざり合っていたいざなぎ流らしさの残る場所である。その様相は現代からすれば「ガラパゴス」のように見受けられるが、かの小説家・京極夏彦氏は、それをガラパゴスと感じる方がおかしいのだと指摘する。実は今回、ツアー翌日に、香美市主催の小松和彦氏や京極夏彦氏の講演も行われ、御山人も参加したのである。「辺境の呪術」に、「日本人の本来の心象」を見る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之六拾八 京都へ遷された壱岐や大隅の月の神
- 数少ない月の神を祀る有力な神社が京都に二社 そのルーツは壱岐や大隅にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
天照大神、スサノオノミコトとともに「三貴子」の一柱でありながら、神話上の事績が乏しく、祭神とする神社も少ない月の神・月読尊。その数少ない中でも有力な神社が、京都に二つある。一つは京都市西京区の月読神社で、現在は近隣の松尾大社の摂社である。この神社の由来は日本書紀にあり、任那への使者に神託が下りて祀る場所を求めた為、朝廷が現在地付近を奉ったという。その祭祀は壱岐氏によって行われたが、壱岐氏は九州と朝鮮半島の間の対馬海峡に浮かぶ壱岐島を出自とする氏族で、海人であった。そのため、この月読神社には、内陸であるにも関わらず、今も船に関わる神事が伝わる。そして、壱岐島にも月読神社があり、ここから京都に勧請されたものと見られている。今一つは、京都府南部の京田辺市大住(おおすみ)の月読神社である。こちらは南九州のまつろわぬ民・隼人が、朝廷に従属した後、当地に移住して来た際に、彼らの神を移したものとされ、大住という地名も、彼らの故郷である鹿児島の大隅に由来するという。彼らが伝えた隼人舞は、能のルーツの一つともなった。その隼人舞は一時途絶えたが、大隅一宮・鹿児島神宮に伝わる隼人舞を元に復元された。鹿児島神宮周辺は隼人が朝廷と戦った激戦地で、彼らを弔ったという隼人塚もある。なぜか神社に祀られることの少ない、月の神の謎を解く(カバー画像イラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾九 岩手・衣川 命懸けで詠む歌の真髄
- 黄金都市・平泉の前身、衣川 戦人も詠む「和歌」とは何か?「まつろわぬ」芸術論!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
中尊寺金色堂を抱え、「黄金の国ジパング」の由来ともなった平泉。奥州藤原氏が開いた、京にも匹敵するこの一大都市の北を、衣川という北上川の支流が流れている。その合流点近くには、芭蕉の「奥の細道」でも有名な、源義経最後の地・衣川館(高館義経堂)があるが、古くはこの衣川こそが朝廷の勢力圏と蝦夷の勢力圏の境界であった。そして、流域に広がる旧衣川村(現奥州市)には、奥州藤原氏のルーツである、安倍氏累代の拠点・安倍館があったと伝えられる。元々朝廷の武士であった藤原経清は、安倍氏と婚姻関係を結び、朝廷から派遣された源氏と、安倍氏の側に立って前九年の役を戦ったが、最終的には滅ぼされる。が、数奇な運命を経て、後三年の役の末に奥羽の覇権を握ったのが、経清と安倍氏の娘との子であり、奥州藤原氏初代の清衡である。衣川は平泉のルーツなのだ。安倍館の近くには、安倍氏の守護神・アラハバキ神(其の二「宮城・秋田古代東北のまつろわぬ信仰」参照)を巨石に祀った神社が建ち、前九年の役の古戦場も残る。そこで、源義家は、戦いながら歌を詠み、安倍貞任はそれに返したという。捕縛され都に送られた安倍宗任も、蝦夷と小馬鹿にする貴族相手に歌を詠み、教養を示したという。命懸けの局面ですら詠まれる「和歌」とは一体何なのか。その真髄を読み解く驚天動地の芸術論!
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之六拾九 埼玉・滑川 宅地開発迫る月の輪殿の館跡
- 首都圏郊外・東武東上線「月の輪駅」 その由来を伝える神社と九条兼実の伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
東京から埼玉県北西部へ伸びる東武東上線。その比較的終点に近いあたりに、月の輪という不思議な名前の駅がある。当駅は埼玉県比企郡滑川町月の輪にあり、その地名の由来を伝える月輪神社が近くに鎮座する。社殿は一段高い場所に建っていて、その基壇になっている部分は、調査の結果古墳である事が分かっている。神社の創建は、白鳳時代に大宮・氷川大社を勧請したことにより、主祭神は氷川大社と同じスサノオノミコトである。その次に挙げられている祭神として、月輪兼実(つきのわかねざね)の名がある。これが地名と神社名で由来であるが、月輪兼実とは、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した公卿で、藤原氏五摂家の一つ九条家の始祖・九条兼実のことであり、出家後京・愛宕の月輪寺に隠棲したため、月輪殿という別名がある。当地には、その月輪兼実が一時居を構えていたという伝承があるのである。神社と道路を挟んだ位置にある天台宗月光山福正寺は、神仏習合時代には神社と一体のものだったと思われるが、その境内にある勢至堂には、兼実が常に尊崇していた勢至菩薩が祀られている。そこには狛犬の代わりに、勢至菩薩に仕える兎の像が置かれていて、兼実伝説の真偽は別としても、月の信仰が確かにあることが窺われる。首都圏の開発の波が押し寄せる、郊外の地名に秘められた、伝承の謎を解く。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾四 秋田三湖 古の龍伝説が未来を拓く
- 田沢湖・十和田湖・八郎潟の「秋田三湖」に伝わる龍伝説に、明日への展望を見出す
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
秋田県にある「秋田三湖」と呼ばれる三つの湖。その全てに龍の伝説が伝わっている。まずは、田沢湖の「辰子姫」。このあたりに住んでいた人間の娘・辰子は、永遠の美を求めて観音菩薩に願を掛け、お告げにより山中の泉の水を飲んだ。しかし喉が渇いて際限なく水を飲み続け、龍の姿に変ってしまった。そこで仕方なく泉を広げて湖とし、そこに住んだ。これが田沢湖だという。湖畔のその泉の近くには、辰子姫を祭る御座石神社が建っている。青森との県境にある十和田湖にも、近くに住んでいたマタギの若者「八郎太郎」が、掟を破って仲間のイワナまで食べてしまい、川の水を飲み続けて龍となり、十和田湖を作って住んだという伝説がある。そこに、熊野で修業を積んだ山伏「南祖坊(なんそのぼう)」が現れる。南祖坊は「草鞋が切れた場所が終の棲家となる」という神託とともに鉄の草鞋を授かり、その切れた場所が十和田湖だった。南祖坊はここで龍に化身して八郎太郎と戦い、勝利する。これが十和田神社に祭られる青龍権現である。敗れた八郎太郎は西へ逃れて湖を作って住む。これが八郎潟であり、湖岸の八郎神社に祭られている。その八郎潟を戦後干拓して作ったのが大潟村で、入植した村民により建てられた大潟神社にも、八郎太郎は祭られている。古の龍伝説を辿り、明日にまで展望を広げた未来志向対談。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾 不撓不屈!! 神代より続く紀伊の精神
