『天理教の時間「家族円満」』のカバーアート

天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
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概要

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。 スピリチュアリティ
エピソード
  • 慎みの心
    2026/03/13
    慎みの心 大阪府在住  山本 達則 神様のお言葉に、 「知らず/\の道、分からず/\の道、みす/\の道ある。これ三つ出掛けたらどうもならん。(中略)暗がりの道が見えてあるから、諭さにゃならん」(M24.7.24) というお言葉があります。 自分が知らないうちに誰かを傷つけていたり、嫌な思いをさせてしまったり。教えられたことの意味が分からずに間違ってしまうことや、分かっているのにみすみす間違った行動をしてしまうことも…。これらは、私たちの日常で少なからず起きてしまうことです。 以前、電車に乗った時の話です。私が乗り込んだ時、車内には空席が沢山ありましたが、私は座席に座ることなく立っていました。次の駅に着くと沢山の方が乗り込んできて、たちまち満席になりましたが、そこに後から高齢の女性が乗って来ました。すると座っていた一人の女性がすかさず席を立ち、その高齢の女性に席を譲りました。 高齢の女性は恐縮しながらも席に着き、譲った方の女性も何事もなかったようにドア付近に立ちました。その時、私のすぐ近くにいた若い男性も、同じように高齢の女性に気がつき、腰を浮かせましたが、女性が席を立つ方が少し早かったので、男性はそのまま席に着きました。また、同じくそばに座っていたサラリーマン風の男性は、同じように高齢の女性に気づいていながら、携帯に夢中で気がつかないふりをしているように見えました。 この場面、最初に席を譲った女性に関しては、素晴らしい人だすけの行動であることに疑いの余地はありません。しかし、もう少し広くこの場面を見てみると、席を譲ろうと腰を浮かせた男性にとっては、先を越されてしまった悔しい出来事だったかもしれません。 また、気づかないふりを決め込んだ男性の様子は、私には少し不機嫌なように見えました。本来は自分も席を譲るべきだと分かっていながら、気がつかない振りをしてしまった自分と、即座に譲ることが出来た女性との違いに自己嫌悪を感じていた、とは考えすぎでしょうか。 話は変わりますが、ある時、地域の方々と街のゴミ拾いをさせて頂いた事がありました。普段歩いているだけでは気がつかないゴミが沢山あることに、改めて気づいた一方で、一緒にゴミ拾いをしている人たちの言動が気になりました。 「こんな所にポイポイとゴミを捨てる事が出来る人間は、ろくな人間やない」「誰が捨てているのか分かったら、家の前にまき散らしてやりたい」「こんなやつ、バチが当たったらええねん」などなど…。現に、駅の近くの歩道を、キョロキョロとゴミ箱を探しながら歩いている方が、結局見つからなかったのか、歩道の端っこに申し訳なさそうに、そっと空き缶を置いていく。そんな場面に遭遇したこともありました。 それにしても、街をきれいにするための行動をしながら、自分自身の心を憤懣で汚してしまっている、実に勿体ないことです。 自分ではそんなつもりが全く無いのにも関わらず、どこかで誰かに不満を抱かせてしまっている。先ほどの電車での場面がまさしくそうで、席を譲った女性は何一つ間違った事はしていません。そうした、むしろ賞賛に値するような行動でさえも、自分自身の知らない所で誰かが不満に思ってしまう事があるのです。 また、「こちらの選択が正しい」と分かっていながら、そうできないという事も多々あります。電車の中で、高齢の方に席を譲ったほうが自分自身も気持ちがスッキリすると分かっていながら、行動に移せないこともあるのです。さらには、ゴミ拾いの場面のように、折角良いことをしているにも関わらず、愚痴や不満によってみすみす心を濁してしまうこともあります。 私たち人間には、「心の自由」があります。しかしその自由は、目の前の現象に対してどう考え、どう行動するか、という所までで、その行動に対しての結果はまったく自由ではありません。 その結果を、喜べるような結果に近づかせるためには、「神様から見れば、私の行動はどこかが間違っているのかも知れない」「知らない間に誰かに迷惑をかけたり、嫌な思いをさせているかも知...
