Audible会員プラン登録で、20万以上の対象タイトルが聴き放題。
カートのアイテムが多すぎます
カートに追加できませんでした。
ウィッシュリストに追加できませんでした。
ほしい物リストの削除に失敗しました。
ポッドキャストのフォローに失敗しました
ポッドキャストのフォロー解除に失敗しました
Audible会員プラン 無料体験
あらすじ・解説
こちらもおすすめ
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾七 坂東に残る平将門新皇が駆けた足跡
- 日本史上唯一「新皇」を名乗った平将門。その即位にも終焉にも、神社が深く関係する。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
日本史上唯一、自ら新たなる天皇「新皇」を名乗った、平将門。将門に関係した神社としては、東京・大手町の首塚とともに語られる事が多い神田明神など、死後の怨霊伝承を伝えるものが有名だが、「新皇」としての事績にまつわる神社もある。その一つが、群馬県前橋市の総社神社だ。当社は上野国の総社であり、他国と同じく、国司が国内の神社を巡拝する代わりに、国府の傍らに国内の神を集めて祀ったものである。将門は、常陸、下野、上野の国府を陥し、上野国府で諸国の任官を行うが、その時、一人の巫女が現われ、八幡大菩薩の神託を下す。この神託により、将門は新皇に即位したのである。この巫女や神託には、国府にあった総社が深く関与している可能性が高いと思われる。尚、中世に総社は位置が変わっており、近隣の旧鎮座地には今も宮鍋神社が建っている。ここには、将門が神託を受けた国府政庁の復元図もあり、当時の様子を偲ぶ事が出来る。将門は、茨城県坂東市の岩井に政庁を置いたが、朝廷による討伐軍はここに攻め寄せ、乱は二ヶ月程度で鎮圧された。この将門の本拠地にして終焉の地に建つのが、将門を祀る、その名も国王神社である。戦を逃れていた将門の三女・滝夜叉姫が、父の三十三回忌にあたり、木像を刻んで安置し祠に祀ったのが始まりと言われる。神社は「歴史の活断層」の標柱でもある。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之十六 島根・奥出雲 八岐大蛇と製鉄神 トーテムの物語
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
島根県南東部、中国山地沿いの奥出雲地方は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)神話の舞台。 鳥取県境の船通山は、高天原を追放されたスサノオノミコトが降臨した山とされる。 山中の鳥上滝は、出雲一の大河・斐伊川の源流で、八岐大蛇の棲み処だったと伝わる。 八岐大蛇の神話には様々な解釈があるが、その一つが「治水神話」である。 暴れ川である斐伊川を見事に治めたのが、スサノオノミコトだというのだ。 蛇や龍は、世界中の神話で水を司るものとされている。 「製鉄神話」や「征服神話」とする説もある。八岐大蛇の尻尾から、三種の神器の一つ、 天叢雲剣が出るが、これは当地の土着民を降し、鉄資源と生産を得た物語なのだという。 中央で編纂された記紀神話にある八岐大蛇退治も、出雲で編纂された風土記にはない。 これは、征服者に魔物とされた存在も、被征服者にとっては祖神であるからともいう。 さて、奥出雲地方は、古より製鉄の盛んな土地で、今もたたら製鉄を行う場所がある。 「金屋子神(かなやごかみ)」を祀る神社の総本宮、金屋子神社もあり、 全国の鉄山師の信仰を集めた。今も境内に数多くの鉄滓が置かれている。 金屋子神は、死の穢れを好むなど、通常の神道の常識とは大きく異なる信仰を持つ。 片目・片足の神や魔物などは、過酷な製鉄に従事し障害を負った民が、 ...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之八拾六 死と海と「まつろわぬ民」の熊野古道
- 浄土目指して不帰の船出する地に祀られる「まつろわぬ民」 熊野信仰の深層を探る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
日本三名瀑の一つ・那智の滝と、熊野三山の一つ・熊野那智大社で名高い、和歌山県南部の那智勝浦町。その海岸近くに、熊野三所大神社という神社が建つ。熊野三山の主祭神・熊野三所権現を祀る為にこの名があるが、元は熊野参詣路に建てられた九十九王子の一つ・浜の宮王子であった。また、明治の神仏分離までは、隣接する補陀洛山寺と一体であった。ここは、小型の木造船に行者が乗り込んで、南海の「補陀落浄土」に向かう「補陀落渡海」が行われた寺院で、行者の死が前提の儀礼だった。三重県熊野市には社殿がなく岩窟に神を祀る花の窟神社があるが、日本書紀では大母神・イザナミノミコトの墓とされており、熊野は神代より「死」にまつわる土地である事を示している。そんな熊野という地は、元々「まつろわぬ民」の土地だった。熊野三所大神社の境内には、神武天皇の仮宮跡と、地主神「丹敷戸畔(にしきとべ)」を祀る摂社があるが、日本書紀によれば、東征の際、神武天皇軍は熊野で土地の首長・丹敷戸畔を討ち、ここより内陸に入って大和を目指したとされている。紀伊半島の南端・串本町には、その名を伝える地名や、墓もある。中央の王侯貴族がこぞって参詣する一方、中央には容易に制御出来ず、熊野水軍のように日本の行く末さえも左右した熊野。海と山とが迫る当地の深層に光を当てる。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾五 阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる「大麻」
- 聖なる「大麻」を作る、神代からの祭祀氏族・忌部氏が、黒潮に乗り阿波から安房へ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
徳島県鳴門市、大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、阿波一宮。古代、阿波に勢力を誇った、忌部氏が祖神を祀った神社である。忌部氏は、出雲、紀伊、讃岐などに広がり、それぞれの地の特産品を献じた。阿波の忌部が献じたのは、麻であり、それが神社名の由来となっている。麻は、衣服の原料として重要であるとともに、神事に用いる神聖な植物でもあった。現代の神社でも祓に用いる神具の名は「大麻」であるし、御札も「大麻」と呼ばれる。そして、忌部氏は、天の岩戸開き以来の、神話にまで遡る祭祀氏族であった。「穢れを忌む」ことで神事に臨む氏族なのである。阿波の忌部氏は、朝廷の祭祀を司る忌部氏に連なる人々として、神聖な植物・麻を栽培した。その阿波忌部氏の一部は、古代、黒潮に乗って、千葉県の房総半島へ移住した。「安房」とは「阿波」にちなむ地名であり、「上総」「下総」の「総」とは、麻の古名にちなむものという。房総半島の先端近くには安房一宮・安房神社が建ち、忌部氏の祖神を祀る。他、房総には忌部氏にまつわる神社が。麻の聖性と、摂関藤原家の同族・中臣氏に役割を奪われ衰微した、古代の祭祀氏族の足跡を辿る。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾弐 尾張、下総、常陸 物部が鎮めた石の下のモノ
- 石によってこの世とあの世、人の心を鎮めた物部氏 日本人の原初の死生観とは
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
