• 天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
  • サマリー

  • 心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
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あらすじ・解説

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
エピソード
  • こども食堂×補導委託
    2024/11/22
    こども食堂×補導委託                   千葉県在住  中臺 眞治 3年ほど前、妻から「こども食堂をやってみたい」と相談がありました。「近所に親しい人がいない」という地域の方々の不安の声を耳にすることが増え、安心できる顔なじみの関係づくりが必要ではないか、というのがその理由でした。 ちょうどその頃、教会では働きに出ることが困難な方が数人一緒に暮らしていて、そうした方々の活躍の場にもなるのではという期待もあり、始めることにしました。色々と不安な点もありましたが、同じ地域に以前からこども食堂を実施している教会があり、そちらのご夫婦に諸々のアドバイスを頂きながら、令和4年3月に第一回を開催することができました。 こども食堂を始めて3カ月が経った頃、地域の自治会から質問状が届きました。「なぜこども食堂を始めたのか?」「宗教の勧誘は行うのか?」などなど、そこには地域の方々の不安がつづられていました。 「地域に親しい人がいるという安心をみんなでつくる」をコンセプトに始めたこども食堂でしたが、地域に溶け込めていないのは私ども教会の側だったのだと、あらためて気づかされた出来事でした。  しかし、それらの質問にお答えしたところ、自治会長さんがいたく感激され、自ら宣伝役を買って出て下さったばかりでなく、宗教施設でこども食堂をすることに反対の声が上がると、自ら説得に赴いて下さいました。そうした協力のおかげもあり、現在では毎回50世帯ほどの親子連れや一人暮らしの高齢者などが利用されるようになりました。 こども食堂は、お手伝いをして下さる方やお米や野菜を寄付して下さる方など、様々な方の協力なくしては開催することができません。しかし、そういう活動であるからこそ、多くの皆さんとたすけ合いの輪が広がっていることを実感できるのです。 そのこども食堂に、時々、補導委託の少年たちがボランティアスタッフとして参加してくれることがあります。補導委託とは、非行のあった少年を家庭裁判所からの委託で預かり、更生のお手伝いをする活動です。 ある日、家庭裁判所から一本の電話が掛かってきました。ある少年を3日間教会で預かり、こども食堂のお手伝いをさせてあげてほしいとの依頼でした。ただ、職員さんが付け加えて言うには、「少年は非行を繰り返しており、いつも不貞腐れていて、裁判官にも盾突くような子です。それでも預かっていただけるでしょうか?」とのこと。 私は「もちろん大丈夫ですよ」と伝えてその日を待ちました。 約束の日になり、A君はやってきました。A君は最初こそ緊張した面持ちでしたが、聞いていた話とは違って、とても素直な少年でした。掃除や買い出し、お弁当の詰め込みなども一生懸命手伝ってくれて、教会で暮らしている方々とも、他愛のない会話をしながら楽しそうに過ごしていました。 こども食堂当日を迎え、私が「今日のテーマは、とにかく来た人を喜ばすということだよ」と伝えると、その意を汲んで懸命に努めてくれました。そして予定の3日間が過ぎ、みんなから「ありがとう。お疲れさま。また来てね」と見送られながら、自宅へと帰っていきました。  その翌日、家庭裁判所から電話がありました。「実は昨晩、A君から『この度は、大変貴重な経験をさせて頂きありがとうございました』と、裁判所にお礼の電話が掛かってきたのです。そんなことを言う子だとは思いませんでしたし、言葉遣いまですっかり変わっていました。中臺さん、一体何をしたのですか?」  そう聞かれても、私は特別何かをした覚えがないので、返事に困ってしまいました。 その後、半年ほど経った頃に、その職員さんにお会いする機会がありました。私がA君のことを尋ねると、職員さんはA君が書いた補導委託についての感想文のことを話して下さいました。そこには、こうつづられていたそうです。 「自分は友達と比べながら、なんて恵まれない家庭なのだろうかと思い、不貞腐れて生きてきた。でも教会に行ったら、自分よりもっと恵まれない家庭の人たちがいた。では、その人...
