『天理教の時間「家族円満」』のカバーアート

天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
無料で聴く

このコンテンツについて

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。 スピリチュアリティ
エピソード
  • 「にをいがけ」ってこういう事!?
    2025/07/11
    「にをいがけ」ってこういう事!?                  兵庫県在住  旭 和世                       (あさひ かずよ) 次女が小学一年生になった頃、学校の運動場にあるウンテイが上手になりました。嬉しくて毎日毎日休み時間になると練習をしていたようで、家に帰ってくると、「ママ~手にマメができた~」と嬉しそうに話します。私は、「わ~、そんなマメができるまで練習するなんてすごいね!」と親子で喜んでいました。 数日後、朝の登校時間になってランドセルを背負う時、娘が「腕が痛い…」と言いました。私は筋肉痛だろうと思い、「腕を使い過ぎたんだわ。日にち薬だから大丈夫! いってらっしゃい!」と、不安そうな娘を見送りました。 そしてその日の夕方、娘は学校から帰ってくると、玄関に入るなりランドセルを下ろし、へたり込んでしまったのです。私があわてて駆け寄ると、とてもしんどそうな顔をしていて、額をさわると熱があります。驚いて、とにかくおさづけを取り次がせてもらい、娘を寝かしつけました。 夜になって会長である主人が御用を終えて帰ってきたので、事情を説明すると、すぐにおさづけを取り次いでくれました。 主人が娘に「大丈夫?しんどい?」と声をかけると、「痛い…」と言います。「どこが痛いの?」と聞き返すと、「手が痛い」とのことで、主人がふと見ると、手がグローブのようにパンパンに腫れていたのです。それを見て、これはただ事ではない!となり、急ぎ夜間の救急病院に走りました。 救急病院では、「ここでは見切れないので、明日、大きな病院に行ってください」との事で、翌日市民病院を受診しました。診察の結果は「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」という病名で、傷口などから細菌が入り、それが炎症を起こして体に回ると重症化する可能性がある、とても怖い感染症だという事を知らされました。 抗生剤の点滴を24時間投与する必要があると言われ、あわてて入院することに。まさか、ウンテイのマメからこんな事態になるなんて思ってもみませんでした。私は気づいてあげられなかったことを後悔し、「本当にごめんね」と娘に謝り、しばらくの入院生活が始まりました。 点滴を開始し、数日間は安静にしていましたが、熱も下がり、腕の腫れも良くなると、すっかり元気になって、そのうち娘は「小児病棟のプレイルームで遊びたい!」と言うほど回復しました。 子供にとれば、ずっと病室にいるのは退屈です。「そうだね!遊びに行こう!」と、二人でプレイルームに行きました。そこにはすでに先客が何人かいて、みんな思い思いに遊んでいます。その中の一人のお母さんと挨拶を交わして中に入り、次女は嬉しそうに遊び始めました。 私はひとしきり遊ぶ我が子を見守っていましたが、ふと、さっきのお母さんが目に留まりました。まるでこの病棟の子供たちをみんな知っているかのように、来る子一人ひとりに声をかけ、色々とお話をしているのです。 このプレイルームの保育士さんかな? いやいや、そんな感じでもない。きっと長い間入院されていて、いろんな子と知り合いになったのかな?ぐらいに思っていました。 そして翌朝、中庭でラジオ体操をするというのでデッキに行くと、またそのお母さんがよその子に声をかけ、面倒を見ている姿がありました。 「わ~すごいな。なんかすごくあったかくて、お道の人みたいに親切なお母さんだな~」と思っていました。  その後、しばらく娘の付き添いを義理の妹に任せ、その後、主人が交代して付き添ってくれていました。すると、しばらくして主人から電話が入りました。 「あのさ~、さっきプレイルームにさやかを連れて行ったら、知らないお母さんが『あら~さやかちゃ~ん!』って話しかけてくれて、うちの子のボサボサの髪の毛を見て気の毒に思ったのか、『髪の毛くくってあげよ~』って言って綺麗に結んでくれてさ~。えらい面倒見のいい方なんやな~と思ってたんだけど、そのお母さんと話してるうちに、同じ市内にある教会の奥さんだってことが分かったんよ! ...