名古屋の高橋御山人の実家近くに、物部神社が鎮座する。神武天皇の時代、当地のまつろわぬ民を討って、大石を鎮めとし、それを御神体とするということだが、それは討ったまつろわぬ民の怨霊を封じた「重石」ということになる。実際、この大石は、別名を鎮撫石という。鎮撫とは、反乱を鎮める意。要石、根石の別名もあるが、これもまた「まつろわぬ民」封じの感がある。要石とは大地を鎮め地震を防ぐ呪術的な意味の石であるが、有名なものは鹿島神宮と香取神宮のものである。それらは、地表に出ている部分はわずかであるが、深く樹木が地中に根を張るように伸びていると伝わる。これらにも地震鎮めの意はあるが、両神宮の祭神は、天孫降臨に先立ち国津神を平定した武神であり、朝廷黎明期の勢力圏の端にあって、両神宮には北の蝦夷に睨みを利かす意味がある。また、鹿島の神は中臣氏の氏神であり、古代には神事を司る氏族としてより上位の、物部氏の包括下にあったという。香取の神は、物部氏が石上神宮にて直接祭祀を行っている神である。物部氏は軍事をもってまつろわぬ民を平らげ、神事をもってその怨念を鎮め、支配地の人心を鎮めた。そして石によって死者を鎮めるという祭祀には、地下に暗い死者の国があるという、古代の死生観が根底にあった。石を通じ、日本人の原初の死生観に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾七 坂東に残る平将門新皇が駆けた足跡
- 日本史上唯一「新皇」を名乗った平将門。その即位にも終焉にも、神社が深く関係する。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
日本史上唯一、自ら新たなる天皇「新皇」を名乗った、平将門。将門に関係した神社としては、東京・大手町の首塚とともに語られる事が多い神田明神など、死後の怨霊伝承を伝えるものが有名だが、「新皇」としての事績にまつわる神社もある。その一つが、群馬県前橋市の総社神社だ。当社は上野国の総社であり、他国と同じく、国司が国内の神社を巡拝する代わりに、国府の傍らに国内の神を集めて祀ったものである。将門は、常陸、下野、上野の国府を陥し、上野国府で諸国の任官を行うが、その時、一人の巫女が現われ、八幡大菩薩の神託を下す。この神託により、将門は新皇に即位したのである。この巫女や神託には、国府にあった総社が深く関与している可能性が高いと思われる。尚、中世に総社は位置が変わっており、近隣の旧鎮座地には今も宮鍋神社が建っている。ここには、将門が神託を受けた国府政庁の復元図もあり、当時の様子を偲ぶ事が出来る。将門は、茨城県坂東市の岩井に政庁を置いたが、朝廷による討伐軍はここに攻め寄せ、乱は二ヶ月程度で鎮圧された。この将門の本拠地にして終焉の地に建つのが、将門を祀る、その名も国王神社である。戦を逃れていた将門の三女・滝夜叉姫が、父の三十三回忌にあたり、木像を刻んで安置し祠に祀ったのが始まりと言われる。神社は「歴史の活断層」の標柱でもある。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之十六 島根・奥出雲 八岐大蛇と製鉄神 トーテムの物語
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
島根県南東部、中国山地沿いの奥出雲地方は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)神話の舞台。 鳥取県境の船通山は、高天原を追放されたスサノオノミコトが降臨した山とされる。 山中の鳥上滝は、出雲一の大河・斐伊川の源流で、八岐大蛇の棲み処だったと伝わる。 八岐大蛇の神話には様々な解釈があるが、その一つが「治水神話」である。 暴れ川である斐伊川を見事に治めたのが、スサノオノミコトだというのだ。 蛇や龍は、世界中の神話で水を司るものとされている。 「製鉄神話」や「征服神話」とする説もある。八岐大蛇の尻尾から、三種の神器の一つ、 天叢雲剣が出るが、これは当地の土着民を降し、鉄資源と生産を得た物語なのだという。 中央で編纂された記紀神話にある八岐大蛇退治も、出雲で編纂された風土記にはない。 これは、征服者に魔物とされた存在も、被征服者にとっては祖神であるからともいう。 さて、奥出雲地方は、古より製鉄の盛んな土地で、今もたたら製鉄を行う場所がある。 「金屋子神(かなやごかみ)」を祀る神社の総本宮、金屋子神社もあり、 全国の鉄山師の信仰を集めた。今も境内に数多くの鉄滓が置かれている。 金屋子神は、死の穢れを好むなど、通常の神道の常識とは大きく異なる信仰を持つ。 片目・片足の神や魔物などは、過酷な製鉄に従事し障害を負った民が、 ...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之八拾六 死と海と「まつろわぬ民」の熊野古道
- 浄土目指して不帰の船出する地に祀られる「まつろわぬ民」 熊野信仰の深層を探る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
日本三名瀑の一つ・那智の滝と、熊野三山の一つ・熊野那智大社で名高い、和歌山県南部の那智勝浦町。その海岸近くに、熊野三所大神社という神社が建つ。熊野三山の主祭神・熊野三所権現を祀る為にこの名があるが、元は熊野参詣路に建てられた九十九王子の一つ・浜の宮王子であった。また、明治の神仏分離までは、隣接する補陀洛山寺と一体であった。ここは、小型の木造船に行者が乗り込んで、南海の「補陀落浄土」に向かう「補陀落渡海」が行われた寺院で、行者の死が前提の儀礼だった。三重県熊野市には社殿がなく岩窟に神を祀る花の窟神社があるが、日本書紀では大母神・イザナミノミコトの墓とされており、熊野は神代より「死」にまつわる土地である事を示している。そんな熊野という地は、元々「まつろわぬ民」の土地だった。熊野三所大神社の境内には、神武天皇の仮宮跡と、地主神「丹敷戸畔(にしきとべ)」を祀る摂社があるが、日本書紀によれば、東征の際、神武天皇軍は熊野で土地の首長・丹敷戸畔を討ち、ここより内陸に入って大和を目指したとされている。紀伊半島の南端・串本町には、その名を伝える地名や、墓もある。中央の王侯貴族がこぞって参詣する一方、中央には容易に制御出来ず、熊野水軍のように日本の行く末さえも左右した熊野。海と山とが迫る当地の深層に光を当てる。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾五 阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる「大麻」
- 聖なる「大麻」を作る、神代からの祭祀氏族・忌部氏が、黒潮に乗り阿波から安房へ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
徳島県鳴門市、大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、阿波一宮。古代、阿波に勢力を誇った、忌部氏が祖神を祀った神社である。忌部氏は、出雲、紀伊、讃岐などに広がり、それぞれの地の特産品を献じた。阿波の忌部が献じたのは、麻であり、それが神社名の由来となっている。麻は、衣服の原料として重要であるとともに、神事に用いる神聖な植物でもあった。現代の神社でも祓に用いる神具の名は「大麻」であるし、御札も「大麻」と呼ばれる。そして、忌部氏は、天の岩戸開き以来の、神話にまで遡る祭祀氏族であった。「穢れを忌む」ことで神事に臨む氏族なのである。阿波の忌部氏は、朝廷の祭祀を司る忌部氏に連なる人々として、神聖な植物・麻を栽培した。その阿波忌部氏の一部は、古代、黒潮に乗って、千葉県の房総半島へ移住した。「安房」とは「阿波」にちなむ地名であり、「上総」「下総」の「総」とは、麻の古名にちなむものという。房総半島の先端近くには安房一宮・安房神社が建ち、忌部氏の祖神を祀る。他、房総には忌部氏にまつわる神社が。麻の聖性と、摂関藤原家の同族・中臣氏に役割を奪われ衰微した、古代の祭祀氏族の足跡を辿る。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾弐 尾張、下総、常陸 物部が鎮めた石の下のモノ
