• 音で旅する只見線#14「会津越川~会津横田」

  • 2024/09/01
  • 再生時間: 9 分
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音で旅する只見線#14「会津越川~会津横田」

  • サマリー

  • 会津川口を出発して「あれ?只見川の川幅狭くなってる?」と思い会津越川や会津横田あたりで見える只見川は明らかに川幅が細くなっています。上流部に来たのでしょうか?ちょっと只見線小話。只見線は1926年に会津若松~会津坂下間を開通、当時は「会津線」という名称でした。その後延伸を続け1956年に会津川口まで開業します。でも当時から”只見線”は存在しました。新潟県の小出駅から大白川駅間が開通したのが1942年。つまり1956年当時は会津線と只見線という繋がっていない別々の路線だったのです。一方、会津川口から只見までは「電源開発」という会社が田子倉ダム建設資材運搬のために敷設した専用路線が1956年頃に繋がりました。田子倉ダム建設後の専用線は1963年に譲渡され「会津線」が会津若松から只見まで延伸されました。1971年には只見駅から大白川駅までも建設され全通、全線に渡り名称を「只見線」となりました。田子倉ダム、只見ダムなど只見川沿線には大規模ダムがいくつもあります。ダム建設に必要条件を満たしていたためと思われます。実際、上流の尾瀬も東京電力の持ち物でダム建設を予定していたそうな。しかし尾瀬の自然を守ろうという声は戦前からあり東京電力の私有地ながら開発されることなく、東京電力も協力して尾瀬の自然を守っています。一度、田子倉ダムの中を見学させて頂きましたが、とにかく広いし暗いし・・・ここから首都圏に電力を送っていると考えるとそれを守る方々には感謝しかありませんね。
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あらすじ・解説

会津川口を出発して「あれ?只見川の川幅狭くなってる?」と思い会津越川や会津横田あたりで見える只見川は明らかに川幅が細くなっています。上流部に来たのでしょうか?ちょっと只見線小話。只見線は1926年に会津若松~会津坂下間を開通、当時は「会津線」という名称でした。その後延伸を続け1956年に会津川口まで開業します。でも当時から”只見線”は存在しました。新潟県の小出駅から大白川駅間が開通したのが1942年。つまり1956年当時は会津線と只見線という繋がっていない別々の路線だったのです。一方、会津川口から只見までは「電源開発」という会社が田子倉ダム建設資材運搬のために敷設した専用路線が1956年頃に繋がりました。田子倉ダム建設後の専用線は1963年に譲渡され「会津線」が会津若松から只見まで延伸されました。1971年には只見駅から大白川駅までも建設され全通、全線に渡り名称を「只見線」となりました。田子倉ダム、只見ダムなど只見川沿線には大規模ダムがいくつもあります。ダム建設に必要条件を満たしていたためと思われます。実際、上流の尾瀬も東京電力の持ち物でダム建設を予定していたそうな。しかし尾瀬の自然を守ろうという声は戦前からあり東京電力の私有地ながら開発されることなく、東京電力も協力して尾瀬の自然を守っています。一度、田子倉ダムの中を見学させて頂きましたが、とにかく広いし暗いし・・・ここから首都圏に電力を送っていると考えるとそれを守る方々には感謝しかありませんね。

音で旅する只見線#14「会津越川~会津横田」に寄せられたリスナーの声

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