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あらすじ・解説
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾七 喜界、奄美 上 大宰府、源平 古の日本の南限
- 薩摩や琉球の配下にあった奄美群島。だが、古には「南西諸島最大の都」があった。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
九州と沖縄の中間に位置する奄美群島。最北端の喜界島でも、鹿児島から南に約400kmという僻遠の地にある。にも関わらず、本土との繋がりを示す伝説が多い。保元の乱で敗れて伊豆大島に流され、当地で討伐された源為朝は、南に逃れて沖縄へ至り、琉球王朝の祖となったというが、途中喜界島へ辿り着いたといい、為朝ゆかりの泉や神社が残る。平家失脚を狙う「鹿ケ谷の陰謀」が発覚し、俊寛が流された「鬼界ヶ島」は、喜界島の事ととも言われ、島にはその墓がある。平家の落人達も喜界島に逃れ、やがて奄美大島に根拠地を移したといい、喜界島にも奄美大島にもゆかりの神社がある。中世、北端の喜界島に至るまで琉球王朝に征服され、近世には薩摩藩の侵攻によりその直轄領となった奄美群島だが、古代には大和朝廷の勢力下にあったと見られ、平安時代には、暴れ回る奄美大島の民と見られる人々に対し、大宰府より喜界島に討伐の命を下した記録が残っている。そして喜界島の、平安から室町頃の城久遺跡群では、約五百棟もの建物跡や、製鉄の跡、日本本土や朝鮮半島、中国等多数の島外産陶磁器が発見されている。これは同時代の南西諸島の遺跡と比べ、群を抜く規模で、内容も極めて特異だ。その繁栄の背景には、宝飾品となる夜光貝の輸出があるという。知られざる古代・中世の「日本の南のボーダー」を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾八 京都へ遷された壱岐や大隅の月の神
- 数少ない月の神を祀る有力な神社が京都に二社 そのルーツは壱岐や大隅にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
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ナレーション
-
ストーリー
天照大神、スサノオノミコトとともに「三貴子」の一柱でありながら、神話上の事績が乏しく、祭神とする神社も少ない月の神・月読尊。その数少ない中でも有力な神社が、京都に二つある。一つは京都市西京区の月読神社で、現在は近隣の松尾大社の摂社である。この神社の由来は日本書紀にあり、任那への使者に神託が下りて祀る場所を求めた為、朝廷が現在地付近を奉ったという。その祭祀は壱岐氏によって行われたが、壱岐氏は九州と朝鮮半島の間の対馬海峡に浮かぶ壱岐島を出自とする氏族で、海人であった。そのため、この月読神社には、内陸であるにも関わらず、今も船に関わる神事が伝わる。そして、壱岐島にも月読神社があり、ここから京都に勧請されたものと見られている。今一つは、京都府南部の京田辺市大住(おおすみ)の月読神社である。こちらは南九州のまつろわぬ民・隼人が、朝廷に従属した後、当地に移住して来た際に、彼らの神を移したものとされ、大住という地名も、彼らの故郷である鹿児島の大隅に由来するという。彼らが伝えた隼人舞は、能のルーツの一つともなった。その隼人舞は一時途絶えたが、大隅一宮・鹿児島神宮に伝わる隼人舞を元に復元された。鹿児島神宮周辺は隼人が朝廷と戦った激戦地で、彼らを弔ったという隼人塚もある。なぜか神社に祀られることの少ない、月の神の謎を解く(カバー画像イラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾参 熊本・五家荘 菅家、平家 千年の執念
- 熊本の秘境・五家荘 菅原道真と平家の末裔 執念深く再興を夢見る、武装する落人の里
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
熊本県南東部の五家荘は、険しい山に囲まれた秘境。壇ノ浦で敗れた平家が落ち延び隠れ住んだが、源頼朝の命を受けた那須与一の息子・小太郎が、追討にやって来た。それを知った鬼山御前なる平家の女官は、仲間を討たせまいと、何とか小太郎を引き留める。彼女は元の名を玉虫御前といい、那須与一が屋島で射た扇を、舟上で用意した女官であった。やがて二人は結ばれてここで暮らし、その子孫の那須家は今も続いている。彼女を祀る神社もあり、巨乳で乳の出も良かったという伝承により、乳の神として崇められている。また、五家荘という地名の由来は、五つの集落にそれぞれの庄屋がいるためで、うち三つが平家の子孫を名乗る。残り二つは、菅原道真の子孫という。藤原時平の讒言により左遷された道真は、大宰府で憤死したが、復讐を恐れた時平は二人の子らを討とうとした為、五家荘へ逃れ土着したと伝わる。こうして「落人の隠れ里」となった五家荘だが、やがて人口が増えて食糧が不足し、隠れ住むのも限界となり、武力で名を馳せた阿蘇大宮司家へ同盟を申し出て、武装化する。一般には戦を忘れて平和に暮らしたというイメージのある「落人の里」だが、実際には武装し、血筋の尊さを伝え、いつか再興する事を夢見続けた、覇気と執念に満ちた集落なのだ。「落人」の実態に迫り、その現代的意義を考える。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾六 死と海と「まつろわぬ民」の熊野古道
- 浄土目指して不帰の船出する地に祀られる「まつろわぬ民」 熊野信仰の深層を探る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
-
ストーリー
日本三名瀑の一つ・那智の滝と、熊野三山の一つ・熊野那智大社で名高い、和歌山県南部の那智勝浦町。その海岸近くに、熊野三所大神社という神社が建つ。熊野三山の主祭神・熊野三所権現を祀る為にこの名があるが、元は熊野参詣路に建てられた九十九王子の一つ・浜の宮王子であった。また、明治の神仏分離までは、隣接する補陀洛山寺と一体であった。ここは、小型の木造船に行者が乗り込んで、南海の「補陀落浄土」に向かう「補陀落渡海」が行われた寺院で、行者の死が前提の儀礼だった。三重県熊野市には社殿がなく岩窟に神を祀る花の窟神社があるが、日本書紀では大母神・イザナミノミコトの墓とされており、熊野は神代より「死」にまつわる土地である事を示している。そんな熊野という地は、元々「まつろわぬ民」の土地だった。熊野三所大神社の境内には、神武天皇の仮宮跡と、地主神「丹敷戸畔(にしきとべ)」を祀る摂社があるが、日本書紀によれば、東征の際、神武天皇軍は熊野で土地の首長・丹敷戸畔を討ち、ここより内陸に入って大和を目指したとされている。紀伊半島の南端・串本町には、その名を伝える地名や、墓もある。中央の王侯貴族がこぞって参詣する一方、中央には容易に制御出来ず、熊野水軍のように日本の行く末さえも左右した熊野。海と山とが迫る当地の深層に光を当てる。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾五 島根・隠岐 「戦う天皇」配流の島々