- 石によってこの世とあの世、人の心を鎮めた物部氏 日本人の原初の死生観とは
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
名古屋の高橋御山人の実家近くに、物部神社が鎮座する。神武天皇の時代、当地のまつろわぬ民を討って、大石を鎮めとし、それを御神体とするということだが、それは討ったまつろわぬ民の怨霊を封じた「重石」ということになる。実際、この大石は、別名を鎮撫石という。鎮撫とは、反乱を鎮める意。要石、根石の別名もあるが、これもまた「まつろわぬ民」封じの感がある。要石とは大地を鎮め地震を防ぐ呪術的な意味の石であるが、有名なものは鹿島神宮と香取神宮のものである。それらは、地表に出ている部分はわずかであるが、深く樹木が地中に根を張るように伸びていると伝わる。これらにも地震鎮めの意はあるが、両神宮の祭神は、天孫降臨に先立ち国津神を平定した武神であり、朝廷黎明期の勢力圏の端にあって、両神宮には北の蝦夷に睨みを利かす意味がある。また、鹿島の神は中臣氏の氏神であり、古代には神事を司る氏族としてより上位の、物部氏の包括下にあったという。香取の神は、物部氏が石上神宮にて直接祭祀を行っている神である。物部氏は軍事をもってまつろわぬ民を平らげ、神事をもってその怨念を鎮め、支配地の人心を鎮めた。そして石によって死者を鎮めるという祭祀には、地下に暗い死者の国があるという、古代の死生観が根底にあった。石を通じ、日本人の原初の死生観に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之六拾参 岩手・江刺 まつろわぬ経清 斯く戦えり
- 朝廷を裏切り、蝦夷に味方した奥州藤原氏の祖・藤原経清 そこに武家文化の淵源を見る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
其之五拾九「岩手・衣川 命懸けで詠む歌の真髄」でも取り上げた、岩手県奥州市。そこはアテルイから安倍氏、奥州藤原氏へ至る、古代東北史の舞台だ。北上川東岸の旧江刺市には、奥州藤原氏初代・清衡とその父・経清の居城であった豊田館跡や、経清と一族郎党の墳墓と伝わる五位塚がある。式内社・鎮岡神社(しずめがおかじんじゃ)も鎮座する。清衡は、豊田館跡の鎮守としてこの神社を尊崇、社殿の修造や荘園の寄付を行ったという。江戸時代には、中部・東北・北海道を旅した博物学者・菅江真澄も参拝し「畏しな荒ぶるとても幣取らば心鎮めの岡の神籬」という歌を残している。神社名にかけ自らの心を鎮める歌と解されるが、この神社が荒ぶる神を鎮めている事を、言外に仄めかしているようにも思われる。鎮岡神社は五位塚の麓に鎮座し、その地名も五位塚であって、それと無関係とは思われないからである。藤原経清は五位の官人でありながら朝廷に背き、蝦夷の末裔・安倍氏と共に前九年の役を戦って源氏に辛酸を舐めさせ、敗れた後、鋸挽きで処刑されたという。一方で、それが明言されないのは何故か。それは潔き武将を怨霊とせず貶めまいとする、敬意があるのではないか。勝敗や敵味方に関係なく、猛き者、智き者を尊ぶ、独特ながらも日本文化の主軸の一つとなった、高潔なる武家の精神文化の発祥を探る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾六 東京にも残る古代の石神信仰 ルーツは諏訪に
- 東日本に残る古代信仰「石神」、その根源は諏訪の「ミシャグジ神」にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
高橋御山人が毎日通る道沿いに鎮座する、東京都板橋区の天祖神社。その境内には「天孫降臨の頃」より存在したという男根型の石「おしわぶきさま」が祀られている。それは柳田國男の「石神問答」で指摘された、古代より東日本に広がっている「石神」である。そこからそう遠くない、練馬区石神井の石神井神社には「神代以前の石剣」を御神体とする石神井神社があるが、この石神井という地名も「石神」信仰に由来するものという。そして、各地に残る石神信仰のルーツを遡って行くと、諏訪の土着神「ミシャグジ神」の信仰へと辿り着く。それは、精霊崇拝的な原始信仰であり、近代以前は「神長官(じんちょうがん)」の役職を世襲する守矢家がその祭祀を司った。諏訪には、記紀神話とは異なる神話も伝わっており、守矢家は、皇室と同等の古さを誇る家だという。そのような原初的な信仰を伝える諏訪の祭祀には、串刺しにした兎や、鹿の生首を大量に供える血生臭いものもあり、諏訪大社は、仏教の教理に基づき建前上肉食禁止であった中世の日本において、狩猟と肉食の許可状を発行する唯一の神社でもあった。諏訪は、縄文文化が栄えた地でもあるが、諏訪大社の狩猟との関連は、狩猟が盛んだった縄文由来のものとも言われる。「平地」とは異なる「山」の原初的信仰と、そのセンターである諏訪について考察する。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之八拾八 喜界、奄美 下 神々や天女の天降る島々
- 琉球神話と同系の神々の降臨、シャーマンや遊女につながる天女、南島の天降る神話伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
奄美大島には、日本神話とは異なる体系の神話がある。奄美の神話では、女神アマミコと男神シニレクが降臨したのが、島の始まりという。降臨した地「アマンデー」は今も聖所として残り、それを拝む阿麻弥姑神社(あまみこじんじゃ)も建つ。なお、二神は降臨後島伝いに南下したというが、琉球神話開闢の神も天降ったアマミキヨとシネリキヨであり、酷似する。アマンデーと、琉球王朝の最高の聖所・斎場御嶽もよく似ていて、これらは琉球王朝の奄美征服により持ち込まれたとも、逆に奄美が発祥で琉球に伝わったともいう(アマミコこそ「奄美」の地名由来ともいう)。このような神話や、ノロ、ユタといった巫女の存在など、琉球と共通する精神文化は多い。ノロは、元々琉球王朝が各地域の統治の為に設置した女神官であるが、江戸時代以降、薩摩藩が直接統治するようになっても、村落の司祭として存続し、今でも一部で続いている。扇や勾玉など、その神具も独特であり、喜界島ではその装束が「天女の羽衣」として伝えられて来た例もある。天女は奄美群島では「アモレウナグ」と呼ばれ、喜界島には天女を祀る天降神社が建ち、奄美大島にも伝承が多数残るが、それはノロと、遍歴の遊女の双方につながっている。日本、琉球の古層文化に通ずる、奄美群島の「天降り」神話伝説を追う。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾 まつろわぬ「鬼」達 日本史の裏側(特別対談)
- 作品の多くに共通するテーマ「まつろわぬ民」や「鬼」。その頂点に「天皇」が!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 43 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