- 神代より現代まで続く紀氏の祭祀と、驚くべき紀伊の「まつろわぬ」不屈の精神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
和歌山市の日前・國懸神宮(ひのくま・くにかかすじんぐう)は、紀伊一宮。天照大神の天の岩戸隠れの際に作られた三種の神器の一つ・八咫鏡(やたのかがみ)に先立って作られた二枚の鏡を祀るとされ、日本書紀にも載る、非常に古く格式の高い神社である。その祭祀は、土佐日記の作者・紀貫之を輩出した古代豪族・紀氏により、神代より今に至るまで続けられている。その境内にある中言神社(なかごとじんじゃ)に祀られる名草姫命(なぐさひめのみこと)は、紀氏の祖神の一柱であるが、地元には、名草姫命は日本書紀において神武天皇に逆らい討たれたという、当地の首領・名草戸畔(なぐさとべ)のこととする伝承がある。「名草」とは、紀三井寺の建つ名草山に見られるように、当地の古名であり、「戸畔」とは、女性シャーマンを意味するという。名草戸畔は、討たれた後に首、胴、足の三つに分断されて葬られたとされ、それぞれの地に神社が建っている。頭を葬った地、海南市の小野田には宇賀部神社(うがべじんじゃ)が建つが、その地の名を負う小野田家からは、第二次大戦中フィリピンに赴き、三十年近く潜伏して帰還した、小野田寛郎(ひろお)氏が出ている。古代から現代へ続く紀州の「まつろわぬ」系譜を読み解く。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾壱 高知・香美 いざなぎ流に見る日本人本来の心象
- 「いざなぎ流」は本来日本人にとって「普通」のものだったと、京極夏彦氏は指摘する
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 34 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
毎年高橋御山人が足を運んでいる、民間呪術「いざなぎ流」が伝わる、高知県北西部山間の物部村(現・香美市)。毎年、高知県立歴史民俗資料館が、研究ツアーを開催しているが、平成二十八年は、資料館でも「いざなぎ流の里・物部」という企画展を開き、多数のイベントを開催した。例年通りツアーも行われ、今回は、まだあまり研究の進んでいない、物部北部の上韮生(かみにろう)地域を中心に巡った。ここでは、魚を捕る為に淵に毒を流し、祟りによって山崩れが起き滅びた集落や、鍛冶屋が熱した大金槌を池に投げ入れて退治した、人々に恐れられた大蛇など、水神の伝承が目立つ。その大蛇伝説の池がある神池の集落には、かつて七堂伽藍の大寺院があったというが、現在境内に残るのは大日寺と王子神社のみである。その間の広場では、かつていざなぎ流の呪術師・太夫による「大山鎮め」の儀式が行われていた。神道、仏教、陰陽道、修験道が混ざり合っていたいざなぎ流らしさの残る場所である。その様相は現代からすれば「ガラパゴス」のように見受けられるが、かの小説家・京極夏彦氏は、それをガラパゴスと感じる方がおかしいのだと指摘する。実は今回、ツアー翌日に、香美市主催の小松和彦氏や京極夏彦氏の講演も行われ、御山人も参加したのである。「辺境の呪術」に、「日本人の本来の心象」を見る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之六拾八 京都へ遷された壱岐や大隅の月の神
- 数少ない月の神を祀る有力な神社が京都に二社 そのルーツは壱岐や大隅にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
天照大神、スサノオノミコトとともに「三貴子」の一柱でありながら、神話上の事績が乏しく、祭神とする神社も少ない月の神・月読尊。その数少ない中でも有力な神社が、京都に二つある。一つは京都市西京区の月読神社で、現在は近隣の松尾大社の摂社である。この神社の由来は日本書紀にあり、任那への使者に神託が下りて祀る場所を求めた為、朝廷が現在地付近を奉ったという。その祭祀は壱岐氏によって行われたが、壱岐氏は九州と朝鮮半島の間の対馬海峡に浮かぶ壱岐島を出自とする氏族で、海人であった。そのため、この月読神社には、内陸であるにも関わらず、今も船に関わる神事が伝わる。そして、壱岐島にも月読神社があり、ここから京都に勧請されたものと見られている。今一つは、京都府南部の京田辺市大住(おおすみ)の月読神社である。こちらは南九州のまつろわぬ民・隼人が、朝廷に従属した後、当地に移住して来た際に、彼らの神を移したものとされ、大住という地名も、彼らの故郷である鹿児島の大隅に由来するという。彼らが伝えた隼人舞は、能のルーツの一つともなった。その隼人舞は一時途絶えたが、大隅一宮・鹿児島神宮に伝わる隼人舞を元に復元された。鹿児島神宮周辺は隼人が朝廷と戦った激戦地で、彼らを弔ったという隼人塚もある。なぜか神社に祀られることの少ない、月の神の謎を解く(カバー画像イラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾九 岩手・衣川 命懸けで詠む歌の真髄
- 黄金都市・平泉の前身、衣川 戦人も詠む「和歌」とは何か?「まつろわぬ」芸術論!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
中尊寺金色堂を抱え、「黄金の国ジパング」の由来ともなった平泉。奥州藤原氏が開いた、京にも匹敵するこの一大都市の北を、衣川という北上川の支流が流れている。その合流点近くには、芭蕉の「奥の細道」でも有名な、源義経最後の地・衣川館(高館義経堂)があるが、古くはこの衣川こそが朝廷の勢力圏と蝦夷の勢力圏の境界であった。そして、流域に広がる旧衣川村(現奥州市)には、奥州藤原氏のルーツである、安倍氏累代の拠点・安倍館があったと伝えられる。元々朝廷の武士であった藤原経清は、安倍氏と婚姻関係を結び、朝廷から派遣された源氏と、安倍氏の側に立って前九年の役を戦ったが、最終的には滅ぼされる。が、数奇な運命を経て、後三年の役の末に奥羽の覇権を握ったのが、経清と安倍氏の娘との子であり、奥州藤原氏初代の清衡である。衣川は平泉のルーツなのだ。安倍館の近くには、安倍氏の守護神・アラハバキ神(其の二「宮城・秋田古代東北のまつろわぬ信仰」参照)を巨石に祀った神社が建ち、前九年の役の古戦場も残る。そこで、源義家は、戦いながら歌を詠み、安倍貞任はそれに返したという。捕縛され都に送られた安倍宗任も、蝦夷と小馬鹿にする貴族相手に歌を詠み、教養を示したという。命懸けの局面ですら詠まれる「和歌」とは一体何なのか。その真髄を読み解く驚天動地の芸術論!