- 後鳥羽帝、後醍醐帝、幕府と戦って配流となった天皇の足跡を、隠岐の島々に訪ねる
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
島根半島の北、約50kmの沖に浮かぶ隠岐諸島。本土に近い知夫里島、中ノ島、西ノ島から成る島前、その沖の島後島一島のみの島後と、大きく二つの地域に分かれている。神話の国・出雲の沖に浮かぶだけあって、古い歴史を今に伝えており、島後の玉若酢命神社(たまわかすのみことじんじゃ)は、古代からの国造・億岐家(おきけ)が、代々宮司を務めている。ここには、現存唯一の、律令時代に朝廷から支給された駅鈴が、今も保管されている。日本海を挟んで新羅や渤海といった国々との交渉もあり、隠岐国一国を成した。このように、都からはるか遠くの離島とは言え、古代から栄えて来た隠岐であるが、平安時代以降は、小野篁始め、数多くの人々が流刑に処される地となった。特に中世、後鳥羽、後醍醐と、二帝が流されて来た事は特筆すべきである。後鳥羽上皇は、承久の乱に敗れた後、島前の中ノ島に流され、ここで十九年を過ごして崩御した。現在も行在所跡や御火葬塚が残り、隣接して隠岐神社が建っている。後醍醐天皇は、倒幕に失敗して流されたが、一年後に脱出し再び挙兵して幕府を滅ぼし、建武の新政を行った。隠岐滞在時の行在所は、島後の隠岐国分寺とも、島前西ノ島の黒木御所とも言われる。今、黒木御所跡には、黒木神社が建っている。配流の島々に、二人の「戦う天皇」の見果てぬ夢を見る。
著者: 高橋 御山人
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- 著者: 高橋 御山人
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著者: 高橋 御山人
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- 著者: 高橋 御山人
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著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾参 熊本・五家荘 菅家、平家 千年の執念
- 熊本の秘境・五家荘 菅原道真と平家の末裔 執念深く再興を夢見る、武装する落人の里
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾六 死と海と「まつろわぬ民」の熊野古道
- 浄土目指して不帰の船出する地に祀られる「まつろわぬ民」 熊野信仰の深層を探る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾弐 阿波に眠る水の女神・アマテラス
- 五角形の祭壇を頂く古墳を拝む阿波一宮は、天照大神の葬儀を伝える
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
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ナレーション
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ストーリー
諸国において最も格式が高い神社とされる一宮だが、時代による変遷等の影響で、一国に複数存在する場合もある。阿波国には四社存在し、その一社、大麻比古神社は、当シリーズの第弐拾五社「阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる『大麻』」で紹介した。今回取り上げる八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)も、阿波一宮の一社である。当社は、徳島市西方の杉尾山に鎮座するが、麓には阿波史跡公園があり、縄文時代から中世にかけての巨大遺跡が存在する。徳島有数の古墳地帯で、「国府町」の地名の通り、阿波国府があった場所でもあり、古代、繁栄した地であった。社殿は、前方後円墳の前に立っており、その古墳は「奥の院」と称され、上にこの地域の特産「阿波の青石」で築かれた、五角形の祭壇が鎮座している。また、当社に伝わる古文書には、何と天照大神の葬儀の様子が事細かに記されている。これらを踏まえ、当社の古墳こそが、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もある。さらに、折口信夫によれば、天照大神は三種に分かれるが、阿波ではその一つ、水の女神として信仰されているという。、すぐ近くに五角形の井戸を持つ「天乃真名井」があり、かつては社殿の瓦に龍の浮彫があったなど、水との関わりは深い。特異な「神の死」伝承の意味を考える。(カバー画像のイラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著者・長緒鬼無里氏による。同作品には高橋御山人の解
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾五 京都・粟田口 昔も今も刀剣に神宿る
- 能から女性向けゲームまで!伝統文化とサブカルチャーが交錯する日本刀の聖地
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
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ナレーション
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ストーリー
京の出入口「京の七口」の一つとして、古くから知られた粟田口。京都盆地東端のこの地は、古代、五代孝昭天皇の子孫・粟田氏が鉱物採取や粟、瓜の生産を行ったという。平安時代には、清和天皇の勅により、祇園の八坂神社の疫病鎮めの神・牛頭天皇を祀る社が建立された。八坂神社は感神院とも呼ばれた為、こちらは感神院新宮と呼ばれたが、これが現在の粟田神社である。鉱物資源に恵まれていた為か、粟田口近辺には、古より刀工が数多く住んでいた。その中でも代表的なのが、平安時代の三条小鍛冶宗近と、鎌倉時代の粟田口藤四郎吉光で、古代からの製鉄の神・天目一箇神とともに、境内の末社・鍛冶神社の祭神となっている。特に、三条小鍛冶宗近は伝説的な存在で、一条天皇の宝刀「小狐丸」は、稲荷明神が化身した童子が合槌を打って完成したといい、その稲荷の神は、粟田神社境内摂社の北向稲荷神社や、粟田神社と三条通を挟んだ向かいに建つ合槌稲荷神社に鎮まるという。この伝説は、謡曲「小鍛冶」の題材となっていて、能や神楽、歌舞伎等の伝統芸能を通じ広く知られて来たが、近年、名刀を美男子として擬人化した「刀剣乱舞」でも取り上げられ、若い女性にも三条小鍛冶宗近の名が知られるようになった。今も昔も、「刀剣に神が宿る」地、粟田。ここに伝統文化とサブカルチャーの交錯を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾壱 滋賀・永源寺 木地師を束ねる「フリーメーソン」