本シリーズも第九十社。テーマは言うまでもなく「神社」だが、作品の多くに共通するテーマとして「まつろわぬ民」や「鬼」がある。それは高橋御山人が長年運営しているWEBサイト「邪神大神宮」のテーマでもある。いずれも朝廷や幕府といった時々の権力に容易には従わなかった人々であり、本シリーズは第一社からしてアテルイがテーマで、各地の土蜘蛛を度々取り上げ、鬼女紅葉、酒呑童子、温羅等、「鬼」そのものも数多く紹介した。隼人の首領とされる弥五郎どんや、飛騨の両面宿儺等、「まつろわぬ」族長の影が濃い存在も登場している。傀儡子師や木地師といった、非農耕非定住の漂泊民も取り上げた。彼らも農耕定住を基盤とする日本の歴史的統治体系からすれば、一種の「アウトサイダー」であり、「まつろわぬ民」や「鬼」につながっている。非農耕の産鉄民をテーマとした回もあるが、農耕民から異様に見られた彼らは、「鬼」のルーツの一つである。こうして振り返ってみると、その一つの極、頂点に、後醍醐天皇という存在が浮かび上がって来る。天皇という体制の頂点にありながら、体制を破壊し再構築しようとした後醍醐天皇こそ、究極の「まつろわぬ」存在であり、「鬼」ではないか。そしてそれは、一般の認識とは異なる「天皇制」の別側面の象徴でもあった。「日本史の裏側」を透視する特別対談。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾弐 宮崎・椎葉 「ヤル気」満々 平家の落人
- 宮崎の秘境・椎葉村 那須与一の弟と合流した平家の落人達は、再起を図る意欲満々!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
宮崎県西部、険しい山の谷あいにある秘境・椎葉村。伝承によれば、壇ノ浦で敗れた平家が落ち延び隠れ住んだが、源頼朝の命で那須与一の弟・大八郎が追討にやって来る。が、狩猟や焼畑など、山の暮らしで精一杯で、戦闘意欲を捨てた落人達を見て、便宜を図り、ともに暮らしたという。大八郎は、落人達のために、平家繁栄のシンボル・厳島神社を勧請さえした。さらに、平家の女官である鶴富姫と結ばれ、一子設けたという。大八郎はやがて頼朝の召還命令により椎葉を去るが、鶴富姫は娘に婿を取り那須姓を継がせ、その子孫が代々椎葉の庄屋を継いだ。その那須家の江戸時代の邸が今も椎葉に残っており、「鶴富屋敷」と呼ばれている。しかし、この鶴富屋敷や、椎葉村北部の十根川集落は、斜面に石垣を築いて屋敷を構えており、まるで山城に見え、十分に戦闘意欲を感じさせる。十根川には、大八郎御手植えと伝わる樹齢八百年の杉が聳える十根川神社があるが、これは彼らが再起を図ることを誓った記念碑のようにも見える。神仏習合色を残した神楽や、呪術性の強い正月行事、猪のお供えなど、山深い地ゆえの独特の文化が見られ、柳田國男も「後狩詞記」を著し「日本民俗学発祥の地」と言われる椎葉。その源泉たる「落人のエネルギー」を探る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾 大分・熊本 まつろわぬ土蜘蛛 その核心は!!
- 九州に数多い「まつろわぬ」土蜘蛛の伝承。その核心は大分と熊本の間にあった!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
大分県南西部山間、竹田市や豊後大野市は、日本書紀や豊後国風土記に、土蜘蛛にまつわる伝承が数多く記されている地である。竹田市久住町の宮処野神社(みやこのじんじゃ)は、景行天皇が土蜘蛛征伐にあたり陣を構えた地とされる。そこから南に行軍したところ、土蜘蛛の抵抗に遭い、一旦退却した地が、同じ竹田市の城原八幡社(きばるはちまんしゃ)、その南西、やはり同じ市内の、阿蘇外輪山の麓の禰疑野神社(ねぎのじんじゃ)が、三人の精強な土蜘蛛、ウチサル、ヤタ、クニマロの本拠地で、三人はここで天皇に討たれたという。また、豊後大野市の知田(ちだ)は、アオ、シロという二人の土蜘蛛を討ち、血が大量に流れたので「血田」と呼ばれたのが地名の起源という。一方、豊後大野市には、景行天皇を食事でもてなした、シノカオキ、シノカオミという土蜘蛛の伝承もある。なぜ、この地域にはこんなにも土蜘蛛の伝承が多いのか。そのヒントは、山を越えた、熊本県側にあった。肥前国風土記は、禰疑野の土蜘蛛と同じウチサルという名の土蜘蛛が、熊本市近郊の山にいたと伝え、それを討ったのが、市内の健軍神社の祭神・タケオクミノミコトという。この二つのウチサル伝承地の中央には、阿蘇山が聳える。そこは、神代より戦国を経て今まで続く、阿蘇氏の治める地であった。九州土蜘蛛伝承の真相に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾五 京都・粟田口 昔も今も刀剣に神宿る
- 能から女性向けゲームまで!伝統文化とサブカルチャーが交錯する日本刀の聖地
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
京の出入口「京の七口」の一つとして、古くから知られた粟田口。京都盆地東端のこの地は、古代、五代孝昭天皇の子孫・粟田氏が鉱物採取や粟、瓜の生産を行ったという。平安時代には、清和天皇の勅により、祇園の八坂神社の疫病鎮めの神・牛頭天皇を祀る社が建立された。八坂神社は感神院とも呼ばれた為、こちらは感神院新宮と呼ばれたが、これが現在の粟田神社である。鉱物資源に恵まれていた為か、粟田口近辺には、古より刀工が数多く住んでいた。その中でも代表的なのが、平安時代の三条小鍛冶宗近と、鎌倉時代の粟田口藤四郎吉光で、古代からの製鉄の神・天目一箇神とともに、境内の末社・鍛冶神社の祭神となっている。特に、三条小鍛冶宗近は伝説的な存在で、一条天皇の宝刀「小狐丸」は、稲荷明神が化身した童子が合槌を打って完成したといい、その稲荷の神は、粟田神社境内摂社の北向稲荷神社や、粟田神社と三条通を挟んだ向かいに建つ合槌稲荷神社に鎮まるという。この伝説は、謡曲「小鍛冶」の題材となっていて、能や神楽、歌舞伎等の伝統芸能を通じ広く知られて来たが、近年、名刀を美男子として擬人化した「刀剣乱舞」でも取り上げられ、若い女性にも三条小鍛冶宗近の名が知られるようになった。今も昔も、「刀剣に神が宿る」地、粟田。ここに伝統文化とサブカルチャーの交錯を見る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之八拾四 長崎・対馬 国境の島の太陽信仰
- 天照大神のルーツの一つがあり、中世には「お天道様」を崇めた、国境の島の太陽信仰
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
朝鮮半島と九州の間に浮かぶ巨大な離島・対馬。南北約80kmの細長い島で、九州までは100km以上あるものの、韓国までは50km弱の距離にあり、天気が良ければ朝鮮半島を望む事が出来、夜には釜山の夜景が見られる事もある。その地理的な条件により、古代から朝廷に重視され、式内社が非常に高密度に存在する。島の中程に鎮座する阿麻氏留神社(あまてるじんじゃ)もその一つで、天日神命(アメノヒミタマノミコト)を祭神とするが、これは天照大神のルーツの一つと言われる。古史古伝には「アマテル」なる男神の太陽神を伝えるものもある。壱岐が月読神のルーツとされる「月信仰の島」であるのに対し、対馬は「太陽信仰の島」なのである。対馬の最南端・豆酘(つつ)の多久頭魂神社(たくづたまじんじゃ)も、式内社であるが、ここは中世、天童菩薩信仰の中心地として栄えた。天童菩薩は、天道法師とも呼ばれる、対馬独特の神仏習合の神であるが、「お天道様」に通ずる、太陽信仰である。対馬北部の海沿いには、やはり式内社の天神多久頭魂神社(てんじんたくづだまじんじゃ)が建ち、こちらも豆酘と並ぶ天道信仰の聖地である。石垣で囲まれた境内に社殿はなく、囲いの中に鏡が青空の下に祀られていて、沖縄の御嶽を彷彿とさせる。独特の太陽信仰を肌で感じた、「国境の島」高橋御山人若かりし日の滞在記。
-
-
写真が見らないからなんのこっちや?