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之六拾九 埼玉・滑川 宅地開発迫る月の輪殿の館跡
- 首都圏郊外・東武東上線「月の輪駅」 その由来を伝える神社と九条兼実の伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
東京から埼玉県北西部へ伸びる東武東上線。その比較的終点に近いあたりに、月の輪という不思議な名前の駅がある。当駅は埼玉県比企郡滑川町月の輪にあり、その地名の由来を伝える月輪神社が近くに鎮座する。社殿は一段高い場所に建っていて、その基壇になっている部分は、調査の結果古墳である事が分かっている。神社の創建は、白鳳時代に大宮・氷川大社を勧請したことにより、主祭神は氷川大社と同じスサノオノミコトである。その次に挙げられている祭神として、月輪兼実(つきのわかねざね)の名がある。これが地名と神社名で由来であるが、月輪兼実とは、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した公卿で、藤原氏五摂家の一つ九条家の始祖・九条兼実のことであり、出家後京・愛宕の月輪寺に隠棲したため、月輪殿という別名がある。当地には、その月輪兼実が一時居を構えていたという伝承があるのである。神社と道路を挟んだ位置にある天台宗月光山福正寺は、神仏習合時代には神社と一体のものだったと思われるが、その境内にある勢至堂には、兼実が常に尊崇していた勢至菩薩が祀られている。そこには狛犬の代わりに、勢至菩薩に仕える兎の像が置かれていて、兼実伝説の真偽は別としても、月の信仰が確かにあることが窺われる。首都圏の開発の波が押し寄せる、郊外の地名に秘められた、伝承の謎を解く。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾弐 阿波に眠る水の女神・アマテラス
- 五角形の祭壇を頂く古墳を拝む阿波一宮は、天照大神の葬儀を伝える
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 34 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
諸国において最も格式が高い神社とされる一宮だが、時代による変遷等の影響で、一国に複数存在する場合もある。阿波国には四社存在し、その一社、大麻比古神社は、当シリーズの第弐拾五社「阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる『大麻』」で紹介した。今回取り上げる八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)も、阿波一宮の一社である。当社は、徳島市西方の杉尾山に鎮座するが、麓には阿波史跡公園があり、縄文時代から中世にかけての巨大遺跡が存在する。徳島有数の古墳地帯で、「国府町」の地名の通り、阿波国府があった場所でもあり、古代、繁栄した地であった。社殿は、前方後円墳の前に立っており、その古墳は「奥の院」と称され、上にこの地域の特産「阿波の青石」で築かれた、五角形の祭壇が鎮座している。また、当社に伝わる古文書には、何と天照大神の葬儀の様子が事細かに記されている。これらを踏まえ、当社の古墳こそが、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もある。さらに、折口信夫によれば、天照大神は三種に分かれるが、阿波ではその一つ、水の女神として信仰されているという。、すぐ近くに五角形の井戸を持つ「天乃真名井」があり、かつては社殿の瓦に龍の浮彫があったなど、水との関わりは深い。特異な「神の死」伝承の意味を考える。(カバー画像のイラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著者・長緒鬼無里氏による。同作品には高橋御山人の解
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四 山形・秋田県境 鳥海山の荒ぶる「物忌」の神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
東北の日本海側に聳える二千メートル級の独立峰・鳥海山。 その神を祀る、ただならぬ名を持つ大物忌神社は、 出羽国一の宮であり、古くから朝廷に重んぜられて来た。 そこには、一体どんな背景があるのか。 ○鳥海山は、度々噴火を繰り返して来た活火山であった ○出羽の蝦夷は屈強で、なかなか朝廷に従わなかった ○火山と蝦夷、これら「荒ぶる」存在を鎮めるという意図があった ○手長足長という、「まつろわぬ民」を彷彿とさせる妖怪の伝承も 手長足長という妖怪は、羽前・羽後国境の有耶無耶関にあって人々を悩ませ、 大物忌神が天より火を降らせて滅ぼしたとも、慈覚大師が法力で退治したともいう。 この関を越えて行った松尾芭蕉は、松島と同じような象潟の風景に魅せられた。 多数の小島が浮かぶ象潟は、鳥海山の噴火に伴う地震によって隆起して陸地となった。 このほか、周辺の土地には、いくつもの注目すべき史跡や伝承がある。 ●麓の沿岸には、「なまはげ」で有名な男鹿と対になる、女鹿という地名がある ●女鹿の近くには、荒磯に刻まれた巨大な石仏群、羅漢岩が立ち並ぶ ●沖に浮かぶ飛島は、鳥海山の頭が飛んで行って出来たと伝わる ●その飛島には、小物忌神社が建ち、蝦夷が住んだという人骨の見つかった洞穴もある 万年雪の斜面を踏み越え、荒ぶる神の住む山に挑み、 ...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之参拾九 西宮から淡路へ 漂泊の傀儡のえびす鎮めの旅
- 淡路人形浄瑠璃のルーツは、西宮のえびす様を鎮める漂泊の民「傀儡」にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
兵庫県の淡路島には、国の重要無形民俗文化財である淡路人形浄瑠璃が伝わっていて、今も上演されている。その歴史は古く、五百年以上に及び、人形遣い達が住んだ三條集落には、彼らが崇めるえびす神の神社が建つ。諸国を巡る人形遣い達は、ここで巡業地の割り振りを決め、その安全と成功を祈った。そのルーツを遡ると、兵庫県本土の西宮神社に行き着く。伝承によれば、西宮に漂着し祀られたえびす神が、荒ぶり災厄をもたらしたので、その心を慰める為に行ったのが発祥とされる。日本には、古代から諸国を巡り人形芸を行う「傀儡(くぐつ)」という漂泊、放浪の民がいた。彼らは剣舞や奇術等、様々な芸能の他、狩猟などでも生計を立て、女性の場合は遊女を兼ねることもあった。公家や武家に庇護されることもあり、傀儡が歌った歌は、後白河法皇の「梁塵秘抄」にも記録されている。彼らは古くから西宮神社の周辺を本拠地とし、神社の雑役を行いつつ、諸国を巡って、えびす神の人形劇を行い、全国にえびす神と西宮神社の神徳を広めた。いつしか西宮から傀儡達は去ってしまったが、その業は、今も淡路人形浄瑠璃や、大阪の文楽に受け継がれている。伝統芸能の奥に潜む、神社と神道の深層を掘り下げる語らい。