- 深山に逃れた親王に始まる木地師の里 諸国を漂泊する木工職人達を束ねる組織の秘密
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
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ナレーション
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ストーリー
滋賀県東部、鈴鹿山脈の西側の麓の旧永源寺町(現東近江市)の、三重県と境を接する最奥部に、木地師発祥の地であり、全国の木地師達の本拠地、元締の住む地があった。木地師とは、深山に分け入って木を伐り、ろくろで削って椀や盆などの木工品を作って、良材がなくなればまた移動するという、漂泊の民である。その木地師の元締めの集落が、永源寺の最奥部に蛭谷、君ヶ畑と二つある。皇位継承を巡る争いに敗れ、逃れてこの地に隠れ住んだ惟喬親王が、ろくろを発明し木地師の祖となったのが、その由来という。蛭谷には筒井神社があり、かつては「公文所」と呼ばれて、木地師の免状や通行手形を発行していた。木地師は全国の山の八合目以上の木を自由に伐って良く、通行も自由であった。境内にある資料館には、ろくろや椀、盆などの木工品の他、発行した免状や手形、全国の木地師を「氏子」として記録した戸籍の一種「駈帳」、時の為政者による許可状などがあり、古いところでは約千百年前、朱雀天皇の綸旨まである。君ヶ畑にはかつて惟喬親王が出家した金龍寺が建ち、「高松御所」と呼ばれ、筒井神社と同じく免状と手形を発行した。また、君ヶ畑にもゆかりの神社が建つ。深山に分け入り、全国を自由に往き来しつつも、一定程度組織化された木工職人達。ベールに包まれたその秘教的実態を探る。
著者: 高橋 御山人
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- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
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ストーリー
本シリーズも第九十社。テーマは言うまでもなく「神社」だが、作品の多くに共通するテーマとして「まつろわぬ民」や「鬼」がある。それは高橋御山人が長年運営しているWEBサイト「邪神大神宮」のテーマでもある。いずれも朝廷や幕府といった時々の権力に容易には従わなかった人々であり、本シリーズは第一社からしてアテルイがテーマで、各地の土蜘蛛を度々取り上げ、鬼女紅葉、酒呑童子、温羅等、「鬼」そのものも数多く紹介した。隼人の首領とされる弥五郎どんや、飛騨の両面宿儺等、「まつろわぬ」族長の影が濃い存在も登場している。傀儡子師や木地師といった、非農耕非定住の漂泊民も取り上げた。彼らも農耕定住を基盤とする日本の歴史的統治体系からすれば、一種の「アウトサイダー」であり、「まつろわぬ民」や「鬼」につながっている。非農耕の産鉄民をテーマとした回もあるが、農耕民から異様に見られた彼らは、「鬼」のルーツの一つである。こうして振り返ってみると、その一つの極、頂点に、後醍醐天皇という存在が浮かび上がって来る。天皇という体制の頂点にありながら、体制を破壊し再構築しようとした後醍醐天皇こそ、究極の「まつろわぬ」存在であり、「鬼」ではないか。そしてそれは、一般の認識とは異なる「天皇制」の別側面の象徴でもあった。「日本史の裏側」を透視する特別対談。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾六 大蛇VS大ムカデ 北関東のラグナロク
- 日光男体山の神と、赤城山の神が、大蛇と大ムカデに化身して戦った、戦場ヶ原の伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
世界的な観光地・日光の一角を成す戦場ヶ原。標高約1400mの高原に広がるこの湿原は、名前の通り古戦場であるが、その戦いは人と人との戦いではなく、神々の戦いである。伝説によれば、この近くの中禅寺湖を巡って、日光男体山の神が大蛇に、赤城山の神が大ムカデに化けて戦ったが、自らの子孫である弓の名手・小野猿丸の加勢により、男体山の神が勝ったという。男体山を神体山とするのは二荒山神社で、山頂に奥宮、中禅寺湖畔に中宮祠、東照宮に隣接して本社が建っている。一方、県境を越えた群馬県の赤城山には赤城神社があり、山頂のカルデラ湖・大沼湖畔と、南麓の三夜沢に鎮座する。また北麓の老神温泉は、戦場ヶ原で敗れた赤城山の神が、湯で傷を癒し、男体山の神を追い払ったため、「追神」と呼んだという地名由来がある。ただし、当地の伝説によれば、赤城山の神が大蛇に、男体山の神が大ムカデに化けたとされる。そもそも赤城山では大蛇信仰が強く、赤城神社の祭神は、古代、赤城山の龍神に助けられ、その後を継いだ豪族の娘・赤城姫ともされる。一方、三夜沢の赤城神社には、藤原秀郷が植えたという「俵杉」があるが、秀郷には琵琶湖・竹生島の龍神の依頼で、三上山の大ムカデを退治したという伝説がある。北関東の「ラグナロク(北欧神話における神々の最終戦争)」の謎に迫る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十二 茨城・日立 星を司る「最強」の まつろわぬ神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
茨城県日立市に鎮座する、大甕倭文(おおみかしずり)神社。 この神社の境内には、「宿魂石」という、山のような巨岩があるが、 神話に登場する星の神・天津甕星(あまつみかぼし)、別名香香背男(かがせお)を、 倭文の神・建葉槌命(たけはづちのみこと)が討ち、ここに封じたものだという。 天津甕星は、国譲りのあたり、天孫降臨に先立って様々な国津神を平定した場面に、 わずかに登場する神だが、出雲で国譲りを成し遂げ各地を平定した、 建御雷命(たけみかづちのみこと、鹿島神宮の祭神)と、 経津主命(ふつぬしのみこと、香取神宮の祭神)にも従わず、 ついに建葉槌命によって討たれたのだという。 この神話は謎だらけだ。まず、天津甕星は国津神ではなく、 「高天原にいる悪神」だとされていること。つまり天津神なのだが、 天津神にして天照大神に従わない神が存在すること自体、神話上不合理だ。 せいぜいが暴虐を働いた須佐之男命くらいだが、それでも最終的には従っている。 建葉槌命も他に伝承のほとんどない神で、織物の神だが、武神・雷神の建御雷命や、 剣神・経津主命でも平定できなかった悪神を、なぜ織物の神が討伐できたのかも謎だ。 日本神話では、明確に星の神だと書かれているのが天津甕星のみという謎もある。 星の名を持つ神も、他に物部氏の神話にわずかに登場するのみ。 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾四 飛騨・美濃の異形の宿儺 魔か神か
- 古代の飛騨・美濃に現れた両面四手四足の超人!円空も彫った両面宿儺は悪魔か神か!?