- 投稿者: Amazon カスタマー 日付: 2022/11/16
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾八 福島・棚倉 土蜘蛛、サンカ 物語が紡ぐ明日
- 土蜘蛛の姫、日本武尊の征伐、「神」の名を冠す生き残り、サンカ。奥州一宮の物語。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
福島県南部の棚倉町に建つ都々古別神社は、陸奥国一宮。棚倉には、馬場、八槻の二ヶ所に都々古別神社があるが、どちらも奥州一宮である。奥州では、はるか北に位置する宮城県塩竈市の鹽竈神社も一宮であるが、これは時代による朝廷勢力圏変遷の影響で、当地はより古い時代の中心地であったと思われる。それを窺わせるのが、近隣の建鉾山で、古代の祭祀遺跡が発見されているが、この建鉾山こそが両都々古別神社創建の地であり、日本武尊による東征の際、ここに鉾を立てて神を祀ったとされる。陸奥国風土記逸文には、その時の様子が詳しく記されており、太古、この地には八人の首長に率いられた土蜘蛛がいたという。そのうち二人は姫の名を持つ女性であった。この土蜘蛛は強大で、朝廷側の国造を敗走させる。そこで、日本武尊が官軍とともに征伐に来るのだが、土蜘蛛は津軽の蝦夷と共謀し、砦に多数の弓を連ね張って、官軍は手を焼く。しかし日本武尊が放った八発の矢は、見事八人の首長を射抜き、それらは全て根付いて芽が生え、槻の木になった。そこでその地を八槻と呼んだという。また、八人のうち「神」の名を冠す二人は許されて(うち一人が女性)、子孫が当地に住むと書かれている。その棚倉で、御山人は偶然にも「サンカ」が営む店を発見!「今」を生きる人々にとっての古の「物語」の意味を考える。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之十二 茨城・日立 星を司る「最強」の まつろわぬ神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
茨城県日立市に鎮座する、大甕倭文(おおみかしずり)神社。 この神社の境内には、「宿魂石」という、山のような巨岩があるが、 神話に登場する星の神・天津甕星(あまつみかぼし)、別名香香背男(かがせお)を、 倭文の神・建葉槌命(たけはづちのみこと)が討ち、ここに封じたものだという。 天津甕星は、国譲りのあたり、天孫降臨に先立って様々な国津神を平定した場面に、 わずかに登場する神だが、出雲で国譲りを成し遂げ各地を平定した、 建御雷命(たけみかづちのみこと、鹿島神宮の祭神)と、 経津主命(ふつぬしのみこと、香取神宮の祭神)にも従わず、 ついに建葉槌命によって討たれたのだという。 この神話は謎だらけだ。まず、天津甕星は国津神ではなく、 「高天原にいる悪神」だとされていること。つまり天津神なのだが、 天津神にして天照大神に従わない神が存在すること自体、神話上不合理だ。 せいぜいが暴虐を働いた須佐之男命くらいだが、それでも最終的には従っている。 建葉槌命も他に伝承のほとんどない神で、織物の神だが、武神・雷神の建御雷命や、 剣神・経津主命でも平定できなかった悪神を、なぜ織物の神が討伐できたのかも謎だ。 日本神話では、明確に星の神だと書かれているのが天津甕星のみという謎もある。 星の名を持つ神も、他に物部氏の神話にわずかに登場するのみ。 ...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾五 沖縄・与那国 犬と女に始まる最西端の歴史
- 犬と女の暮らしから始まり、怪力の女酋長が治めたという、日本最西端の「伝説の島」
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
日本最西端、台湾まで約百キロ、沖縄県の与那国島。沖縄本島はもちろんのこと、八重山諸島の主島・石垣島からも遠く隔たった、正真正銘「絶海の孤島」である与那国島は、世界最大の蛾「ヨナグニサン」が生息し、「カイダー文字」という独自の象形文字も残る、自然も文化も極めて特異な土地である。中心集落・祖納(そない)に建つ十山神社(とおやまじんじゃ)は、沖縄特有の聖所・御嶽(うたき)が近代になって神社とされたものだが、与那国では、沖縄の他の地域と異なり、特に立入を禁止していないという。入口に鳥居はあるが、社殿は琉球建築であり、内部に香炉や「真天照」の文字が掲げられるなど、独特な様式である。この神社は、最西端の神社でもある(厳密には島のもっと西にも祠はあるが)。その祖納集落を見下ろす山の中腹にある岩窟「イヌガン」は、与那国の始祖たる女と犬が住んだ伝説がある。その奥にあるより大きな岩窟「ティンダハナタ」は、与那国の聖地であり、中世与那国の伝説的女酋長、サンアイ・イソバが住んだ場所と伝わる。彼女は巨体・怪力の持ち主で、霊力あるシャーマンでもあり、六つの乳房を持っていたともいう。与那国を支配下に置こうとやって来た琉球王朝軍を撃退したとも言われる。「ヤマト」とも「琉球」とも違う、日本最西端の島の独特な民俗を巡る旅の話。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾九 三重・斎宮 最高位の巫女 斎王の真実
- 古、皇族女性より選ばれ、伊勢の神宮に仕えた斎王。その衝撃的な真相とは?!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
朝廷には、かつて「斎王」という制度があった。天皇の即位に伴い、その在位中、未婚の皇族女性が最高位の巫女として、伊勢の神宮に仕えるものである。起源は、朝廷黎明期、宮中より天照大神を遷し、皇女・倭姫命が遍歴の末に伊勢に祀ったという神宮の創建伝承にあるが、歴史的に確実に遡れるのは、天武天皇の治世である。最盛期は平安時代だが、平安後期には衰退し始め、後醍醐天皇の治世を最後に断絶した。斎王は、年数回の祭典の他は、神宮の十数キロ北西に居住し、その御所は斎宮と呼ばれた。遺構は現在の三重県明和町で発見されていて、非常に広大である。その核心たる斎王の御座所のあった内院は、現在、竹神社が鎮座するあたりにあった。当神社は神宮鎮座以前から当地にあった豪族の祖神を祀り、子孫は竹連といい、斎宮は「竹の都」とも呼ばれた。斎王は、当然ながら身を清浄に保つ事が重視されたが、かといって常に厳格な暮らしをしていた訳でもない。斎宮は文学サロンとして賑わっていたし、当時の文学作品にも登場する。「伊勢物語」に至っては、在原業平と斎王のスキャンダルが仄めかされている。腐敗した斎宮頭を「神託」を通じ糾弾したせん子女王のような斎王もおり、詳細に見れば見る程、現代的な「巫女」のイメージとは異なる存在である事が分かる。古代の朝廷における神道祭祀の核心を探る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四 山形・秋田県境 鳥海山の荒ぶる「物忌」の神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
