氷砂糖のおみやげ

著者: 夜学バー(東京・湯島)
  • サマリー

  • 「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」 「でも氷砂糖は、おいしくて、すてき。」 「でもとりすぎには要注意。」 「このポッドキャストは、生まれてこのかた氷砂糖を手放したことのない二人が、ちいさい気持ちでたくさんのことを考えてみる放送です。」 東京・湯島に実在するお店「夜学バー」から、店主の尾崎昂臣(通称:ジャッキーさん)と、お客さんのぷにょがいつも通りお話をしています。 毎週月曜日15時に配信。数日続けて配信されることもあります。
    夜学バー(東京・湯島)
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あらすじ・解説

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」 「でも氷砂糖は、おいしくて、すてき。」 「でもとりすぎには要注意。」 「このポッドキャストは、生まれてこのかた氷砂糖を手放したことのない二人が、ちいさい気持ちでたくさんのことを考えてみる放送です。」 東京・湯島に実在するお店「夜学バー」から、店主の尾崎昂臣(通称:ジャッキーさん)と、お客さんのぷにょがいつも通りお話をしています。 毎週月曜日15時に配信。数日続けて配信されることもあります。
夜学バー(東京・湯島)
エピソード
  • #075 「メンヘラ・モラハラ」「内向・外向」の四象限について考える(頭には四つの人格がある?)
    2024/07/29
    ノーテーマ、雑談という形で話し始めましたが、結局はワンテーマに集約していきました。 【目次】 ○今回は「何も考えない雑談の回」 ・ジャッキーさんの日記と「奇蹟の四日間」 ・先週の木曜から日曜までの夜学バーは確変のような面白さ(ここについて詳しくは第73回) ○「やべーやつ」を四つの方向性に分類する図 ・3月24日の日記、「メンヘラ・モラハラ」「内向・外向」による四象限を想定 ・基本的には「まちくたさん」が思いついたことです(責任逃れ) ・人間を二つに分けるというよりは、「そういう人っているよね」というくらいの緩やかさ ・メンヘラとモラハラが同じ数直線に並ぶわけではないが、便宜上「どちらの要素が強いか」を考えてみると面白い ・メンヘラというより「自分は根本的に正しくない」と思っている傾向のことで、モラハラというより「自分は根本的に正しいと思っている」と思っている傾向のこと 語呂がいいからついわかりやすいワードを使ってしまう ・「内向型自己否定」とか「外向型自己肯定」みたいな表現のほうが本当はふさわしい ○ジャッキーさんのこと ・ジャッキーさんは「内向型自己肯定」という自己評価、生まれながらの傾向は「内向型自己否定」だったが、だんだん少しずつ「肯定」を育てていったという印象 ・過去を振り返って取り戻すように「自分には(根本的には)価値があったのだ」と思い直すことができた ・ぷにょさん「それは人間の成長として健全」 ○『WHOLE BRAIN』との符合 ・ぷにょさんが最近読んだ本『WHOLE BRAIN』、人間の頭には四つのキャラクターがあるという ・右脳と左脳に二人ずつ人格が住んでいる、感じる脳と考える脳 ・左脳の感じる脳→トラウマや悲しいことの蓄積によって世界を見ている ・左脳の考える脳→段取りや効率を考える仕切り屋、批判や分析も得意 ・右脳の感じる脳→生まれたばかりの子、楽しいことしかやりたくない ・右脳の考える脳→大きな宇宙を意識し、大局を見渡して結論を下せる ・A左感→泣く赤ちゃん、B右感→笑う赤ちゃん ・C左考→学級委員長、D右考→神父さん(?) ・↑でいうと、Aはメンヘラ(Cはモラハラってことかね) ・どれかが極端に成長しすぎると、偏った人間になる ○ふたたび、ジャッキーさんのこと ・ジャッキーさんの場合、Aが極端に強かったところから、他のBCDが伸びていってバランスがとれていったのではないか ・泣いてばっかりいた少年時代のジャッキーさん 家では暴れられない(兄に潰される)ので、学校で暴れていた 脅かされて、恐ろしくて、抵抗をしていた 弱いから武器を使うしかない 動物性の強い野蛮な状態だった ・「そこで学習ですよ」小2までに手塚治虫の漫画を徹底的に読み込むことによって知性を身につけていった ○この図式により客観視を可能にして、自覚することが大事 ・内向メンヘラで居続ける必要はない ・自分に対しても他人に対しても、向き合い方を考えやすくなる ・小さいころ、あまり笑わなかったというジャッキーさん ・漫画を読んでいる時だけ、親に気持ち悪がられるくらい大爆笑していた ・少なくとも、サッカーとかで大爆笑(?)する子供ではなかった ・他人との関わりの中で笑うということがなかった ・兄弟の間でも楽しいことはたくさんあったが、泣かされることも多く、どこかで常に怯えていた ・漫画の中でだけ笑うコトができたんだ…… ・小沢健二さんを好きになったのも、まだ泣いていた頃だったかもしれない ・彼がテレビの中で「楽しそうに歌っていた」「笑っていた」ことが、道しるべになった可能性がある ・お笑いが好きだったのもそう 笑いたかったし、笑うということを知りたかったのではないか ・人を笑わせるのも、自分が笑えないから人を笑わせて、一緒に笑いたかったのかもしれない(自己分析!) ・そのように「笑う自分」を開発していった ・左脳が勝ち過ぎちゃうと窮屈な人になる? ・ジャッキーさんは左脳型だと思われがちだけど、実は右脳のほうが発達しているのかもしれない ・夜学バーの「複数の人に同時に話しかける」というのは、「...
