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サマリー
あらすじ・解説
序)受難節を意義深くする「神の国の福音」
・「天国に行ける福音」では受難節は「イエス様ほんとにすみません」の気持ちが少し強まる程度になってしまうのではないか。
・「神の国の福音」へと理解が深まる時、イエス様の受難と無関係に思われた受難(年度末の苦しさ等)が繋がり始める。
・愛をもって苦しみを担うなら、イエス様の十字架の力の分け前に与る。
1)「六日目」に山に登る意味
・「六日目」という翻訳は「六日後」の方が妥当。イエス様の行動は明らかに出エジプト記 24 章 12~16 節を意識している。
・イスラエルの信仰告白(契約締結)→六日後→モーセの登頂⇒ペテロの信仰告白→六日後→イエスと 3 人の弟子の登頂という並行関係
・「高い山」に登ることは、天に近いゆえに、神との特別な交わりを期待してのことであった。
2)山の上での圧倒的経験
・太陽の光と見間違うほどの、それ以上の光がイエスの内側から放たれた。「メタモルフォーゼ(変わる)」という特別なギリシア語。
・モーセとエリヤは、シナイ山の上で神の栄光に接した人物であり、この場面は、その再現である。イエスその人が、主の栄光そのものである。
・この姿はペテロを始め当時のユダヤ人の期待していたメシアの姿
・「幕屋」を作るとは、恐ろしい光を和らげ、閉じ込めるためのもの。この山を新しい聖地にしてはどうかという提案である。
⇒この提案は却下され、代わりに神の声が響く。
3)この出来事が意味すること
・ペテロだけでなく他に二人の弟子が帯同したのは、この出来事が夢幻ではなく事実・真実であることを証明するため。
・このタイミングでこの出来事が起こり、十字架と復活まで秘密にされ、その後、福音書によって公開されたのは「受難の先へと進むため」である。
⇒主イエスご自身のために:モーセとエリヤ(旧約聖書)との対話によって、受難の道を確認され、御父の「これはわたしの愛する子」という声をたましいに刻むため。存在そのものが愛されている確信なしに自分を捨てることは不可能である。受難の先に、世界全体が輝きを取り戻す御国が来る。
⇒弟子たちのために:「彼の言うことを聞け」とは、十字架にかかるキリストという不可解を抱えたままでも従い続けるための励まし。そして、復活のキリストに出会い、弟子たちもメタモルフォーゼし、同じ道を歩む。
結)臨在に触れ、山を下りる~受難の先へと進むために~
・受難の現実に、「いつものイエス様」と降りていく先に、栄光がある。