東北の日本海側に聳える二千メートル級の独立峰・鳥海山。 その神を祀る、ただならぬ名を持つ大物忌神社は、 出羽国一の宮であり、古くから朝廷に重んぜられて来た。 そこには、一体どんな背景があるのか。 ○鳥海山は、度々噴火を繰り返して来た活火山であった ○出羽の蝦夷は屈強で、なかなか朝廷に従わなかった ○火山と蝦夷、これら「荒ぶる」存在を鎮めるという意図があった ○手長足長という、「まつろわぬ民」を彷彿とさせる妖怪の伝承も 手長足長という妖怪は、羽前・羽後国境の有耶無耶関にあって人々を悩ませ、 大物忌神が天より火を降らせて滅ぼしたとも、慈覚大師が法力で退治したともいう。 この関を越えて行った松尾芭蕉は、松島と同じような象潟の風景に魅せられた。 多数の小島が浮かぶ象潟は、鳥海山の噴火に伴う地震によって隆起して陸地となった。 このほか、周辺の土地には、いくつもの注目すべき史跡や伝承がある。 ●麓の沿岸には、「なまはげ」で有名な男鹿と対になる、女鹿という地名がある ●女鹿の近くには、荒磯に刻まれた巨大な石仏群、羅漢岩が立ち並ぶ ●沖に浮かぶ飛島は、鳥海山の頭が飛んで行って出来たと伝わる ●その飛島には、小物忌神社が建ち、蝦夷が住んだという人骨の見つかった洞穴もある 万年雪の斜面を踏み越え、荒ぶる神の住む山に挑み、 ...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾六 徳島の山間 高知の秘境 四国の猫神様
- 「犬神」だけではなかった!四国の山間に鎮まる「猫神」の神社とその伝承を訪ねて
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 33 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
「犬神」で知られる四国だが、「猫神」を祭る神社もある。徳島県阿南市の「お松大権現」もその一つ。江戸時代、当地の庄屋・惣兵衛が、近在の富豪・野上三左衛門から金を借り、不作で困窮する村を救った。その後借金は返済するが、証文を取りそびれたまま惣兵衛は病死する。惣兵衛の妻・お松は、何度も証文を請求するが受け取れず、逆に未返済だと偽られ、担保の土地も取られてしまう。お松は奉行所に訴え出るが、奉行も富豪に買収され、下された裁きは不当だった。意を決したお松は、藩主に直訴、その罪により処刑される。残された愛猫・三毛は、化け猫となって三左衛門と奉行の家に現れ、両家は断絶、仇を討った。そのお松を村人が祀ったのが「お松大権現」だという。仇討ちの成功譚から、勝負や受験の神として信仰され、境内には夥しい招き猫が奉納されている。また、高知県南西部、足摺岬近くにも関わらず、全く海に接していない内陸の三原村には「猫神様」が祀られている。戦国時代、土佐南西部を治めた一条氏の姫君・椿姫の屋敷が当地にあったが、姫が何者かにさらわれ、姫の乳母や飼い猫も姫を探したが見つからず、乳母は滝に身を投げて自殺、猫も何も食べず衰えて死んだので、里人達が祠を造って祀ったという。猫神様は喘息や胸の病に霊験があると言われる。四国山間の「猫神信仰」を考察する。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾五 茨城・行方 有角蛇・夜刀神 物語に生きる魂
- 常陸国風土記の「まつろわぬ」角のある蛇・夜刀神 「物語化」によって魂を語り継ぐ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 33 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
霞ヶ浦と北浦に挟まれた、茨城県南部の行方市。古より行方郡と呼ばれ、常陸国風土記にも、沢山の物語が掲載されている地である。その一つに「夜刀神」の物語がある。継体天皇の時代、箭括氏麻多智(やはずのうじまたち)が、谷あいの土地を開墾し田としようとしたところ、頭に角のある蛇「夜刀神(やとのかみ)」が沢山現れ、妨害した。そこで麻多智は夜刀神を打ち殺して追い払った。そして山と田との境界の堀に杖を立て、山を夜刀神の土地、田を人の土地とすることを宣言し、麻多智が子々孫々神として祭ることとした。さらに、孝徳天皇の時代、壬生連麿(みぶのむらじまろ)が、この谷の池に堤を築こうとした時には、池のほとりの椎の木の上に夜刀神が群がって登り、去ろうとしなかったので、壬生連麿が工事で使役していた人々に打ち殺すよう命ずると、逃げ隠れた。このような話が書かれている。麻多智が神を祭った場所は、行方市玉造の愛宕神社と言われており、その手前に湧く泉が、壬生連麿が堤を築こうとした「椎井の池」だという。謎多き夜刀神の伝承であるが、同じ風土記の行方郡の記事には、数多くの「まつろわぬ民」が登場し、彼らとの関係が窺われる。また、彼らを討つ日本武尊の記述も多いが、風土記では日本武尊を「天皇」としている。物語に託された古の人々の魂を読み解く。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾弐 阿波に眠る水の女神・アマテラス
- 五角形の祭壇を頂く古墳を拝む阿波一宮は、天照大神の葬儀を伝える
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 34 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
諸国において最も格式が高い神社とされる一宮だが、時代による変遷等の影響で、一国に複数存在する場合もある。阿波国には四社存在し、その一社、大麻比古神社は、当シリーズの第弐拾五社「阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる『大麻』」で紹介した。今回取り上げる八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)も、阿波一宮の一社である。当社は、徳島市西方の杉尾山に鎮座するが、麓には阿波史跡公園があり、縄文時代から中世にかけての巨大遺跡が存在する。徳島有数の古墳地帯で、「国府町」の地名の通り、阿波国府があった場所でもあり、古代、繁栄した地であった。社殿は、前方後円墳の前に立っており、その古墳は「奥の院」と称され、上にこの地域の特産「阿波の青石」で築かれた、五角形の祭壇が鎮座している。また、当社に伝わる古文書には、何と天照大神の葬儀の様子が事細かに記されている。これらを踏まえ、当社の古墳こそが、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もある。さらに、折口信夫によれば、天照大神は三種に分かれるが、阿波ではその一つ、水の女神として信仰されているという。、すぐ近くに五角形の井戸を持つ「天乃真名井」があり、かつては社殿の瓦に龍の浮彫があったなど、水との関わりは深い。特異な「神の死」伝承の意味を考える。(カバー画像のイラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著者・長緒鬼無里氏による。同作品には高橋御山人の解