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
岐阜県の飛騨・美濃両地域の神社仏閣に、「両面宿儺(りょうめんすくな)」の伝説がある。彼は、二つの顔に、各四本の手足を持つ超人で、日本書紀にも仁徳朝の飛騨に現れたと書かれている。書紀では、人民を害し、朝廷に従わず討たれたとされ、岐阜県内の神社においても、書紀に近い伝承を伝える事が多い。一方、県内の寺院においては、善政を施した豪族や、龍を討った英雄、観音の化身などとして語られる。最も有名な伝承地は、円空作の宿儺像が残る、高山市東部、丹生川の千光寺だ。丹生川の北アルプスの麓には、宿儺が出現したという洞窟もある。高山市街、日本三大夜祭・高山祭で有名な桜山八幡宮他、美濃から丹生川へ至るルート沿いには、朝廷軍の進軍を伝える八社の八幡神社が鎮座する。高山市南部の飛騨一宮・水無神社には驚くべき伝承がある。ここでは「七儺(しちな)」という女の龍を宿儺が討ったとされているが、中世の記録によれば、水無神社の神体山・位山に宿儺が降臨し、神武天皇に皇位を授けたという。位山は、古代の祭祀遺構である巨石が数多く存在し、飛騨こそ大和以前の皇室のルーツだとする「異端」の説もある。「堕落論」で有名な坂口安吾氏も、宿儺や「飛騨王朝説」について調査し著述している。聖俗の交錯する異形の超人伝承の謎に挑む。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾七 坂東に残る平将門新皇が駆けた足跡
- 日本史上唯一「新皇」を名乗った平将門。その即位にも終焉にも、神社が深く関係する。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
日本史上唯一、自ら新たなる天皇「新皇」を名乗った、平将門。将門に関係した神社としては、東京・大手町の首塚とともに語られる事が多い神田明神など、死後の怨霊伝承を伝えるものが有名だが、「新皇」としての事績にまつわる神社もある。その一つが、群馬県前橋市の総社神社だ。当社は上野国の総社であり、他国と同じく、国司が国内の神社を巡拝する代わりに、国府の傍らに国内の神を集めて祀ったものである。将門は、常陸、下野、上野の国府を陥し、上野国府で諸国の任官を行うが、その時、一人の巫女が現われ、八幡大菩薩の神託を下す。この神託により、将門は新皇に即位したのである。この巫女や神託には、国府にあった総社が深く関与している可能性が高いと思われる。尚、中世に総社は位置が変わっており、近隣の旧鎮座地には今も宮鍋神社が建っている。ここには、将門が神託を受けた国府政庁の復元図もあり、当時の様子を偲ぶ事が出来る。将門は、茨城県坂東市の岩井に政庁を置いたが、朝廷による討伐軍はここに攻め寄せ、乱は二ヶ月程度で鎮圧された。この将門の本拠地にして終焉の地に建つのが、将門を祀る、その名も国王神社である。戦を逃れていた将門の三女・滝夜叉姫が、父の三十三回忌にあたり、木像を刻んで安置し祠に祀ったのが始まりと言われる。神社は「歴史の活断層」の標柱でもある。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾九 福井・勝山 武装する巨大宗教都市
- 霊峰白山の越前側信仰拠点として栄え、僧坊六千坊僧兵八千人を擁した平泉寺白山神社
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
「日本三霊山」に数えられる霊峰・白山。奈良時代に泰澄が開いてより、神仏習合の霊場として栄え、山頂を目指す登山口となる「馬場」が、越前、加賀、美濃に開かれた。そのうちの越前馬場が、現在、福井県勝山市に鎮座する平泉寺白山神社である。平泉寺は、平安後期に比叡山の末寺となり、最盛期には僧坊六千坊、僧兵八千人を数えたという。それだけに、歴史を動かした人物達とも関わりが深く、奥州藤原氏の拠点・平泉の地名由来は平泉寺にあるともいい、中尊寺の境内には鎮守社として白山神社があり、秀衡の銘がある釣鐘も残っている。逃亡中の源義経や弁慶の伝承もあり、楠木正成の甥で平泉寺僧だった恵秀律師が建てたという、正成の墓塔もある。戦国時代には、朝倉氏と並んで越前の有力な勢力となったが、朝倉氏の滅亡後、朝倉景鏡を匿い、一向一揆によって焼き討ちに遭い衰亡する。桃山時代から江戸時代にかけて再興されたが、明治の神仏分離によって神社となり、僧侶達も還俗して神官となった。広大な境内は、往時の繁栄を今に伝え、土塁など「武装勢力」であった証も残っている。なお、福井県を代表する観光地・東尋坊は、元々平泉寺の僧侶の名と言われ、粗暴だった東尋坊は、仲間に謀られて断崖より突き落とされ、祟りを成したという。越前に栄えた「巨大宗教都市」跡の神社を訪ねる。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾八 長野・阿智 御山人の遠祖 峠のエネルギー王