-
-
はいはいはいはいはいとはいが多すぎる
- 投稿者: Prima 日付: 2022/08/30
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之八拾七 喜界、奄美 上 大宰府、源平 古の日本の南限
- 薩摩や琉球の配下にあった奄美群島。だが、古には「南西諸島最大の都」があった。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
九州と沖縄の中間に位置する奄美群島。最北端の喜界島でも、鹿児島から南に約400kmという僻遠の地にある。にも関わらず、本土との繋がりを示す伝説が多い。保元の乱で敗れて伊豆大島に流され、当地で討伐された源為朝は、南に逃れて沖縄へ至り、琉球王朝の祖となったというが、途中喜界島へ辿り着いたといい、為朝ゆかりの泉や神社が残る。平家失脚を狙う「鹿ケ谷の陰謀」が発覚し、俊寛が流された「鬼界ヶ島」は、喜界島の事ととも言われ、島にはその墓がある。平家の落人達も喜界島に逃れ、やがて奄美大島に根拠地を移したといい、喜界島にも奄美大島にもゆかりの神社がある。中世、北端の喜界島に至るまで琉球王朝に征服され、近世には薩摩藩の侵攻によりその直轄領となった奄美群島だが、古代には大和朝廷の勢力下にあったと見られ、平安時代には、暴れ回る奄美大島の民と見られる人々に対し、大宰府より喜界島に討伐の命を下した記録が残っている。そして喜界島の、平安から室町頃の城久遺跡群では、約五百棟もの建物跡や、製鉄の跡、日本本土や朝鮮半島、中国等多数の島外産陶磁器が発見されている。これは同時代の南西諸島の遺跡と比べ、群を抜く規模で、内容も極めて特異だ。その繁栄の背景には、宝飾品となる夜光貝の輸出があるという。知られざる古代・中世の「日本の南のボーダー」を探る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾四 越中富山 女の尻に鞭打つ神事
- SMは神事だった?! 松尾芭蕉も油断した?! 「越の大社」は女の尻に鞭を打つ!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
富山市郊外に鎮座する鵜坂神社は、二千年の昔、崇神天皇の頃、四道将軍の一人大彦命によって建てられたと伝わり、六国史や延喜式にも載る、「越の大社」と言われた古社である。越中国司時代に大伴家持も参拝し、近くの神通川で鵜飼を鑑賞、万葉集に歌も残している。行基が二十四堂伽藍を建立、白鳳期には真言宗鵜坂寺も建てられ、源義仲の挙兵により一時焼失するも、源頼朝が再建、明治の神仏分離まで神宮寺として栄えた。こうした長い歴史を持つ神社であるが、特筆すべきは、平安時代から行われていたという特殊神事「尻打祭」である。これは、女が一年の内に会った男の数を申告し、神主がその数だけ榊で女の尻を打つというものであった。元々は、正月に七草粥を炊いた薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという、公家の遊びが伝わったものだったが、鎌倉時代には、既に女の性の乱れを戒める趣旨であったという。「尻打祭」は「日本五大奇祭」の一つに数えられ、平安歌人・源俊頼や、松尾芭蕉がこの神事を詠んでいる。しかし、この行事は近代社会には馴染みにくく、明治以降は雌馬で行われるようになり、第二次大戦以後は途絶えた。けれども、近代的観念と相容れない、「SM」すら彷彿とさせるこのような行事にこそ、神事の真髄が垣間見えるのである。奇祭の向こうに「近代的常識」の揺らぎを見る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾五 山梨・上野原 ヨガの奥義から剣の軍神へ
- ヨガで「解脱」の鍵とされる蛇の女神が、軍荼利明王を経て、果ては剣の軍神へと
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
百社巡礼の対談相手・盛池雄峰師宅のある、山梨県上野原市の神社を取り上げ、収録も上野原で行う「上野原シリーズ」。第一弾は、市街地の北東、東京都、神奈川県との境近くの山中に鎮座する軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)。祭神は日本武尊で、その東征の帰り道、草薙の剣を神の宿る剣として祀ったとされるが、創建は平安中期で、社名から密教の軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)を祀った、修験道の聖地であったことは明らかだ。明王とは、仏道に導き難い者を力ずくで帰依させる存在で、多くは憤怒の表情、逆立った髪、何本もの手に武器を持つという、恐ろしい姿を取る。そのルーツは、古代インドで鬼や悪魔に相当する夜叉や修羅だが、軍荼利明王の場合は、クンダリーニという蛇の女神が起源である。ヨガにおいては、性器と肛門の間にある、最も下部のチャクラに宿っており、クンダリーニを覚醒させ、脊髄を上昇させて、その途上にあるチャクラを開いていき、頭頂に至る事によって「解脱」できるとされている。それが伝播の過程で男性となったのが、現在の軍荼利明王である。しかし、そうした遠い起源は忘れられ、ここでは軍神として崇拝されている。明治の神仏分離により、明王とも切り離されたが、剣を奉納する信仰は続いている。神格の変遷と土着化する信仰というものについて考察する。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾壱 宮崎・高千穂 天孫降臨の地にまつろわぬ影
- 天孫降臨や天岩戸など、聖なる神々の事績を伝える高千穂にちらつく、「魔」の影を追う
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
宮崎県北東部の山間にある高千穂は、神話伝承の地である。天照大神の孫・ニニギノミコトが天照大神の命を受け、地上の統治の為に高天原より降臨した場所が、この高千穂とされ、天孫降臨の地として知られる。それだけでなく、高千穂には様々な神話伝承地があり、その中でも有名なものが、天岩戸神社だ。この神社の御神体は渓流沿いの岩窟であるが、これこそ天照大神が隠れた岩戸だという。その他、岩戸隠れの際、八百万の神々が集まって相談したという天安河原や、高天原の水を移したという天真名井など、数々の伝承地があるのだが、高千穂には、こうした「聖なる神々」の伝承地だけでなく、荒ぶる「まつろわぬ」鬼たちの伝承もある。その代表的なものが、神武天皇の兄に討たれた鬼八(きはち)であり、夜神楽で有名な高千穂神社には、その討伐の様子が彫刻されている。また、日向国風土記逸文には、天孫ニニギノミコトの降臨時、地上は暗闇に覆われていたが、二人の土蜘蛛の助言で明るくなったという神話が載っている。ここでは天孫に協力しているが、土蜘蛛は、記紀・風土記で天皇に逆らう土着の勢力として描かれ、後世には人を食う妖怪とされている。「魔」の影ちらつく神話の舞台の謎を解く。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之参拾八 群馬と愛知 羊をめぐる神社の不思議
