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サマリー
あらすじ・解説
序)神の国を妨げているもの
・免疫が不具合を起こすと、自分の身体を攻撃してしまうことがある。
・安息日が、息苦しい日になってしまったユダヤ社会
・神殿が、特権階級の私腹を肥やすシステムになってしまった世界
→「問題はローマ帝国なのだ」と考え、打倒ローマを掲げていた人々に、イエス様は「自分を捨て」「自分の十字架を負う」ことを提示する。
1)「たましい」を救う道
・「いのち」プシュケー:たましいと訳され、肉体的な生死とは違う次元、ここでは精神的な「いのち」「たましい」であり、名誉や誇りという要素が含まれる。「自分のいのちを救おうと思う」→「自分の誇りを守ろうとする」という意味で読むことができる。
・「いのちを失う」とは、自分の大切にしてきた誇りや名誉を失うこと
・ローマを打倒し、自由と独立を勝ち取ってこそ「たましい」は救われるという機運が満ちた世界でイエス様の言葉は語られている。
・「わたしと福音のためにいのちを失う」とは、イエス様の価値観に生きるなら、これまでの誇りを失うことになるが、新しい神の民としての「たましい」を得ることになる。
2)「たましい」が損なわれていることが問題
・「全世界を手に入れる」とは浅ましい野望のことではなく、全世界を治める神の国を描いている。問題は、どういう状態でそれに取り組むか。
・「たましいが損なわれた(いのちが失われた)」状態では、神の国は到来しない。「神のため」と言いながら、自分の名誉(私利私欲)のために生きている状態では、神の国ではなく獣の国を造ってしまうから。
・「たましい」がサタンに売られた状態では、どんなことも無益で、いやしがたい。イエス様時代のユダヤ当局はそうなっていた。
・「姦淫」は、神を愛すると言いながら、自己愛に陥ること。
→「わたしとわたしのことばを恥じる」…イエス様の生き方や価値を否定すること。そこに救いがないことが明らかになるのが「その人を恥じます」の意味である。
3)決定的瞬間~神殿が破壊される日~
・「人の子が、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るとき」、「神の国が力をもって到来しているのを見る」時とは、再臨の時では意味が通じない。これはエルサレム崩壊を暗示した表現である。(参照:マルコ 13 章)
・この日、ユダヤ人は「たましい」を救おうとして「いのち」を失った。
結)受難のイエスの背中を追って従い続けよう
・自分を捨てるとは自虐ではなく、自分を「パイプ」の終点にしないこと。