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  • ゲームは宿題が終わってから!
    2024/11/15
    ゲームは宿題が終わってから!                    岡山県在住  山﨑 石根  私には子どもが5人いるのですが、この春、小6になった4番目の三男はいわゆる天然キャラで、「おとぼけちゃん」なんです。うっかりした失敗が日常茶飯事なので、しょっちゅう私たち家族に笑いを届けてくれます。また、その反対に怒られてしまうこともしばしばです。  今年の夏休みのことです。我が家には、「夏休みの宿題を全部終わらせたら、ゲームをしてよい」というルールがあります。少し厳しいようですが、2年前の8月末に、大量に残っている宿題に深夜まで付き合わされた妻が下した鬼のミッションなのです。  今年も皆、7月中に宿題を終わらせようと一生懸命頑張りました。特に小6の三男と小4の妹は、7月末に4日間、母方の祖父母の家に泊まりに行き、「この期間に全部終わらせる」と意気込んでいました。 ところが、祖父母の家から戻った時に事件は起こったのです。仕事から帰った私が、ゲームをしている三男を見て、「宿題終わったんか?」と尋ねると、「全部終わった」と言います。「じゃあ、見せてごらん」と言うと、「妹に確認してもらった」と言い、なかなか見せようとしません。ゲームに夢中だからです。 しかし、ここは退いてはダメな場面だと思い、きちんとチェックしようとすると、一つの宿題が見当たりません。それは「サマー32」という冊子で、国語・算数・理科・社会・英語のすべての教科を網羅したメインの宿題です。 「サマー32が無いやんか」 「だから、それも妹に確認してもらったってば」 押し問答は続きます。 祖父母の家に忘れていないか尋ねたり、あちこちの部屋を探したりしたのですが見つかりません。そこで私が彼の旅行かばんをのぞくと、ついに「サマー32」が現れました。ところがその冊子の中身は、何と7割ぐらいが白紙の状態だったのです。 「ほら、やってへんやないか!」  私も驚きましたが、あろうことか三男も目が点になっているのです。 「いいや、僕は絶対全部やった」 「でも、ここに出来てない宿題があるやんか」 「だから、全部やって、妹にも確認してもらったんだって」 「確認、確認言うても、目の前に終わってない宿題があるやないか」 「だから、おじいちゃんのうちで全部やったんだってば!」  再びの押し問答、もはや『世にも奇妙な物語』のようです。実際に目の前に出来ていない宿題があるのに、なぜそれを認めず、「やった」と言い張るのか…。 もやもやの晴れないまま迎えた夕食の席で、衝撃の事実が判明します。妹が、「お兄ちゃんがやってた宿題は、私の分で!」と打ち明けたのです。何と三男が仕上げた宿題は、小4の妹の「サマー32」だったのです。  椅子から転げ落ちそうなくらい皆でズッコケましたが、三男にしてみたら笑い事ではありません。うっかりもここまでくると、不注意以外の何ものでもないのです。  さらに、妻からとどめの一言が続きました。 「ほら~、やっぱり!」  実はこの「やっぱり」には、ものすごい重みがあるのです。  これは私たち夫婦のさんげ話にもなりますが、彼が小4の時の担任の先生から、三学期の終わりに次のようなことを言われました。 「息子さんは、一年間、宿題のドリルをほとんどしませんでしたよ」 本人の「宿題はもう終わった」というセリフを真に受け、忙しさを理由に確認を怠っていたのは私たちです。妻は彼が小5になってからも、「ドリルは一生ものだから、いつやっても遅いことはない。小4のドリル、今からでもやりねえ」と再三にわたって促していたのですが、彼は全くやらなかったのです。 その上での、妻からの一言。 「ほらね。やっぱり、小4の宿題を、こういう形ででもやらなあかんようになってたんやで。神様は見抜き見通しなんやから!」  この妻の的を射た一言に、三男は泣きっ面に蜂で、ぐうの音も出ませんでした。 『天理教教典』では、「善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる」と、厳然たる因果律の存在が述べられており、これを...