- 日本に二社のみ存在する「羊神社」 和銅と「まつろわぬ民」のミステリー
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
群馬県東部の安中市に「羊神社」がある。集落の外れにある小さな神社ではあるが、境内には狛犬と別に「狛羊」もあり、干支にちなんで未年には多くの参拝者が訪れる。その名は「羊太夫」に由来する。羊太夫は、秩父で日本初の銅を見つけ、その功績により、上野国に新設された多胡郡を朝廷より与えられたという。「羊」という人物に多胡郡を与えたことは、「続日本紀」や、羊神社より少し離れた高崎市内に残る「多胡碑」(日本三碑の一つに数えられる古代の石碑)にも刻まれている。伝説によれば、羊太夫には八束脛(やつかはぎ)という神通力を持つ従者がおり、その力で空を飛んで、毎日都へ上り、参内していたという。しかし、あるとき好奇心に駆られて、羊太夫が八束脛の腋の羽を抜いてしまうと、空を飛べなくなり、参内出来なくなってしまう。その為、朝敵として討たれてしまったといわれる。一方、八束脛は金色の蝶に化身して飛び去り、群馬県最北部の水上にある、八束脛洞窟に住んだという。そこには八束脛を祀る祠が建つが、弥生時代の遺跡も発掘されている。また遠く離れた名古屋市には、羊太夫が都へ上る途中で立ち寄ったという場所に、同じく「羊神社」が建つ。未年にちなんだ神社のミステリーを探る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾八 長野・阿智 御山人の遠祖 峠のエネルギー王
- 東山道最大の難所に、高橋御山人の祖先・炭焼藤太と金売吉次の伝説を訪ねる
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
長野県南西部の阿智村は、高橋御山人の祖母の出身地であり、先祖代々当地に住んで来た。旧姓を園原というが、阿智村の西端、岐阜県との境である神坂峠付近に、園原という地名があり、ここが園原氏発祥の地だという。神坂峠は、古代から中世の幹線道路・東山道最大の難所に当たり、日本武尊が山の神の化身である白鹿を討った神話がある。日本武尊の腰掛石とも、古代祭祀の磐座ともされる巨石が、神坂神社境内にある。神坂神社は園原の里の最奥、神坂峠の手前にあり、境内を東山道が通っている。祭神は山中にあって海神の住吉三神で、古代に信濃の安曇野に移住した海洋氏族・阿曇氏との関係が窺われる(本シリーズ其之弐拾参参照)。一方、社殿手前両脇には御柱も立っており、諏訪文化圏である事も明らかである。東山道最大の難所であっただけに、都の人々にも古くから知られ、当地に聳える巨木「帚木」は、源氏物語の巻名にもなっている。園原氏の祖先は、ここに屋敷を構えた長者・炭焼藤太といい、宮廷貴族在原氏の娘・客女姫との婚姻や、その間に生まれた金売吉次の伝説がある。金売吉次は、平家物語等に登場する黄金商人で、源義経を奥州平泉へ案内したとされ、当地にも「義経駒繋ぎの桜」が残る。古のエネルギー資源を生産し、巨万の富を築いたという、高橋御山人の遠い祖先の物語を追う。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾九 三重・斎宮 最高位の巫女 斎王の真実
- 古、皇族女性より選ばれ、伊勢の神宮に仕えた斎王。その衝撃的な真相とは?!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
朝廷には、かつて「斎王」という制度があった。天皇の即位に伴い、その在位中、未婚の皇族女性が最高位の巫女として、伊勢の神宮に仕えるものである。起源は、朝廷黎明期、宮中より天照大神を遷し、皇女・倭姫命が遍歴の末に伊勢に祀ったという神宮の創建伝承にあるが、歴史的に確実に遡れるのは、天武天皇の治世である。最盛期は平安時代だが、平安後期には衰退し始め、後醍醐天皇の治世を最後に断絶した。斎王は、年数回の祭典の他は、神宮の十数キロ北西に居住し、その御所は斎宮と呼ばれた。遺構は現在の三重県明和町で発見されていて、非常に広大である。その核心たる斎王の御座所のあった内院は、現在、竹神社が鎮座するあたりにあった。当神社は神宮鎮座以前から当地にあった豪族の祖神を祀り、子孫は竹連といい、斎宮は「竹の都」とも呼ばれた。斎王は、当然ながら身を清浄に保つ事が重視されたが、かといって常に厳格な暮らしをしていた訳でもない。斎宮は文学サロンとして賑わっていたし、当時の文学作品にも登場する。「伊勢物語」に至っては、在原業平と斎王のスキャンダルが仄めかされている。腐敗した斎宮頭を「神託」を通じ糾弾したせん子女王のような斎王もおり、詳細に見れば見る程、現代的な「巫女」のイメージとは異なる存在である事が分かる。古代の朝廷における神道祭祀の核心を探る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾九 奈良・初瀬 「大和の出雲」に菅公鎮まる
- 古からの父祖ゆかりの地に菅原道真公が自ら鎮まり「コンテンツの聖地」となった初瀬
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
奈良県桜井市、大神神社の神体山・三輪山の南麓の初瀬の地に、天武朝創建の古刹として名高い長谷寺がある。その参道西の山の中に、與喜天満神社が鎮座している。天満神社の名の通り、祭神は菅原道真公であるが、他の天満宮のように「怨霊鎮め」の為に建てられたのではない。長谷寺の鎮守・瀧蔵権現の勧めによって、自ら雷神としてこの地に鎮まったという。それは、当地の道真公の出自との深い関係による。長谷寺参詣の土産として古くから親しまれ、今も参道で売られている「出雲人形」という土人形があるが、それは近隣の出雲集落で作られている。大和にあって出雲という不思議な名を持つこの地は、古代、当麻蹴速との相撲の為に出雲より呼び寄せられ勝利した、野見宿禰ゆかりの地で、皇后の葬儀において、殉死に代わって埴輪を供える事を提案した話が、日本書紀にある。これが出雲人形の発祥とされ、野見宿禰の子孫は土師氏を称した。その後、土師氏の一部は、菅原氏を名乗る。道真公はその出身である。道真公は、父祖ゆかりの地に自ら鎮まったのである。なお、與喜天満神社は、中世、神前で連歌の行われる場所としても名高かった。歌人としても名を轟かせた道真公は、連歌の守護神でもあったのだ。更級日記では夢告を授かる場所としても描かれる初瀬。古の「コンテンツの聖地」巡礼記。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾七 坂東に残る平将門新皇が駆けた足跡
- 日本史上唯一「新皇」を名乗った平将門。その即位にも終焉にも、神社が深く関係する。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