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之六拾七 吉備から大和へ 物部の司る石上神宮の遷座
- 神事と軍事を司る物部氏が神剣の神霊を祀る石上神宮は、吉備より遷されたものだった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
奈良県天理市の石上神宮は、大和朝廷に重んぜられた、極めて古い歴史を誇る神社である。主祭神は、天孫降臨前の国津神の平定や神武東征で使われた、神剣・布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊とされ、その祭祀は、神事と軍事を司る物部氏が行っていた。明治に禁足地を調査したところ、古代の七支刀が発見された事でも知られる。祭神の一柱には、スサノオノミコトが八岐大蛇を斬った剣も含まれているのだが、一方で、日本書紀には八岐大蛇を斬った剣は吉備にあると書かれ、古語拾遺には後に石上神宮へ遷されたとある。その吉備の、剣があったという場所に建つのが、岡山県赤磐市の石上布都魂神社である。この神社の社伝によれば、八岐大蛇を斬ったその剣こそが、布都御魂剣という。岡山県の山間部に鎮座するこの神社は、山の麓に建つが、かつては山頂に社殿が営まれ、今もそこには大きな磐座がある。そこは石上神宮と同じく、禁足地となっている。神社の宮司は、今も物部姓だ。この近くには、弓削という地名もある。弓削の名が付く地名は全国にいくらかあり、それは道鏡を輩出したことで有名な古代の氏族・弓削氏の住んだ場所であるが、弓削氏とはその名の通り武器製作を生業とした民で、物部氏の一派であった。神話に遡る石上の信仰と、磐座の祭祀。古の人々が重視した「石」の意味に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之十五 奈良・飛鳥 文化揺籃の地の 巨石と性の信仰
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
奈良県の飛鳥地方は、古代に都が置かれた、日本文化揺籃の地。 そこは、著名な石舞台古墳をはじめ、数多くの巨石構造物が残る地でもある。 それらのうちの幾つかは、大洪水の伝承や、ゾロアスター教の拝火台説など、 使途不明で、奇妙な言い伝えが残る、謎に包まれたものも少なくない。 そんな飛鳥の中心地に「飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)」が鎮座する。 飛鳥に都が置かれる以前から当地に鎮座する、出雲系の極めて古い神社であるが、 境内には数多くの男根と女陰の形の石が祀られており、飛鳥巨石文化の一部を成す。 この神社に伝わる「お田植祭(おんだまつり)」も、奇祭として知られる。 豊作と子孫繁栄を祈るこの神事では、天狗とオカメが性行為の踊りを奉納する。 現代では、前近代的な奇習としてばかり注目されがちなこういった文化も、 かつては家や村落の存続を賭けた、真摯な祈りが込められたものであった。 何となれば「子作り」は、現代においても、人工授精・体外受精など、 先端科学の粋を集めてでも成し遂げたいと願う人々も少なくない、 「自然の神秘」に左右される、困難で切実な事象だからだ。 近代以前の、生存率の低い社会にあっては、「子作り」はまさに神頼みであった。 子のない夫婦が神に祈って超人的な子を授かるのは、民話の定番でもあるし、 ...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾八 大阪・阿倍野 白狐が生んだ安倍晴明
- 白狐の化身の女性が通い、安倍晴明が生まれた、豪族・阿部氏の根拠地、大阪・阿倍野
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
稀代の陰陽師・安倍晴明ゆかりの地と言えば、京都の晴明神社や一条戻橋が有名だが、大阪・阿倍野の安倍晴明神社も欠かせない。安倍晴明という占術の大家を祭神とし、「拝み屋」文化の盛んな大阪だけあって、境内の占いコーナーで東洋・西洋の占い師が日替わりで相談に乗ってくれるこの神社は、晴明出生の地に祀られたものだが、そもそも阿倍野という地名は、古代豪族阿部氏の根拠地であったことに由来する。そして、当地に住んでいた安倍保名(やすな)が、「信太の森」で白狐を助け、その狐が化けた「葛の葉」という女性が保名の元へ通い、やがて生まれたのが晴明という伝説がある。正体を知られた葛の葉は「恋しければ信太の森まで訪ねて来い」という歌を残して去り、保名と晴明が訪ねたところ、葛の葉が現れて、神秘的な力を持った霊宝を授けたという。この伝説は、人形浄瑠璃や歌舞伎の題材ともなっているが、阿倍野からいくらか南に離れた和泉市に信太森葛葉稲荷神社が建ち、伝承地となっている。また、安倍晴明神社の隣に建つ阿倍王子神社は、熊野参詣路の九十九王子の一つで、信太も熊野参詣路の途上にあった。人と物とが行き交う街道筋に、異能者の異常出生譚の背景を探る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾九 奈良・初瀬 「大和の出雲」に菅公鎮まる
- 古からの父祖ゆかりの地に菅原道真公が自ら鎮まり「コンテンツの聖地」となった初瀬
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
奈良県桜井市、大神神社の神体山・三輪山の南麓の初瀬の地に、天武朝創建の古刹として名高い長谷寺がある。その参道西の山の中に、與喜天満神社が鎮座している。天満神社の名の通り、祭神は菅原道真公であるが、他の天満宮のように「怨霊鎮め」の為に建てられたのではない。長谷寺の鎮守・瀧蔵権現の勧めによって、自ら雷神としてこの地に鎮まったという。それは、当地の道真公の出自との深い関係による。長谷寺参詣の土産として古くから親しまれ、今も参道で売られている「出雲人形」という土人形があるが、それは近隣の出雲集落で作られている。大和にあって出雲という不思議な名を持つこの地は、古代、当麻蹴速との相撲の為に出雲より呼び寄せられ勝利した、野見宿禰ゆかりの地で、皇后の葬儀において、殉死に代わって埴輪を供える事を提案した話が、日本書紀にある。これが出雲人形の発祥とされ、野見宿禰の子孫は土師氏を称した。その後、土師氏の一部は、菅原氏を名乗る。道真公はその出身である。道真公は、父祖ゆかりの地に自ら鎮まったのである。なお、與喜天満神社は、中世、神前で連歌の行われる場所としても名高かった。歌人としても名を轟かせた道真公は、連歌の守護神でもあったのだ。更級日記では夢告を授かる場所としても描かれる初瀬。古の「コンテンツの聖地」巡礼記。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾六 大蛇VS大ムカデ 北関東のラグナロク