- 東山道最大の難所に、高橋御山人の祖先・炭焼藤太と金売吉次の伝説を訪ねる
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
長野県南西部の阿智村は、高橋御山人の祖母の出身地であり、先祖代々当地に住んで来た。旧姓を園原というが、阿智村の西端、岐阜県との境である神坂峠付近に、園原という地名があり、ここが園原氏発祥の地だという。神坂峠は、古代から中世の幹線道路・東山道最大の難所に当たり、日本武尊が山の神の化身である白鹿を討った神話がある。日本武尊の腰掛石とも、古代祭祀の磐座ともされる巨石が、神坂神社境内にある。神坂神社は園原の里の最奥、神坂峠の手前にあり、境内を東山道が通っている。祭神は山中にあって海神の住吉三神で、古代に信濃の安曇野に移住した海洋氏族・阿曇氏との関係が窺われる(本シリーズ其之弐拾参参照)。一方、社殿手前両脇には御柱も立っており、諏訪文化圏である事も明らかである。東山道最大の難所であっただけに、都の人々にも古くから知られ、当地に聳える巨木「帚木」は、源氏物語の巻名にもなっている。園原氏の祖先は、ここに屋敷を構えた長者・炭焼藤太といい、宮廷貴族在原氏の娘・客女姫との婚姻や、その間に生まれた金売吉次の伝説がある。金売吉次は、平家物語等に登場する黄金商人で、源義経を奥州平泉へ案内したとされ、当地にも「義経駒繋ぎの桜」が残る。古のエネルギー資源を生産し、巨万の富を築いたという、高橋御山人の遠い祖先の物語を追う。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾八 大阪・阿倍野 白狐が生んだ安倍晴明
- 白狐の化身の女性が通い、安倍晴明が生まれた、豪族・阿部氏の根拠地、大阪・阿倍野
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
稀代の陰陽師・安倍晴明ゆかりの地と言えば、京都の晴明神社や一条戻橋が有名だが、大阪・阿倍野の安倍晴明神社も欠かせない。安倍晴明という占術の大家を祭神とし、「拝み屋」文化の盛んな大阪だけあって、境内の占いコーナーで東洋・西洋の占い師が日替わりで相談に乗ってくれるこの神社は、晴明出生の地に祀られたものだが、そもそも阿倍野という地名は、古代豪族阿部氏の根拠地であったことに由来する。そして、当地に住んでいた安倍保名(やすな)が、「信太の森」で白狐を助け、その狐が化けた「葛の葉」という女性が保名の元へ通い、やがて生まれたのが晴明という伝説がある。正体を知られた葛の葉は「恋しければ信太の森まで訪ねて来い」という歌を残して去り、保名と晴明が訪ねたところ、葛の葉が現れて、神秘的な力を持った霊宝を授けたという。この伝説は、人形浄瑠璃や歌舞伎の題材ともなっているが、阿倍野からいくらか南に離れた和泉市に信太森葛葉稲荷神社が建ち、伝承地となっている。また、安倍晴明神社の隣に建つ阿倍王子神社は、熊野参詣路の九十九王子の一つで、信太も熊野参詣路の途上にあった。人と物とが行き交う街道筋に、異能者の異常出生譚の背景を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾四 長崎・対馬 国境の島の太陽信仰
- 天照大神のルーツの一つがあり、中世には「お天道様」を崇めた、国境の島の太陽信仰
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
朝鮮半島と九州の間に浮かぶ巨大な離島・対馬。南北約80kmの細長い島で、九州までは100km以上あるものの、韓国までは50km弱の距離にあり、天気が良ければ朝鮮半島を望む事が出来、夜には釜山の夜景が見られる事もある。その地理的な条件により、古代から朝廷に重視され、式内社が非常に高密度に存在する。島の中程に鎮座する阿麻氏留神社(あまてるじんじゃ)もその一つで、天日神命(アメノヒミタマノミコト)を祭神とするが、これは天照大神のルーツの一つと言われる。古史古伝には「アマテル」なる男神の太陽神を伝えるものもある。壱岐が月読神のルーツとされる「月信仰の島」であるのに対し、対馬は「太陽信仰の島」なのである。対馬の最南端・豆酘(つつ)の多久頭魂神社(たくづたまじんじゃ)も、式内社であるが、ここは中世、天童菩薩信仰の中心地として栄えた。天童菩薩は、天道法師とも呼ばれる、対馬独特の神仏習合の神であるが、「お天道様」に通ずる、太陽信仰である。対馬北部の海沿いには、やはり式内社の天神多久頭魂神社(てんじんたくづだまじんじゃ)が建ち、こちらも豆酘と並ぶ天道信仰の聖地である。石垣で囲まれた境内に社殿はなく、囲いの中に鏡が青空の下に祀られていて、沖縄の御嶽を彷彿とさせる。独特の太陽信仰を肌で感じた、「国境の島」高橋御山人若かりし日の滞在記。
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写真が見らないからなんのこっちや?