日本史上唯一、自ら新たなる天皇「新皇」を名乗った、平将門。将門に関係した神社としては、東京・大手町の首塚とともに語られる事が多い神田明神など、死後の怨霊伝承を伝えるものが有名だが、「新皇」としての事績にまつわる神社もある。その一つが、群馬県前橋市の総社神社だ。当社は上野国の総社であり、他国と同じく、国司が国内の神社を巡拝する代わりに、国府の傍らに国内の神を集めて祀ったものである。将門は、常陸、下野、上野の国府を陥し、上野国府で諸国の任官を行うが、その時、一人の巫女が現われ、八幡大菩薩の神託を下す。この神託により、将門は新皇に即位したのである。この巫女や神託には、国府にあった総社が深く関与している可能性が高いと思われる。尚、中世に総社は位置が変わっており、近隣の旧鎮座地には今も宮鍋神社が建っている。ここには、将門が神託を受けた国府政庁の復元図もあり、当時の様子を偲ぶ事が出来る。将門は、茨城県坂東市の岩井に政庁を置いたが、朝廷による討伐軍はここに攻め寄せ、乱は二ヶ月程度で鎮圧された。この将門の本拠地にして終焉の地に建つのが、将門を祀る、その名も国王神社である。戦を逃れていた将門の三女・滝夜叉姫が、父の三十三回忌にあたり、木像を刻んで安置し祠に祀ったのが始まりと言われる。神社は「歴史の活断層」の標柱でもある。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之参拾五 御山人出版記念 魔女へ捧ぐ祝詞(特別対談)
- 高橋御山人出版記念特別対談!「魔女」とは、「鬼女紅葉」とは、「祝詞」とは
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
高橋御山人の書籍発行記念、特別対談。今回出版した「鬼女紅葉伝説紀行鬼無里編」は、現代の魔女・谷崎榴美(るみ)氏の依頼が発端となった。ここでいう「魔女」とは、古代ヨーロッパ信仰のシャーマン(巫女)であり、キリスト教の普及により追いやられ、零落した存在である。それを復興しようという運動が「ウィッカ」「魔女宗」であり、谷崎氏はその日本における実践家として、西洋のみならず、日本のシャーマニズム的儀式の復興に取り組んでいる。その谷崎氏との対話の中で、高橋御山人が長年研究して来た信州・鬼無里の「鬼女紅葉」は、平安時代の「魔女」だという知見を得た。「鬼女紅葉」は、呪術に長け、鬼として討伐されたと伝えられるが、卑弥呼のごとき日本古来のシャーマニズムの継承者だったとされる(詳細は本シリーズ其之拾を参照)。今回出版した書籍は、「平安の魔女=鬼女紅葉」の、鬼無里における伝承地を紹介し、また谷崎氏の目指す「古儀の復興」の一環として、「鬼女紅葉」に捧げる祝詞をも作成、その口語訳、解説とともに掲載した。対談では、神道における祝詞の解説と、祓詞の奏上も行っている。なお、書籍は谷崎氏の経営する大阪の「銀孔雀」と、鬼無里の十割そば処「おに屋」で販売。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之八拾六 死と海と「まつろわぬ民」の熊野古道
- 浄土目指して不帰の船出する地に祀られる「まつろわぬ民」 熊野信仰の深層を探る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
日本三名瀑の一つ・那智の滝と、熊野三山の一つ・熊野那智大社で名高い、和歌山県南部の那智勝浦町。その海岸近くに、熊野三所大神社という神社が建つ。熊野三山の主祭神・熊野三所権現を祀る為にこの名があるが、元は熊野参詣路に建てられた九十九王子の一つ・浜の宮王子であった。また、明治の神仏分離までは、隣接する補陀洛山寺と一体であった。ここは、小型の木造船に行者が乗り込んで、南海の「補陀落浄土」に向かう「補陀落渡海」が行われた寺院で、行者の死が前提の儀礼だった。三重県熊野市には社殿がなく岩窟に神を祀る花の窟神社があるが、日本書紀では大母神・イザナミノミコトの墓とされており、熊野は神代より「死」にまつわる土地である事を示している。そんな熊野という地は、元々「まつろわぬ民」の土地だった。熊野三所大神社の境内には、神武天皇の仮宮跡と、地主神「丹敷戸畔(にしきとべ)」を祀る摂社があるが、日本書紀によれば、東征の際、神武天皇軍は熊野で土地の首長・丹敷戸畔を討ち、ここより内陸に入って大和を目指したとされている。紀伊半島の南端・串本町には、その名を伝える地名や、墓もある。中央の王侯貴族がこぞって参詣する一方、中央には容易に制御出来ず、熊野水軍のように日本の行く末さえも左右した熊野。海と山とが迫る当地の深層に光を当てる。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之三 秋田・男鹿 なまはげが山から海からやって来る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
前回に引き続いて、御山人が青春18きっぷを使い行った一人大学卒業旅行。 その最終到達地は、日本海に突き出た、秋田県・男鹿半島。 この地に伝わる「なまはげ」を求めて、半島中心部の山間にある真山神社を訪ねる。 併設の伝承館では「なまはげ」来訪の実演も行われる真山神社には、 こんな習俗と伝承がある。 ○祭礼の日、山から「なまはげ」が降りて来る ○「なまはげ」は家々を訪れ、怠け者を責めて暴れ回る ○一方では、五穀豊穣、家内安全などの福や富をもたらす「神の使い」でもある ○ゆえに、真山神社の鬼には角がない しかしこれは、あくまでも真山神社の「なまはげ」の話。 男鹿半島一帯に伝わる「なまはげ」は、場所によって言い伝えや姿も異なる。 特に注目すべきなのが、半島南西部沿岸の赤神神社。 ここにはまた別の伝承がある。 ●漢の武帝が、海の彼方より五匹のこうもりを連れて来た ●そのこうもりが鬼となり、村を荒らし回る ●困った村人は鬼らと賭けをし、知略によって退散させる ●赤神神社の五社堂はその鬼らを祀り、これが「なまはげ」の起源という 「なまはげ」のような来訪神とは何なのか?古代における「未知との遭遇」とは?卒業式前日、自らマレビトと化して追う、彼方より寄り来る「異類」たちの足跡。 語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾五 京都・粟田口 昔も今も刀剣に神宿る
- 能から女性向けゲームまで!伝統文化とサブカルチャーが交錯する日本刀の聖地
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
京の出入口「京の七口」の一つとして、古くから知られた粟田口。京都盆地東端のこの地は、古代、五代孝昭天皇の子孫・粟田氏が鉱物採取や粟、瓜の生産を行ったという。平安時代には、清和天皇の勅により、祇園の八坂神社の疫病鎮めの神・牛頭天皇を祀る社が建立された。八坂神社は感神院とも呼ばれた為、こちらは感神院新宮と呼ばれたが、これが現在の粟田神社である。鉱物資源に恵まれていた為か、粟田口近辺には、古より刀工が数多く住んでいた。その中でも代表的なのが、平安時代の三条小鍛冶宗近と、鎌倉時代の粟田口藤四郎吉光で、古代からの製鉄の神・天目一箇神とともに、境内の末社・鍛冶神社の祭神となっている。特に、三条小鍛冶宗近は伝説的な存在で、一条天皇の宝刀「小狐丸」は、稲荷明神が化身した童子が合槌を打って完成したといい、その稲荷の神は、粟田神社境内摂社の北向稲荷神社や、粟田神社と三条通を挟んだ向かいに建つ合槌稲荷神社に鎮まるという。この伝説は、謡曲「小鍛冶」の題材となっていて、能や神楽、歌舞伎等の伝統芸能を通じ広く知られて来たが、近年、名刀を美男子として擬人化した「刀剣乱舞」でも取り上げられ、若い女性にも三条小鍛冶宗近の名が知られるようになった。今も昔も、「刀剣に神が宿る」地、粟田。ここに伝統文化とサブカルチャーの交錯を見る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之参拾弐 「佐賀」発祥地 女神の祟りを鎮める賢い女達
