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サマリー
あらすじ・解説
序)イスラエルの七つの祭りと黙示録
・春の 4 つの祭りは、イエス様の初臨のみわざを示すものである。
・秋の 3 つの祭りは、再臨に向かうみわざを示す。仮庵の祭りは新天新地の永遠を示し、宥めの日(別訳:贖いの日・大贖罪日)が再臨を示すので黙示録には宥めの日のモチーフが行き渡っている。
・宥めの日はユダヤ人にとって年毎の審判の日。十日間の悔い改めが認められれば「いのちの書」に名前が残されると考えられた。黙示録はこれを神の国の完成と永遠のいのちに応用して語っている。
1)教会が「死ぬ」とは?
・「あなたは生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」の「あなた」はキリスト者個人のことではなく地域教会を一人の人として見立てて語っている。個々人が霊的に「眠っている」結果、教会は死ぬ=存在目的を見失う。
・「目を覚ます」ことは「盗人」に警戒することに関連して語られていることから、教会の「死」は、世界の闇と向き合い、燈をともすこと、夜間警備の務めを果たしていないということ。私たちは朝をもたらすことはできないが、闇の中で無力なわけでもない。
2)祈りを失った世界の危機
・「目を覚ます」ことと「祈る」ことは関係が深い。霊的に眠るとは、祈りを失うこと。祈りによって天とつながる世界に神の国は興されるが、祈りを忘れさせる力が働くのが、今の世の闇である。
・歴史の中で教会が始めた奉仕事業(保育園、幼稚園、学校、介護施設等)から、祈りが失われた結果、闇の力に飲まれている現状がある。
3)「宥めの日」の目的
・「宥めの日」は祭司たちが「白い衣」をまとい奉仕する日である。この日は、神様の臨在の光が、神殿に維持されるために、儀式が行われた。これが原型になり、究極の宥めの日は、全世界に神の臨在が満ちる日。私たちの歩みは、すべてこの日に向かうものであり、教会はその拠点。
・祈る者は、祈りの答えを受け取り、祈りの答えそのものになっていく。
結)「目覚めている者」だと慢心しないこと
・このサルディスの教会宛ての手紙には目覚めている「彼ら」が出て来るが、黙示録の読者とは別の存在であるかのように描かれている。これは読者にへりくだりを求め、他の信仰者の祈りの生活を敬い模範とすることを教える。
・誰もが「眠り」に誘われる。明日が再臨という緊張感をもって祈ろう。