- 投稿者: Amazon カスタマー 日付: 2022/11/16
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾九 三重・斎宮 最高位の巫女 斎王の真実
- 古、皇族女性より選ばれ、伊勢の神宮に仕えた斎王。その衝撃的な真相とは?!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
朝廷には、かつて「斎王」という制度があった。天皇の即位に伴い、その在位中、未婚の皇族女性が最高位の巫女として、伊勢の神宮に仕えるものである。起源は、朝廷黎明期、宮中より天照大神を遷し、皇女・倭姫命が遍歴の末に伊勢に祀ったという神宮の創建伝承にあるが、歴史的に確実に遡れるのは、天武天皇の治世である。最盛期は平安時代だが、平安後期には衰退し始め、後醍醐天皇の治世を最後に断絶した。斎王は、年数回の祭典の他は、神宮の十数キロ北西に居住し、その御所は斎宮と呼ばれた。遺構は現在の三重県明和町で発見されていて、非常に広大である。その核心たる斎王の御座所のあった内院は、現在、竹神社が鎮座するあたりにあった。当神社は神宮鎮座以前から当地にあった豪族の祖神を祀り、子孫は竹連といい、斎宮は「竹の都」とも呼ばれた。斎王は、当然ながら身を清浄に保つ事が重視されたが、かといって常に厳格な暮らしをしていた訳でもない。斎宮は文学サロンとして賑わっていたし、当時の文学作品にも登場する。「伊勢物語」に至っては、在原業平と斎王のスキャンダルが仄めかされている。腐敗した斎宮頭を「神託」を通じ糾弾したせん子女王のような斎王もおり、詳細に見れば見る程、現代的な「巫女」のイメージとは異なる存在である事が分かる。古代の朝廷における神道祭祀の核心を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾壱 福島・奥会津 武家の世開くドラゴン退治
- ドラゴン=機織りの女神を征服して、会津に武家時代の夜明けを告げる、蘆名氏の伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
福島県西部、奥会津・金山町に、只見川から山一つ隔てて、沼沢湖というカルデラ湖が存在する。その湖畔に鎮座する沼御前神社は、浜姫命という、他に見られない神を祭神としている。伝説によれば、浜姫命、通称沼御前は、沼沢湖に住む雌の大蛇で、時折人に危害を加えていた。そこで、鎌倉時代初期、会津若松・黒川城(鶴ヶ城の前身)城主、佐原十郎義連(さわらじゅうろうよしつら)が、家臣を引き連れ、退治する。その首は湖畔に埋め、その霊を弔うために、沼御前神社を立てたという。以後、大蛇の霊は美女に姿を変え、湖底で機を織っていると伝わり、機織りの女神として、明治大正期には、機織りに従事する女性に熱心に信仰された。また、沼御前を退治した佐原十郎義連は、相模の豪族・三浦氏の一族で、源頼朝の挙兵に加わり、平家追討の一ノ谷の戦いでは、義経が率いた「鵯越の逆落とし」で真っ先に崖を駆け下りる武勇を見せたと「平家物語」は伝える。奥州藤原氏征伐の奥州合戦でも武功を上げ、会津に領地を与えられ、戦国時代、伊達政宗に滅ぼされるまで数百年に渡り会津を支配した、蘆名氏の始祖となる。会津に武家時代の夜明けを告げる神話的「ドラゴン退治」の伝説を読み解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾参 岩手・江刺 まつろわぬ経清 斯く戦えり
- 朝廷を裏切り、蝦夷に味方した奥州藤原氏の祖・藤原経清 そこに武家文化の淵源を見る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
其之五拾九「岩手・衣川 命懸けで詠む歌の真髄」でも取り上げた、岩手県奥州市。そこはアテルイから安倍氏、奥州藤原氏へ至る、古代東北史の舞台だ。北上川東岸の旧江刺市には、奥州藤原氏初代・清衡とその父・経清の居城であった豊田館跡や、経清と一族郎党の墳墓と伝わる五位塚がある。式内社・鎮岡神社(しずめがおかじんじゃ)も鎮座する。清衡は、豊田館跡の鎮守としてこの神社を尊崇、社殿の修造や荘園の寄付を行ったという。江戸時代には、中部・東北・北海道を旅した博物学者・菅江真澄も参拝し「畏しな荒ぶるとても幣取らば心鎮めの岡の神籬」という歌を残している。神社名にかけ自らの心を鎮める歌と解されるが、この神社が荒ぶる神を鎮めている事を、言外に仄めかしているようにも思われる。鎮岡神社は五位塚の麓に鎮座し、その地名も五位塚であって、それと無関係とは思われないからである。藤原経清は五位の官人でありながら朝廷に背き、蝦夷の末裔・安倍氏と共に前九年の役を戦って源氏に辛酸を舐めさせ、敗れた後、鋸挽きで処刑されたという。一方で、それが明言されないのは何故か。それは潔き武将を怨霊とせず貶めまいとする、敬意があるのではないか。勝敗や敵味方に関係なく、猛き者、智き者を尊ぶ、独特ながらも日本文化の主軸の一つとなった、高潔なる武家の精神文化の発祥を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾四 新潟・粟島 離島という「独立小国家」
- 様々な氏族が興亡し、役割分担をして来た粟島は、今も我が道を往く「小国家」
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
新潟県北東、佐渡よりもさらに北の海に浮かぶ粟島。一島一村の粟島浦村に帰属し、独自に発電所も所有する。佐渡と同じく、西海岸は日本海の荒波に削られ、断崖絶壁の奇観を成し、初夏には岩ゆりで彩られる。歴史も古く、縄文遺跡が残り、万葉集には粟島を詠んだ歌が残っている。東海岸、島の中心集落・内浦の八所神社は、島の総鎮守と言えるが、その祭神は古代から天皇の守護神として宮中で祀られて来た「宮中八神」であり、歴史の古さの窺わせる。伝承によれば、最初に島に住んでいたのは蝦夷であった。9世紀初め頃には北部九州から松浦家がやって来て、内浦にて共存したという。やがて越前より本保家が渡って来ると、蝦夷と松浦家は西海岸に追いやられた。その後蝦夷は滅亡する。それから様々な変遷を経て、政治面を担う本保家、財政面を担う脇川家、学問面を担う神丸家と、各氏族が役割分担して島を統治して来た。このように、一つの島にあって、様々な氏族があるいは争い、あるいは共存して興亡する様は、一国の歴史を見るようでもある。本土と隔絶した自然が、こうした独自の歴史と文化を育んで来たのだ。常識をはるかに超越したゆるキャラ「泡姫ちゃん」など、現代の粟島にも、その独自性、独立性を見る事が出来る。離島というメインストリームに「まつろわぬ」存在を考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾弐 三重・志摩 まつろわぬ別宮 伊勢の深層