- 巨石に宿る、荒ぶる女神の祟りを、土蜘蛛の「賢い」女達が鎮めた、「佐賀」の由来
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
佐賀市の北の郊外に鎮座する與止日女神社(よどひめじんじゃ)は、肥前一宮。嘉瀬川畔、肥前国府の近くに建ち、現存する五風土記の一書「肥前国風土記」にも登場する古社だ。風土記によれば、嘉瀬川の上流に荒ぶる神がおり、往来の人の半分を生かし、半分は殺していた。そこで領主が占いで神意を問うたところ、土蜘蛛(記紀や風土記に登場する、朝廷に反逆的な「まつろわぬ民」)の大山田女(おおやまだめ)と狭山田女(さやまだめ)が、埴輪のような土の人形・馬形を神に捧げれば、祟りは鎮まると告げた。その通りにしたら祟りが鎮まったので、領主は彼女達を「さかしい(=賢い)女」だと誉めた。それが「佐賀」という地名の由来だという。また風土記には、川上に石神がおり、毎年海の神たるワニ(サメまたはナマズとされる)と小魚たちが遡上して来るが、捕って食べると死ぬことがある、とも書かれている。そして、現代のこの地域を見てみると、土蜘蛛の女性達の名を残す「東山田」という地名があり、嘉瀬川上流には「肥前大和巨石パーク」と名付けられた古くから信仰される巨石群があり、ナマズを食べないという風習がある。人の往来が激しく、先進文化が押し寄せる、近代を開いた佐賀という地の特性を古代に見る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾弐 尾張、下総、常陸 物部が鎮めた石の下のモノ
- 石によってこの世とあの世、人の心を鎮めた物部氏 日本人の原初の死生観とは
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
名古屋の高橋御山人の実家近くに、物部神社が鎮座する。神武天皇の時代、当地のまつろわぬ民を討って、大石を鎮めとし、それを御神体とするということだが、それは討ったまつろわぬ民の怨霊を封じた「重石」ということになる。実際、この大石は、別名を鎮撫石という。鎮撫とは、反乱を鎮める意。要石、根石の別名もあるが、これもまた「まつろわぬ民」封じの感がある。要石とは大地を鎮め地震を防ぐ呪術的な意味の石であるが、有名なものは鹿島神宮と香取神宮のものである。それらは、地表に出ている部分はわずかであるが、深く樹木が地中に根を張るように伸びていると伝わる。これらにも地震鎮めの意はあるが、両神宮の祭神は、天孫降臨に先立ち国津神を平定した武神であり、朝廷黎明期の勢力圏の端にあって、両神宮には北の蝦夷に睨みを利かす意味がある。また、鹿島の神は中臣氏の氏神であり、古代には神事を司る氏族としてより上位の、物部氏の包括下にあったという。香取の神は、物部氏が石上神宮にて直接祭祀を行っている神である。物部氏は軍事をもってまつろわぬ民を平らげ、神事をもってその怨念を鎮め、支配地の人心を鎮めた。そして石によって死者を鎮めるという祭祀には、地下に暗い死者の国があるという、古代の死生観が根底にあった。石を通じ、日本人の原初の死生観に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾六 山梨・上野原 南朝悲話と弔いの舞
- 暗殺された親王の愛妾と子の悲劇、そこに世の無常を感じ土着した皇族と里人の弔い
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
百社巡礼の対談相手・盛池雄峰師宅のある、山梨県上野原市の神社を取り上げ、収録も上野原で行う「上野原シリーズ」。第二弾は、市の南西部、都留市との境にある、雛鶴峠の麓、旧秋山村の無生野(むしょうの)に鎮座する雛鶴神社(ひなづるじんじゃ)。後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王は、鎌倉幕府打倒の立役者の一人だが、父や足利尊氏と対立し、鎌倉で幽閉され、暗殺されてしまう。その愛妾・雛鶴姫は、親王の首を抱え、わずかな従者とともに鎌倉を脱出、逃れ逃れて、無生野へ辿り着いた。そこで皇子の子を産むも、母子ともに亡くなってしまう。その二十年後、護良親王の子・葛城宮綴連王(つづれおう)が、南北朝の戦乱を逃れてこの地にやって来るが、雛鶴姫とその子の話を聞き、不思議な因縁を感じてこの地に住み着き、73歳の天寿を全うしたという。護良親王、雛鶴姫とその子、綴連王を祀っているのが、雛鶴神社である。境内には、綴連王の墳墓もある。また綴連王は、父の護良親王、雛鶴姫とその子の菩提を弔う為、大念仏を始めた。これは今も続けられている踊り念仏の一種で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。甲斐に伝わる南朝悲話と伝統芸能を探求する。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之壱百 青森・十三湖 「まつろわぬ」はじまりの地
- 高橋御山人の「まつろわぬ旅」は、偽書曰く「まつろわぬ国」建国の地よりはじまった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
津軽半島北西部、日本海と繋がる十三湖は、古くは十三湊と呼ばれ、中世には日本の十大港湾に数えられる程に繁栄した。ここを拠点とした安東氏は、北海道にも進出し、和人とアイヌとの間の交易を取り持った(本シリーズ其之参拾参参照)。安東氏が南部氏に津軽を追われた後は衰えたが、大規模な宗教施設の遺構が発見されている山王坊日吉神社など、往時を偲ぶ神社仏閣や遺跡が、周辺に多数残っている。安東氏は、後に秋田氏となり、奥州三春藩主として明治まで続いているが、特異な家系伝承を伝えており、前九年の役で討たれた安倍氏、さらに神武天皇に討たれた長髄彦の兄・安日まで遡るという。相内の神明宮は、かつて長髄神社と呼ばれ、長髄彦を葬った場所とも言われる。境内には縄文時代の貝塚があり、人骨が発見されている。昭和末期には、こうした伝承を過剰に膨らませ、古代の日本には西の大和朝廷に対する東の荒吐王国があったとする「東日流外三郡誌」が発表され、学界に騒動を巻き起こした。本書は科学的に偽書である事が確定しているが、一方で本書により古代の東北、津軽が脚光を浴びたのも事実である。それは、高橋御山人の生涯にも強い影響を及ぼした。偽りであっても、絶大なパワーを持つ「コンテンツ」には違いないのである。「パワーを発する」コンテンツ・百社巡礼、ここに完結!