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  • 知ることからはじめてみませんか?
    2024/11/08
    知ることからはじめてみませんか? 埼玉県在住  関根 健一 先日、行きつけの酒屋さんで買い物をした時のこと。会計をしようとレジに行くと、店主から「Hさんから関根さんに渡してくださいと預かったよ」と、小さな包みを渡されました。開けてみると、酒の肴になりそうな、ちょっとしたおつまみでした。 こちらの店主は、私より一回り以上年上の方ですが、20年近くのお付き合いになります。客として通ううちに意気投合し、お酒のことを教えてもらったり、イベントのお手伝いをしたり、仕事の悩みの相談にも乗ってもらう兄貴分のような存在です。 先日、酒蔵での仕込み体験イベントが開催され、私も店主のサポート役としてお手伝いをしたのですが、その時に夫婦で参加していたのがHさんでした。 Hさんは足に障害があって、「補装具」と呼ばれる足の機能を補完する特殊な靴を履いています。あまり馴染みのない方は気づかないかもしれませんが、私は障害のある娘と共に生活する中で、様々な補装具を見てきた経験があるので、Hさんに初めてお会いした時から、不便なことはないか、さりげなく気にかけるようになっていました。 酒蔵での仕込み体験イベントでは、蒸したお米を「放冷機」という機械に通して冷まし、出てきたものをタンクに入れたり、お酒の元となる「もろみ」を袋詰めして絞りにかけるなどの作業を、蔵人と呼ばれる職人さんの指導を受けながら行います。 周囲の配慮もあって、ある程度のことは一緒に体験できたHさんでしたが、タンクの中で発酵しているお酒を見るには階段を上がらなければならず、その時は下で待つことになりました。 ご本人にとっては、足に障害があるので、階段を上がれないのは当たり前なのかも知れませんが、障害があることで諦めてしまうことを、出来るだけ増やしたくないという私なりの思いがあります。そこで、皆が階段の上で見ている資料などを出来る限りHさんの所に運んで、少しでも同じ体験に近づくようにお手伝いをしました。 そのことをHさん夫妻はとても喜んでくれたようで、そのお礼に酒屋さんを通じて、おつまみを届けてくれたとのことでした。 私にしてみれば、極々当たり前のことをしたまでです。「お礼なんてして頂くほどのことではないのに…」とも思うのですが、当日も別れる間際まで「ありがとうございました」と、ご夫婦で繰り返しお礼をして下さったことなどを思い返すと、日頃周囲で同じように対応してくれる人はあまりいないのかもしれません。 私は時々、障害者の暮らしについて話して欲しいと、講演依頼を受けることがあります。その場合、比較的障害者と接することが少ない方が対象の時は、「世の中には、意識的に障害者を差別する人よりも、ただ単に実態を知らない人の方が圧倒的に多い」ということを強調して話すようにしています。 街中には、障害者にとって障壁となるものや、不便なものが数多く見受けられます。しかし、私も娘が生まれるまでは、それらを何気なく通り過ぎていたのであって、娘を連れて歩いて初めて、その障壁の多さにびっくりしたものです。 今でこそ障害者の家族として、SNSを使って情報発信などもしている私ですが、娘が生まれるまでは無関心だったことを思うと、まだ気づくチャンスが訪れていない人に対して、「差別的だ」などと一方的に断じることは憚られます。大切なのは、気づくチャンスが一人でも多くの人に訪れるような社会を作ることだと思います。 そうした視点で見ると、生まれた時からお姉ちゃんが障害者という環境にある次女の行動には、多くのことを教えられます。 例えば幼稚園の頃、娘たちの大好きなお菓子を買ってきて、姉妹でどっちを選ぶかを聞きました。すると次女が、「ジャンケンで決めよう!」と提案します。手でグー・チョキ・パーを出せない長女と、どうやってジャンケンをするのか…?と観察していると、「ジャンケン、ポン!」の掛け声で長女が「グー!」と口で言うのと同時に、次女は背中の後ろで「チョキ」を出し、長女の掛け声を確認してから手を前に出します。妻と私は...
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