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
平成25年に式年遷宮が行われた、伊勢の神宮。それが内宮・外宮より成ることは一般にも知られているが、その他に多くの別宮・摂末所管社があり、全て合わせると125社となる。由来は様々だが、その多くは、神宮創祀の際、地元の神が従って、神宮に土地の譲渡や貢納を約束する話となっている。その別宮の一つ伊雑宮が、志摩市に鎮座する。この伊雑宮は、伊勢から離れたリアス式海岸に近いという地理的条件もあって、別宮の一つでありながら、独立的傾向が強かった。明治の神仏分離を経てもなお、北極星の信仰に関わる祭祀が続けられ、江戸時代には、伊雑宮こそが神宮の発祥、中心であるという偽書の発行に関わり、幕府より弾圧を受けるという「まつろわぬ」歴史もある。そもそも伊勢とは、神話の時代に遡れば「まつろわぬ」土地だった。また、中世においても「まつろわぬ」ものの噴出する土地であった。朝廷、国家の宗教的中心地に、なぜ「まつろわぬ」要素があるのか。事象の「裏側」から見た、伊勢というものの深層を掘り下げる。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾 酒は神の賜物 過ぎれば祟る(断酒記念対談)
- 酒は本来神事で飲む貴重なもの。やたらと飲めば依存症となり祟る。警世の対談。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 34 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
百日以上の断酒を継続している、盛池雄峰。そのきっかけとなったことの一つが、高橋御山人の「まつろわぬ神と民について書くのに、まともに働いていては人生の残り時間が足りない」という言葉だった。戦前、殊に近代以前においては、多くの人は経済的にさほど豊かでもなく、日々やらねばならない事に追われ、忙しかった。そんな中、たまの祭で飲む酒は、貴重であり、共同体の一員として、神と一体となる為のものであった。しかし、機械化・自動化が進んだ現代では、少なくとも五十年、百年前よりははるかに物質的に豊かになり、時間も出来て、安価に大量の酒を入手出来るようになった。その結果、かつて酒が持っていた神聖さはすっかり失われ、多くのアルコール依存症者やその予備軍を生み出すようになってしまった。「神の賜物」であったはずの酒が、「祟り」を成してしまっているのである。神との一体化は「非日常」だからこそ恩寵なのであり、それが「日常」化したら、神に祟られてしまうのだ。断酒を通じて、そうした真実が浮き彫りになって来たのであった。現代の病理となりつつあるこの問題を前に、神社や神事を通じ、酒を捉えなおすことが、今後必要とされるであろう。人の一生も「神の賜物」である。その貴重な人生を、浪費し棒に振らない為に、酒の本義を問い直すべし。警世の特別対談。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾四 越中富山 女の尻に鞭打つ神事
- SMは神事だった?! 松尾芭蕉も油断した?! 「越の大社」は女の尻に鞭を打つ!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ストーリー
富山市郊外に鎮座する鵜坂神社は、二千年の昔、崇神天皇の頃、四道将軍の一人大彦命によって建てられたと伝わり、六国史や延喜式にも載る、「越の大社」と言われた古社である。越中国司時代に大伴家持も参拝し、近くの神通川で鵜飼を鑑賞、万葉集に歌も残している。行基が二十四堂伽藍を建立、白鳳期には真言宗鵜坂寺も建てられ、源義仲の挙兵により一時焼失するも、源頼朝が再建、明治の神仏分離まで神宮寺として栄えた。こうした長い歴史を持つ神社であるが、特筆すべきは、平安時代から行われていたという特殊神事「尻打祭」である。これは、女が一年の内に会った男の数を申告し、神主がその数だけ榊で女の尻を打つというものであった。元々は、正月に七草粥を炊いた薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという、公家の遊びが伝わったものだったが、鎌倉時代には、既に女の性の乱れを戒める趣旨であったという。「尻打祭」は「日本五大奇祭」の一つに数えられ、平安歌人・源俊頼や、松尾芭蕉がこの神事を詠んでいる。しかし、この行事は近代社会には馴染みにくく、明治以降は雌馬で行われるようになり、第二次大戦以後は途絶えた。けれども、近代的観念と相容れない、「SM」すら彷彿とさせるこのような行事にこそ、神事の真髄が垣間見えるのである。奇祭の向こうに「近代的常識」の揺らぎを見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九 大和から土佐へ 一言主神の流竄と 呪術家賀茂氏
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 27 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
高知市に鎮座する土佐一宮・土佐神社。祭神は一言主神・アジスキタヒコネノ神。 高知県南西部・黒潮町の沿岸の加茂神社より遷ったともいわれるが、 元々は、大和・葛城より、流刑されてここにたどり着いたのだという。 その話は古文献に載っているが、書物によって内容が大きく異なる。 ○続日本紀では、雄略天皇の怒りに触れ流刑に処せられる ○より古い日本書紀では、天皇と対等の立場で、ともに狩りを楽しむ ○最古の書物・古事記では、天皇が一言主神に畏れ畏まる ○続日本紀より新しい日本霊異記では、修験道の開祖・役小角に使役される 時を追うごとに著しく零落していく一言主神。 この話の舞台である葛城には、今も一言主神社と、 アジスキタヒコネノ神を祀る、全国加茂神社の総本社・高鴨神社が鎮座する。 そしてそこは、これらの神を崇める、古代豪族賀茂氏の根拠地だった。 ●役小角や安倍晴明の師・賀茂保憲など数々の陰陽師を輩出した呪術家の一族 ●全国に展開し「カモ(賀茂・加茂・鴨等)」の地名や神社を各地に残した ●高鴨神社より登った山裾には「高天原」と神武天皇に討たれた土蜘蛛の塚も ●一言主神社にも土蜘蛛の塚があり、能の題材となっている 流刑された神を祀り、歴史に名を残す呪術師を幾人も輩出し、 全国に広がって、「まつろわぬ民」土蜘蛛との深い関係も見出せる、 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四 山形・秋田県境 鳥海山の荒ぶる「物忌」の神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