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    42 分
  • #074 世代・年齢・時間⑤ 引き算で生きる――強者でも弱者でもない「無印の者(しゃ)」として
    2024/07/22
    色々ありまして(便利な言葉)……具体的にはジャッキーさんに心身と時間の余裕がなかったゆえ、ものすごく間が空いてしまいました。申し訳ありません。今回もおもしろいのでお許しください! 山梨の山中にて静養しつつ編集いたしました。 ……収録が3月なのでもし違和感あったらごめんなさい~。 【目次】 ○弱者が強者に転じる循環について ・時代が流れ、ルールが変わることで弱者が強者になる ・柔軟な「86年の高校生」が強者に転じた? ・りりちゃんも関係ある? ・そのような循環は歴史上くり返されてきた ・ユダヤ人、芸能界…… ・その芸能界もついにひっくり返される時が? ジャニーズ帝国の崩壊、松本人志の活動休止…… ・権威はいつか失墜する ・この「下剋上の歴史」をいつまでくり返すのか? ○ゆる弱者ラジオ ・これ聴いてるのは「強者になろうという気はない人たち」? ・氷砂糖のふたりも、あまり強者になろうとは思っていない ・弱者でも強者でもない、中者? ただの者? ・何者でもないけど「自分」であり続ける感じ? ・ぷにょさんは「見つかりたくない」 ・注目されるとちょっとのミスもつつかれる ・ジャッキーさんは「バズりたい」が、「売れたくもない」 ・叩いたらどれだけ埃が出てくるか! ・「埃の重りで夜学バー潰れますよ」「キャンセルされますよ」 ・人間には、人様には見せられない、陰の部分がある ・こっそりやれば「面白いね」で済んでたことも……もちろん「地上波」では流せないけど、特別な、楽しいこと ・「どこに出しても恥ずかしくないもの」しか許されないのは、おもんない ○こっそりと、対等に ・だからYouTubeとかではなく「10人も入れないような小さなお店」で言論の自由を謳歌しているのだ ・知能が高いっていうことは、意地が悪いってことでもある? カラスの例 ・強者になればなるほど「こっそり」を失っていく ・巨大化すると当たり判定も大きくなる ・松本人志さんの件も、「弱者男性」だったら「しょうがないわね」で許されたのだろうか? ・「対等な関係が結べないということは、すごいリスクですよね」 ・対等じゃないってことは、ルールが変われば逆転しうるということ ・力を持つと自動的に「対等」ではなくなる ・爆笑問題の太田光さんや杉村太蔵さんは、「いかに権威的にならないか」を徹底している ○ナンチャンの何がすごいか――引き算の芸 ・ウッチャンナンチャンも「いかに権力を握らないか、握っているように見えないか」に腐心していると思う ・太田さんの「恐妻家」キャラや、光代さんの存在がバランスを取っているのではないか ・(むしろいずれ光代さんが大炎上する可能性のほうが想像しやすい) ・「ちょっとバカにされておく」という戦法 ・みんなナンチャンの凄さにまったくピンときていない そこがすごい ・「剣の達人は剣を持たない」を体現している ・90年代前半はナンチャンがものすごく前に出ていたが、だんだん洗練されて「面白いことをしないし言わなくても、なんだか良い」と無意識に感じさせるようにしているのではないだろうか ・ドラマ『不適切にもほどがある!』における八嶋智人さんのようなもの ・いてもいなくてもいいように思えるが、実はいないと成立しない ・存在感がない人間は替えが効かない ・タモリさんもそういう存在だったのかも ・「タモリって面白くないよね」と思われていた90年代 ・2000年代以降から「実はタモリってすごいよね」になっていったと思う(クイック・ジャパンのタモリ特集が2002年) ・「気配を消す」ことが一番の芸 ・引き算の、日本的な芸能(ナンチャンが狂言や落語などをやっていることも関係するかも) ・「本当のこと」という透明な感じのものを見つめていると、だんだん「引く」ほうに興味がいくようになるのでは? ○夜学バーにおける「引き算の美学」 ・なぜ夜学バーが「強者になりたがらない人たちにとってかけがえのない場所(自称)」でありつづけられるのか? まずは店主が「べらべらぐいぐい喋らない」ということがある お客さんが「何かしなきゃ」という気持...
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    38 分
  • #073 世代・年齢・時間④ 強者と弱者が反転する/柔軟性と既得権(『不適切にもほどがある!』を例に)
    2024/04/29