    続きを読む 一部表示
    1分未満
  • まことの人
    2025/07/04
    まことの人 助産師  目黒 和加子 数年前、ラジオ天理教の時間に『テールランプを追いかけて』というタイトルで原稿を書きました。リスナーの皆さん、覚えておられるでしょうか。 その内容は私が4歳の時、父が事業に失敗し多額の借金を残して蒸発。その辛い経験を子供の視点で書いたものです。放送後、「そのあと、お母さんはどうされたのですか。お元気でしょうか」と母を心配してくださる声を沢山いただきました。今回は、母のその後の生きざまを書いてみます。 失踪してから7年後、私が小学5年生の時に父の居場所がわかりました。家庭裁判所の調停で離婚が成立し、私と弟が二十歳になるまで毎月養育費を送る約束でした。 しかし、送られてきたのは半年ぐらいでしょうか。しかも中身は五百円札が一枚とか、百円札が三枚とか、小さな子供にあげるおこづかいのような金額でした。現金書留の封筒を手に、悲しい顔でため息をつく母。そのうち途切れ途切れとなり、やがて届かなくなりました。 この頃から、母の中で何かが吹っ切れたのでしょうか。進んで人様のお世話をするようになり、子供の目から見ても変わっていくのがわかりました。 母は隣町の総合病院に看護師として勤めていたのですが、事情のある若い看護師さんや看護学生さんを抱えるようにお世話を始めたのです。 数年間、一緒に住んだ看護師さんも二人います。二人ともうちからお嫁に行き、うちで里帰り分娩しました。職場では救急外来と手術室の主任を兼任し、周囲から頼られる存在になっていったのです。 母が48歳の時、同じ病院で勤務するK先生が病院を開業することになり、総師長として来てもらいたいと引き抜きの声がかかります。悩んだ末に看護部門のトップである総師長として新たなキャリアをスタートさせました。 母がまず取り組んだのは、子供を持つ看護師や看護助手が働きやすい環境づくりです。病院内に24時間託児所や病児保育室を設置。その結果、離職するスタッフが減り、子育てと仕事が両立できる職場として地域に知られるようになりました。 また、その当時まだ珍しかった訪問看護ステーションを立ち上げ、自ら所長を兼務。地域医療の担い手として看護師を育てました。 そして、持ち前の粘り強さで周囲のスタッフを巻き込み、厚生労働省の定める看護基準の最高ランク「特A」の取得に多大な貢献をしたのです。当時、民間の中小病院では「特A」の取得が難しかった時代、周囲の同業者を驚かせました。 母は74歳で退職するまで25年間、総師長を務めました。長きにわたり続けてこられたのは、ゼロから立ち上げた管理職としての功績よりも、母の人柄によるものだと私は思います。 情に厚く、困っている人をほっておけない母。俗に言うガラの悪い地域にある病院なので、ヤクザの奥さんや刑務所から出てきた人など、びっくりする背景を抱えたスタッフもいたようです。嘘をつかれ、裏切られることもしばしば。それでも人を信じ、温かい情を貫いた母らしいエピソードを一つ紹介します。 木枯らし舞う二月の真冬日。看護助手の求人に応募してきた「橋本美加」と名乗る35歳の女性を面接しました。5歳の男の子を育てるシングルマザーで、埼玉から大阪に引っ越してきたばかりだと言います。身なりからは生活に困っている様子が漂い、深い事情がありそうです。 面接が終わると「子供を家に置いておけなくて、病院の玄関先で待たせています」と言うのです。その子は自動扉の向こうで寒さに震えながら待っていました。お母さんを見つけると嬉しそうに駆け寄ってきて、ピッタリくっついています。その姿に胸打たれ、一抹の不安を感じつつパートで雇うことにしました。 母は生活用品を揃えてあげたり、患者さんから頂いたお菓子を取り置きして持って帰らせたり、何かと心にかけていました。 それから一か月後のある朝、「橋本さんが出勤してきません」と病棟主任が報告に来たのです。橋本さんの携帯電話に掛けようとした時、総師長室の電話が鳴りました。橋本さんからではなく、なんと警察からです。 「総師長の佐々木さんですか。...