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  • おつとめメンドクサイ…
    2026/02/27
    おつとめメンドクサイ… 岡山県在住  山﨑 石根 2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。岡山は震源地から遠く離れていたので、当初はあまり気にかけていなかったのですが、事態は刻一刻と悪化していき、私たちはメディアを通して、その被害の尋常でない様を目の当たりにすることになりました。 ちょうど翌日の12日は、当教会で「おとまり会」という子どもを対象にした行事がありました。参加してくれた小学生たちと一緒に夜の時間を過ごしたのですが、テレビは震災の報道ばかりで、原発事故に関する緊急発表などもあり、みんなでただならぬ空気を感じていたことをよく覚えています。 あの日、あの時、あの頃、恐らく日本の多くの方が、大きな不安と共に落ち着かない日々を過ごし、「被災地のために何かしたい、何かしなければ」と思いながらも、何も出来ないことへの焦燥感や無力感を抱いたのではないかと思います。そして、世の中は忽ち自粛モードになりました。 天理教教会本部では、翌日からすぐに「お願いづとめ」がつとめられました。また、12日、13日、14日の三日間、教会本部にならい、国々所々の教会でも、正午に時間を合わせて真実を込めたお願いづとめがつとめられ、私も一生懸命祈りました。 震災から二か月が経った5月12日から16日、私は招集を受け、被災地を訪れました。これは「天理教災害救援対策本部」のもとで実施された取り組みで、被災地において特に子ども達を元気づける活動をするため、天理教の中で学生や子ども達のお世話に携わっているメンバーでいくつかのチームが結成されたのです。私は以前、児童養護施設で心理職として勤務していた経験から声がかかり、被災地で「子ども会」を開催するチームに加えて頂きました。 私たちのチームは6名でしたが、折り紙やバルーンアートが得意な方、プロのマジシャンとして活躍している方、ピアノが得意でリトミックが出来る方など、頼もしいメンバーばかりでした。私たちは、「天理教災害救援ひのきしん隊」という、現地で具体的な支援活動をされている方々と同じ宿営地に宿泊し、期間中、一つの保育所と六つの避難所で実動しました。 具体的には、避難所の子ども達と90分ほどの時間枠でとにかく元気に遊ぶプログラムを組みました。バルーンアートや折り紙から始め、大縄跳びやボール遊びなど身体を使った外遊びに展開していき、最後はマジックを披露し、避難所生活のストレスを解消してもらうことを目指しました。 どの避難所でも、不自由な環境で避難生活を送っておられることに、胸が痛みました。私たちが出来たことは本当に些細な活動でしかなかったのですが、子ども達が思いっきり遊び、それを見ている大人の方々が笑顔になる、それだけでこちらの気持ちも救われました。 私たち自身ももちろん緊張もしますし、感情が大きく揺れ動きます。避難所から避難所へ移動する時には、被災地の衝撃的な辛い現状を目の当たりにするので、活動に際して気持ちのオン・オフが非常に難しかったのを覚えています。 一か所だけ訪れた保育所では、自分たちのほうが辛い立場にあるはずの子ども達が、「さんぽ」と「ありがとうの花」という手話を用いた歌を、私たちへのお礼としてプレゼントしてくれ、涙をこらえるのに必死でした。 特に私は、当時、我が子が4歳と2歳でちょうど同年代でしたので、あまりにも身近に感じてしまい、励ます側が励ましてもらっているような状況に、何だか後ろめたさまで感じてしまいました。 最後には園長先生が、「天理教さんには救援物資をたくさん頂き、炊き出しもずっとして下さり、今日は心の栄養まで頂きました」という言葉を下さり、それに支えられたような心持ちでした。 被災地から帰宅した私は、教会の信者さん方にこの時の報告をしました。原稿にまとめて話すつもりだったのですが、いざ言葉にすると、涙があふれて止まらなくなり、うまく伝えられなかったのです。それは、自分がしてきたことがあまりに小さく、何も出来なかったのではないかという申し訳なさを感じていたからだと思います。 ...