    【目次】

    ○前回は「卒業と再会、そして時間とは何か」だった

    ・最近はそういうの(世代間ギャップ)が流行っている?

    ・宮藤官九郎・作『不適切にもほどがある!』

    ・クドカンにパクられた!(詳しくはここで語っておりませんが、ジャッキーさんが16歳の時に書いて上演したお芝居『少年三遷史』がものすごく画期的なタイムスリップものだった、というお話です。くわしくはまたいつか……

    ・今日のお茶は


    ○ドラマ『不適切にもほどがある』

    ・簡単なあらすじ

    ・阿部サダヲ演じる主人公は昭和61年時点で50歳くらい、すなわち戦前生まれ→38年後(令和6年)にタイムスリップ

    ・いろんな人が昭和と令和を行き来するお話

    ・昭和と令和のギャップがギャグであり物語のキーになっている


    ○ぷにょさんの考えたこと

    ・昭和のスケバン純子は未来に行って、希望を持つ

    ・スケバンをあっさりやめて青学を目指して勉強を始める

    ・対照的に、マッチ(近藤真彦)に憧れるムッチ先輩はスタイルを変えない(この時点では放送されていなかった最終回ではスタイルを変えていた!)

    ・ジャッキーさんの視点:時代の流行に流される女として描かれていると思っていたが、実は自分の意志で未来をつかみ取れる人間であるということがわかった


    ○前回の話につながる

    ・ムッチ先輩へのあこがれ=「同化」の願望から、純子は卒業していく その時に「もう知らない、さよなら」ではなく「かっこいいっす」と表現している

    ・令和に希望を持つ昭和の女子と、昭和を面白がる令和の男子

    ・容赦なく変わっていく環境に順応せざるを得ない

    ・純子は常に「わたしは間違っているんじゃないか」という視点を持っている?ので、変わっていくことに抵抗がない 昭和の女性の立場が弱かったことに関係がありそう

    ・いっぽう昭和の男性は「男たるもの」という確固たる価値観(自己肯定の方法)があり、自分が間違っているとは思いにくい

    ・環境がガラリと変わったときに、食物連鎖の頂上にいた生物が絶滅したりする

    ・弱者たる女は「察知してふるまいを変える」ということを自然にできるが、男は強者だからこそそれができない

    ・純子とムッチ先輩の対比はそれを描いているのではないか

    ・1986年は男女雇用機会均等法が施行

    ・じっさいムッチ先輩は逃げ切れる世代なのかもしれない(生きていればいま60歳前後?)

    ・ムッチ先輩は彦摩呂になってしまう

    ・「変わらない」を選んだ(柔軟性がない)ゆえ、彦摩呂になってしまうのではないか?(最終回では、柔軟性があった?ことがわかるので、彦摩呂を回避できたかもしれない)

    ・「空気読まなきゃ」と思っている(弱い立場の)人たちこそが新しい時代を創っていく


    ○強者と弱者の逆転、循環

    ・強者たちはいずれ弱者に転落する

    ・いじめられている昭和の「おじさん」たち

    ・弱者であったはずの純子のような少女が「青学」(強者側)を目指す、いっぽう強者であった男たちは「アップデート」を求められる

    ・「バカだから流行に乗っている」のか「時代の波に乗れる柔軟性がある」なのか

    ・ジャッキーさん「ドラマの話しに終始してしまいましたが、普遍的なことがいま出てきて、僕はとても知的に面白い、興奮していますわ」遠心的!

    ・革命は弱者が起こす

    ・しかし、落ちていく強者を「ざまあ」と見下しては、不幸がくり返されるだけ

    ・弱者、強者という考え方じゃないところに持っていかなきゃいけない(ジャッキーさんふうにいえば、数値化できるようなものの考え方はよくない)


    ○次回予告

    ・どこかへ飛んでいきましょう

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    34 分

氷砂糖のおみやげに寄せられたリスナーの声

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