- 日光男体山の神と、赤城山の神が、大蛇と大ムカデに化身して戦った、戦場ヶ原の伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
世界的な観光地・日光の一角を成す戦場ヶ原。標高約1400mの高原に広がるこの湿原は、名前の通り古戦場であるが、その戦いは人と人との戦いではなく、神々の戦いである。伝説によれば、この近くの中禅寺湖を巡って、日光男体山の神が大蛇に、赤城山の神が大ムカデに化けて戦ったが、自らの子孫である弓の名手・小野猿丸の加勢により、男体山の神が勝ったという。男体山を神体山とするのは二荒山神社で、山頂に奥宮、中禅寺湖畔に中宮祠、東照宮に隣接して本社が建っている。一方、県境を越えた群馬県の赤城山には赤城神社があり、山頂のカルデラ湖・大沼湖畔と、南麓の三夜沢に鎮座する。また北麓の老神温泉は、戦場ヶ原で敗れた赤城山の神が、湯で傷を癒し、男体山の神を追い払ったため、「追神」と呼んだという地名由来がある。ただし、当地の伝説によれば、赤城山の神が大蛇に、男体山の神が大ムカデに化けたとされる。そもそも赤城山では大蛇信仰が強く、赤城神社の祭神は、古代、赤城山の龍神に助けられ、その後を継いだ豪族の娘・赤城姫ともされる。一方、三夜沢の赤城神社には、藤原秀郷が植えたという「俵杉」があるが、秀郷には琵琶湖・竹生島の龍神の依頼で、三上山の大ムカデを退治したという伝説がある。北関東の「ラグナロク(北欧神話における神々の最終戦争)」の謎に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之八拾五 島根・隠岐 「戦う天皇」配流の島々
- 後鳥羽帝、後醍醐帝、幕府と戦って配流となった天皇の足跡を、隠岐の島々に訪ねる
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
島根半島の北、約50kmの沖に浮かぶ隠岐諸島。本土に近い知夫里島、中ノ島、西ノ島から成る島前、その沖の島後島一島のみの島後と、大きく二つの地域に分かれている。神話の国・出雲の沖に浮かぶだけあって、古い歴史を今に伝えており、島後の玉若酢命神社(たまわかすのみことじんじゃ)は、古代からの国造・億岐家(おきけ)が、代々宮司を務めている。ここには、現存唯一の、律令時代に朝廷から支給された駅鈴が、今も保管されている。日本海を挟んで新羅や渤海といった国々との交渉もあり、隠岐国一国を成した。このように、都からはるか遠くの離島とは言え、古代から栄えて来た隠岐であるが、平安時代以降は、小野篁始め、数多くの人々が流刑に処される地となった。特に中世、後鳥羽、後醍醐と、二帝が流されて来た事は特筆すべきである。後鳥羽上皇は、承久の乱に敗れた後、島前の中ノ島に流され、ここで十九年を過ごして崩御した。現在も行在所跡や御火葬塚が残り、隣接して隠岐神社が建っている。後醍醐天皇は、倒幕に失敗して流されたが、一年後に脱出し再び挙兵して幕府を滅ぼし、建武の新政を行った。隠岐滞在時の行在所は、島後の隠岐国分寺とも、島前西ノ島の黒木御所とも言われる。今、黒木御所跡には、黒木神社が建っている。配流の島々に、二人の「戦う天皇」の見果てぬ夢を見る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其の二 宮城・秋田 古代東北のまつろわぬ信仰
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 48 分
- 完全版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
大学卒業前、御山人が青春18きっぷ片手に、一人で行った東北旅行。 困難に満ちた道程を経てたどり着いたのは、多賀城・アラハバキ神社。 かつて「東北に朝廷に対抗する古代王国があった」とする内容で、 偽書騒動を巻き起こしたアラハバキ神とは何なのか?改めてその謎を掘り下げる。 ○手足の長い「まつろわぬ民」の荒ぶる魂 ○陸羽東線沿線にも篤く信仰されるアラハバキ神社が ○国譲りに納得出来ず?!三河の荒ぶる大国主命 ○怨み荒ぶるのは大陸的か それを鎮めて習合した日本の信仰 卒業旅行二日目は、冬の奥羽山脈を越え、秋田県へ。 後三年の役の古戦場で、腰まで雪に埋もれつつ訪ねたのは、 蘇我氏に滅ぼされた古代豪族・物部氏の末裔が守って来た唐松神社。 そこに満ちた数々の謎に挑む。 ●堀を巡らした三角錐の石積みの上に建つ社殿 ●神社の古文書には、物部氏の祖神が鳥海山に降臨し、出羽こそ物部の故郷と ●仏教を拒否して追われた神道を奉じる物部の「物」とは物の怪の「物」 ●「まつろわぬ民」と血縁を持ち、「韓をまつろわせた」物部氏 そして、「まつろう」「まつろわぬ」ことの現代的解釈や意義をも問います。 流行に「まつろう」ことなく、孤高の旅の中で見出したものとは。 語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之参拾八 群馬と愛知 羊をめぐる神社の不思議
- 日本に二社のみ存在する「羊神社」 和銅と「まつろわぬ民」のミステリー
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
群馬県東部の安中市に「羊神社」がある。集落の外れにある小さな神社ではあるが、境内には狛犬と別に「狛羊」もあり、干支にちなんで未年には多くの参拝者が訪れる。その名は「羊太夫」に由来する。羊太夫は、秩父で日本初の銅を見つけ、その功績により、上野国に新設された多胡郡を朝廷より与えられたという。「羊」という人物に多胡郡を与えたことは、「続日本紀」や、羊神社より少し離れた高崎市内に残る「多胡碑」(日本三碑の一つに数えられる古代の石碑)にも刻まれている。伝説によれば、羊太夫には八束脛(やつかはぎ)という神通力を持つ従者がおり、その力で空を飛んで、毎日都へ上り、参内していたという。しかし、あるとき好奇心に駆られて、羊太夫が八束脛の腋の羽を抜いてしまうと、空を飛べなくなり、参内出来なくなってしまう。その為、朝敵として討たれてしまったといわれる。一方、八束脛は金色の蝶に化身して飛び去り、群馬県最北部の水上にある、八束脛洞窟に住んだという。そこには八束脛を祀る祠が建つが、弥生時代の遺跡も発掘されている。また遠く離れた名古屋市には、羊太夫が都へ上る途中で立ち寄ったという場所に、同じく「羊神社」が建つ。未年にちなんだ神社のミステリーを探る。
著者: 高橋 御山人