東北の日本海側に聳える二千メートル級の独立峰・鳥海山。 その神を祀る、ただならぬ名を持つ大物忌神社は、 出羽国一の宮であり、古くから朝廷に重んぜられて来た。 そこには、一体どんな背景があるのか。 ○鳥海山は、度々噴火を繰り返して来た活火山であった ○出羽の蝦夷は屈強で、なかなか朝廷に従わなかった ○火山と蝦夷、これら「荒ぶる」存在を鎮めるという意図があった ○手長足長という、「まつろわぬ民」を彷彿とさせる妖怪の伝承も 手長足長という妖怪は、羽前・羽後国境の有耶無耶関にあって人々を悩ませ、 大物忌神が天より火を降らせて滅ぼしたとも、慈覚大師が法力で退治したともいう。 この関を越えて行った松尾芭蕉は、松島と同じような象潟の風景に魅せられた。 多数の小島が浮かぶ象潟は、鳥海山の噴火に伴う地震によって隆起して陸地となった。 このほか、周辺の土地には、いくつもの注目すべき史跡や伝承がある。 ●麓の沿岸には、「なまはげ」で有名な男鹿と対になる、女鹿という地名がある ●女鹿の近くには、荒磯に刻まれた巨大な石仏群、羅漢岩が立ち並ぶ ●沖に浮かぶ飛島は、鳥海山の頭が飛んで行って出来たと伝わる ●その飛島には、小物忌神社が建ち、蝦夷が住んだという人骨の見つかった洞穴もある 万年雪の斜面を踏み越え、荒ぶる神の住む山に挑み、 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之壱百 青森・十三湖 「まつろわぬ」はじまりの地
- 高橋御山人の「まつろわぬ旅」は、偽書曰く「まつろわぬ国」建国の地よりはじまった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
津軽半島北西部、日本海と繋がる十三湖は、古くは十三湊と呼ばれ、中世には日本の十大港湾に数えられる程に繁栄した。ここを拠点とした安東氏は、北海道にも進出し、和人とアイヌとの間の交易を取り持った(本シリーズ其之参拾参参照)。安東氏が南部氏に津軽を追われた後は衰えたが、大規模な宗教施設の遺構が発見されている山王坊日吉神社など、往時を偲ぶ神社仏閣や遺跡が、周辺に多数残っている。安東氏は、後に秋田氏となり、奥州三春藩主として明治まで続いているが、特異な家系伝承を伝えており、前九年の役で討たれた安倍氏、さらに神武天皇に討たれた長髄彦の兄・安日まで遡るという。相内の神明宮は、かつて長髄神社と呼ばれ、長髄彦を葬った場所とも言われる。境内には縄文時代の貝塚があり、人骨が発見されている。昭和末期には、こうした伝承を過剰に膨らませ、古代の日本には西の大和朝廷に対する東の荒吐王国があったとする「東日流外三郡誌」が発表され、学界に騒動を巻き起こした。本書は科学的に偽書である事が確定しているが、一方で本書により古代の東北、津軽が脚光を浴びたのも事実である。それは、高橋御山人の生涯にも強い影響を及ぼした。偽りであっても、絶大なパワーを持つ「コンテンツ」には違いないのである。「パワーを発する」コンテンツ・百社巡礼、ここに完結!
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十一 愛媛・石鎚山 西日本最高峰に 究極の天狗あり
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 26 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
愛媛県に聳える西日本最高峰・石鎚山は、西日本最高峰。 古くから修験の聖地であり、「日本七霊山」の一つとして称えられるこの山は、 修験道の開祖・役小角によって開かれたという。 それだけでなく、役小角は「法起坊」なる大天狗となって、この山に住まうという。 天狗は修験の山につきものだが、修験の開祖自身が天狗となった法起坊は、 日本の数ある天狗の中でも別格とされる。 石鎚山の天狗信仰は深く、険しいこの山の内でも特に険しい、 切り立った断崖の上に聳える頂上の岩山は、その名も「天狗岳」という。 登っていると宙を飛んでいるかのような錯覚に見舞われる天狗岳は、 呪法により空を飛んだと伝えられる役小角が天狗となった山にふさわしい。 登山道には、太く長い鎖を伝って、垂直に近い高い崖をよじ登る箇所もある。 素人が登れば、心臓も苦しくなり、途中で休んでも、上も断崖下も断崖、 進むも退くもままならず、鎖の道を選んだことを後悔させれるが、結局進むしかない。 まるで人生そのもののようなこの鎖場に、修験の真髄を垣間見る。 今も修験の聖地として西日本一円の信仰を集める石鎚山の神を祀るのが、 麓から頂上まで幾つかの社殿を持つ石鎚神社だが、 神社神道の枠内だけでは納まり切れず、 「石鎚本教」なる修験を実践する宗教団体を立て、海外にまで分社を建てている。...
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題名負けかなw
- 投稿者: ありゃりゃ 日付: 2023/06/30
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾五 阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる「大麻」
- 聖なる「大麻」を作る、神代からの祭祀氏族・忌部氏が、黒潮に乗り阿波から安房へ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
徳島県鳴門市、大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、阿波一宮。古代、阿波に勢力を誇った、忌部氏が祖神を祀った神社である。忌部氏は、出雲、紀伊、讃岐などに広がり、それぞれの地の特産品を献じた。阿波の忌部が献じたのは、麻であり、それが神社名の由来となっている。麻は、衣服の原料として重要であるとともに、神事に用いる神聖な植物でもあった。現代の神社でも祓に用いる神具の名は「大麻」であるし、御札も「大麻」と呼ばれる。そして、忌部氏は、天の岩戸開き以来の、神話にまで遡る祭祀氏族であった。「穢れを忌む」ことで神事に臨む氏族なのである。阿波の忌部氏は、朝廷の祭祀を司る忌部氏に連なる人々として、神聖な植物・麻を栽培した。その阿波忌部氏の一部は、古代、黒潮に乗って、千葉県の房総半島へ移住した。「安房」とは「阿波」にちなむ地名であり、「上総」「下総」の「総」とは、麻の古名にちなむものという。房総半島の先端近くには安房一宮・安房神社が建ち、忌部氏の祖神を祀る。他、房総には忌部氏にまつわる神社が。麻の聖性と、摂関藤原家の同族・中臣氏に役割を奪われ衰微した、古代の祭祀氏族の足跡を辿る。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人