    続きを読む 一部表示
    1分未満
  • 世界一れつ皆きょうだい
    2025/06/27
    世界一れつ皆きょうだい フランス在住  長谷川 善久 一般的に西洋人は個人主義だと語られることがありますが、そんなイメージとは違う統計数値を見つけました。それはボランティア活動をしている人の割合です。 年に一回以上参加した人の数ですが、日本人は五人に一人にも満たない割合で、20代、30代に限って言えば約15%、フランスは約30%なので、二倍もの差が生まれているのです。世界で評されてきた日本人の美徳の一つ、相互扶助の精神はもはや昔のものとなっているのかも知れません。 フランスにあるヨーロッパ出張所では、毎年5月に「チャリティーバザー」を開催しています。開催時間は午後の4時間のみと短いのですが、700名以上が出張所を訪れ、無料で提供された物品や軽食販売、指圧や散髪などによる収益金は、全額慈善団体へ寄付をすることになっています。 30年ほど前の開始当初は信者のみで運営していましたが、最近では未信者さん方の「ボランティア」が増えており、全体の3,4割を占めるようになってきました。未信者さんのスタッフの多くは、天理教が運営する文化交流団体「天理日仏文化協会」の会員さんです。 信者、未信者を問わずスタッフの国籍も職業も年齢も多種多様です。日本人、フランス人はもちろんのこと、アフリカ人や南米人などもいます。また医師や弁護士、芸人、学生がいるかと思えば、年齢も上は80代から下は10歳ぐらいと、祖父母と孫のような三世代にわたる年齢層の方々がいます。 開催当日、来場者一人ひとりに次のおふでさきの一首を記したビラを配っています。   このよふを初た神の事ならば  せかい一れつみなわがこなり (四62) 肌の色や言葉の違い、宗教の違いも問わず、老いも若きも共に一手一つになり、困っている人のために我を忘れて尽くす姿が出張所で実現出来ていることに、教祖も喜んで下さっているに違いないと確信しています。 チャリティーバザーと言えど、出張所としては、物を売り、寄付金を集めることで満足するべきではありません。ただ単純に安価な商品販売をすることで、結果的に来場者の物欲を増長するような場にはしないことを申し合わせています。 ある時のバザーでは、いかにも手癖の悪そうな若者が人目を避けるように入場してきました。数分もすると彼が入った売り場の未信者スタッフから私に連絡があり、「所長、万引きしそうな若者が来たので見張りに来てください」と言われました。当然、直ぐに駆け付けましたが、私が彼を見張った理由は、万引きを防ぐためではなく、彼の心の中で物欲が強くなるのを防ぐこと、「よく」の心を起こさせないように祈ることでした。 このチャリティーバザーの真の目的は、あくまでもボランティアや来場者を含めた関係者全ての人が、親神様のお膝元で、他者の救けにつながる行いをし、それによる他者とのつながりを通して、現代のストレスにまみれた心の皺を伸ばしてもらう場にすることだと思っています。 そのためにも、私たちが醸し出す雰囲気で、「世界一れつ皆きょうだいの精神」を感じてもらうことを目指すのが、必要不可欠な心構えだと、信者スタッフにはいつも伝えています。 なればこそ、来場者が何も購入しなくても、人とのつながりが楽しめるようなアイディアも取り入れています。天理日仏文化協会で公演をして下さった方々によるコンサートや演劇、パントマイムなどがそれで、私たちの真の目的を果たすための大きな役割を担ってくれています。 これら無料の文化プログラムがあるお蔭で、より多くの人が出張所の芝生の上で家族揃ってピクニックをするようになったのです。人種、宗教が違えど、偶然隣り合った人と一緒に美しい音楽に聞き惚れ、面白い演劇を見ながら笑い合うきっかけを、これら文化プログラムはもたらしてくれるのです。 そして、私たちがおぢばで迎えられた時に感じるような、スタッフの笑顔とゆったりとした優しい雰囲気の中で、心と心のつながりが生まれやすい環境を提供してくれています。 ある時、レジで黒人の女性が大声を出してスタッフと言い合...
    続きを読む 一部表示
    1分未満

天理教の時間「家族円満」に寄せられたリスナーの声

カスタマーレビュー:以下のタブを選択することで、他のサイトのレビューをご覧になれます。