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之十三 岩手・北上 千年の鎮魂 「モテる」舞
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
岩手県南部の都市、北上市。東北一の大河・北上川に沿う、 肥沃な盆地にあたるこの土地には、古くから蝦夷(えみし)が暮らしていた。 この豊かな土地を巡って、争いも繰り広げられる。 平安初期、蝦夷の指導者アテルイを、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、激戦の末に破る。 このとき坂上田村麻呂は、信濃の諏訪大明神を勧請し、当地に諏訪神社を建てたという。 平安中期には、岩手の豪族・安倍氏が、黒沢尻の柵を築いた。 黒沢尻は北上の地名として残り、北上駅近くに、柵跡も残っている。 前九年の役では、安倍氏の一族・正任(まさとう)が黒沢尻の柵を守るが、 命運尽きて安倍氏は源氏に滅ぼされる。 その後、諏訪大明神の神託によって、正任鎮魂のための舞が、神事として始められる。 それが今も北上周辺に広く伝わる民俗芸能・鬼剣舞(おにけんばい)であるという。 諏訪神社は、鬼剣舞を中心に様々な郷土芸能が演じられる、 「北上みちのく芸能まつり」の会場の一つでもあり、多くの見物客が詰めかける。 鬼剣舞は先祖供養の念仏踊りの一種であるが、鬼の面を付け、金色の長い髪を振り、 「反閇(へんばい)」という呪術的な歩行を行う、勇壮な踊りで、独自性に富む。 日本各地で様々な郷土芸能が危機に瀕している中、北上周辺では、鬼剣舞が、 年長者から若年者へ、各地域で熱心に継承されており、共同体の紐帯となっている。 ...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之六拾 神奈川・鎌倉 戦に明け暮れし親王最期の地
- 山中を転戦し鎌倉幕府を討った護良親王は、その後失脚し捕縛され、鎌倉で最期を遂げた
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
源頼朝が幕府を開いた古都・鎌倉。その一角に、鎌倉宮なる神社が建つ。祭神は、大塔宮護良親王。紀伊半島の山中を転戦し、鎌倉幕府討幕に大きく貢献した、後醍醐天皇の皇子だ。その功により征夷大将軍に任じられたが、足利尊氏と対立、後醍醐天皇とも反目した為、失脚。皇位簒奪の罪を着せられて捕えられ、鎌倉へ送られた。鎌倉では尊氏の弟・直義が身柄を預かったが、鎌倉幕府の執権・北条氏の残党が反乱を起こすと、将軍に擁立される可能性があったため、直義の手の者に殺害されてしまう。その愛妾・雛鶴姫が落ち延び、子を産んで亡くなったという伝説は、「其之四拾六山梨・上野原 南朝悲話と弔いの舞」で取り上げた。その護良親王を、「王政復古」を成し遂げ南朝正統を打ち立てた明治政府により祀ったのが、鎌倉宮である。その境内には、古くより護良親王が幽閉されたと伝えられる土牢がある。史実かどうかは定かでなく、皇族の扱いとしてはあまりに酷い点も疑問だが、崇徳院や菅原道真と並ぶ大怨霊ともされたことを考えれば、頷けなくもない。このような鎌倉宮であるが、一方で、厄除の御利益があると強く信仰されてもいる。鎌倉宮の獅子頭のお守りのおかげで、九死に一生を得たという報告も境内に掲示してある。宗教と政治・軍事、あるいはご利益信仰といった、鎌倉宮を巡る諸事象を考察する。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾六 大蛇VS大ムカデ 北関東のラグナロク
- 日光男体山の神と、赤城山の神が、大蛇と大ムカデに化身して戦った、戦場ヶ原の伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
世界的な観光地・日光の一角を成す戦場ヶ原。標高約1400mの高原に広がるこの湿原は、名前の通り古戦場であるが、その戦いは人と人との戦いではなく、神々の戦いである。伝説によれば、この近くの中禅寺湖を巡って、日光男体山の神が大蛇に、赤城山の神が大ムカデに化けて戦ったが、自らの子孫である弓の名手・小野猿丸の加勢により、男体山の神が勝ったという。男体山を神体山とするのは二荒山神社で、山頂に奥宮、中禅寺湖畔に中宮祠、東照宮に隣接して本社が建っている。一方、県境を越えた群馬県の赤城山には赤城神社があり、山頂のカルデラ湖・大沼湖畔と、南麓の三夜沢に鎮座する。また北麓の老神温泉は、戦場ヶ原で敗れた赤城山の神が、湯で傷を癒し、男体山の神を追い払ったため、「追神」と呼んだという地名由来がある。ただし、当地の伝説によれば、赤城山の神が大蛇に、男体山の神が大ムカデに化けたとされる。そもそも赤城山では大蛇信仰が強く、赤城神社の祭神は、古代、赤城山の龍神に助けられ、その後を継いだ豪族の娘・赤城姫ともされる。一方、三夜沢の赤城神社には、藤原秀郷が植えたという「俵杉」があるが、秀郷には琵琶湖・竹生島の龍神の依頼で、三上山の大ムカデを退治したという伝説がある。北関東の「ラグナロク(北欧神話における神々の最終戦争)」の謎に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人