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  • なぜ、ごみを拾うのか
    2026/03/06
    なぜ、ごみを拾うのか 東京都在住  松村 登美和 今月は野球のWBC・ワールドベースボールクラシックが開催されます。日本代表チームは、3月6日から10日まで、東京ドームで第一次ラウンドを戦い、そこを勝ち抜くと、アメリカに試合会場を移して、準々決勝、準決勝、決勝と試合が行われます。 前回大会は2023年の開催でしたが、どの試合も手に汗握る展開で、最後は決勝で、大谷翔平投手がアメリカに投げ勝つ感動的なラストシーンで幕を閉じました。3年前の大会は私も連日テレビにくぎ付けで、実に楽しい時間を過ごしました。 その前回大会は、日本チームの活躍が連日ニュースを賑わせましたが、その中で、野球以外のところで採り上げられた出来事もありました。 それは日本チームのベンチの綺麗さについてです。アメリカのある野球チームの監督が、SNSに決勝戦の試合中の日本ベンチの画像を投稿し、「日本のダッグアウトの綺麗さに驚く時間を取ってもいいか?」とつぶやきました。 すると、そのつぶやきに対して多くの人が賛同のコメントを返しました。なぜなら、写真に写ったベンチ内がきちんと整頓されていて、地面にはゴミ一つ落ちていなかったからです。 アメリカでは、試合中に選手がヒマワリの種の殻を地面に吐き捨てたりするのは普通のこと。かつて大リーグに在籍した日本のあるプロ野球選手によると、飲み終えたペットボトルや、食べ終えたお菓子の袋をベンチに捨てるのは通常の風景で、彼の地では「掃除する人の仕事がなくなったらどうするんだ」という空気感なのだそうです。 その日本人選手は、「日本にいる時は、落ちているごみは拾ってごみ箱に捨ててましたけど、そのように言われると、下に捨ててもいいか、という気持ちになってしまいましたね」とテレビで話していました。 また、今年は6月にサッカーのワールドカップも開催されます。この大会でも、日本人のごみ拾いが世界の注目を集めています。日本代表チームの選手やスタッフが、ロッカールームを綺麗に掃除、整頓したり、日本人サポーターが試合後にスタンドのごみ拾いをしたりする風景が恒例となっています。カタールで行われた前回4年前の大会では、国際サッカー連盟の大会組織委員会が日本のサポーターを表彰しました。 表彰式では、「自発的に動いていたことに感銘を受けた」「モロッコやチュニジアのサポーターが真似をするなど、すでに他国のモデルになっている。カタールや他の国にも広めたい」との挨拶があったそうです。 日本人サポーターの行いが良い手本となり、他国の人が真似をし始めている。その姿を自分の国や、他の国にも広めたい、と話してくれたのです。 大谷翔平選手のごみ拾いも有名です。試合中、グラウンドに落ちているごみをさりげなくポケットに入れる様子が、しばしば見られます。また、大谷選手の元チームメートで、前回WBCの最後の打席で大谷選手と対決したアメリカ代表の主将トラウト選手が、大谷選手と同じようにグラウンドでごみを拾う姿も、YouTubeで見ることが出来ます。 このごみ拾いの輪が広がる話を聞くと、天理教の神様、天理王命様のあるお言葉が頭に浮かびます。 「一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まるという」。 少し難しい言葉使いですが、「誰か一人が他人や周囲を思いやる、嘘偽りのない誠実な心を持っていれば、いずれ家庭でも職場でも、内々全体が睦まじく治まっていく」という意味です。 なぜかと言うと、誠実な姿は、少しずつでも必ず人に伝染していくからです。一人、また一人と誠実な心が伝わっていき、いずれ全体が優しい雰囲気に包まれていく。天理教では、そう教えられています。その証拠の一つが、大谷選手や、ワールドカップでのごみ拾いの広がりなのだと思います。 天理教では「誠」とは「少しでも人のよいよう、喜ぶよう、救かるように心を働かせること」と教えられています。 ですから私たちは、「ごみを拾うことで、掃除をする人の仕事を奪ってしまう」とは考えず、「ごみを拾うことで掃除をする人の手間が省けて、その...
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