『天理教の時間「家族円満」』のカバーアート

天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
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このコンテンツについて

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。 スピリチュアリティ
エピソード
  • 人生100年時代
    2025/09/12
    人生100年時代 千葉県在住  中臺 眞治 5年ほど前、世の中がコロナ禍となって間もない頃、地域の社会福祉協議会の職員さんから相談の電話がありました。「お一人暮らしの高齢者で困っている方がいるので、そうした方の支援を天理教さんでして下さいませんか?」とのことでした。コロナ禍で私自身は時間を持て余していましたし、困っている人がいるならばという思いで、その依頼を受けることにしました。 最初の依頼は70代の男性からで、ゴミだらけになってしまった自宅の清掃でした。お話をうかがうと、「人間関係が煩わしくなり、10年前に引っ越してきたんだけど、地域に親しい人がいない。この何日間も人と話をしていないんだ」と言います。 元々は釣りや家庭菜園に精を出すなど、活動的な方だったのですが、コロナ禍で外出が出来ず、孤立した状況が浮き彫りになる中、片付ける気力も湧いてこなくなってしまったのです。なので、手を動かすことよりもまずは口を動かしておしゃべりすることを意識しながら、何日もかけてゆっくりと作業を行いました。 こうした高齢者の困りごとの依頼は、社会福祉協議会以外にも地域包括支援センターやケアマネージャーさんから教会へ届くのですが、対応出来ないほどの数の相談があるため、お断りせざるを得ない事も多く、地域には一人暮らしの高齢者の方が大勢おられるのだなと感じています。 厚生労働省が発表した令和6年の国民生活基礎調査の概況によると、65歳以上の単身世帯の数は900万世帯以上あり、この数は平成13年、2001年と比べ2.8倍になったとのことでした。 高齢になり、身体が不自由になってくると自分では解決しづらい困りごとが増えていきます。家族が近所にいれば色々と頼ることも出来ると思いますが、それも難しいという場合に、ご近所さん同士でたすけ合っているという方は少なくないと思います。 例えば運転出来る人に病院まで送迎してもらい、お礼にランチをご馳走したり、安否確認のためにお互いに声をかけ合ったりしている方もおられます。とても素敵なことだと思います。 その一方で、先ほどの男性のようにご近所付き合いが苦手な方もおられます。その男性からある日、「身体の調子が悪い」と電話がありました。 急いで自宅に駆け付けると、「二日前から起き上がれなくて、ご飯も食べていない。しんどいけど、救急車を呼んでいいのかどうかが分からない」と言うので、すぐに救急車を呼び、入院となりました。入院すると、病院生活に必要なものが色々と出てきます。私は看護師さんに「用意してください」と言われたものを買って届けました。 困った時に「たすけて」と言える相手がいない。そういう方は少なくないのではないかと感じています。いま紹介した男性も決して世間離れした方ではなく、至って真面目に生きてきた方で、人柄も良く、優しくて穏やかな方です。ただ、一つ二つ、ちょっとした不運な状況が重なってしまい、孤立し、困った状況になってしまったのです。こうした状況には自分も含め、誰もがなり得るのだと思います。 この活動は、ちょっとした困りごとのお手伝いを通じて、地域に新たな人間関係を増やしていくことを目的にしています。そのため、近所に住む信者さんや、教会で一緒に暮らしている方にも協力して頂いているのですが、活動を通じて地域に親しい人が増えていくことが、お互いの安心につながっていることを感じます。 また、戦争の体験を聞かせて頂くなど、自分とは世代も違い、違う価値観を持ち、違う体験をしながら生きてきた方と接することは、自分自身の視野を広げることにもつながっていくのだなと感じています。 少し話は変わるのですが、出会った高齢の方々が暗い顔をしながら、「長く生き過ぎた」とか「人に迷惑をかけてしまっているようで辛い」などとこぼされる場面が度々あります。健康面やお金のことなど、日々様々な不安を抱え、孤立感を感じながら生きてらっしゃるのだなと思います。 また、テレビでも日本が高齢化社会となり、様々な課題を抱えているという報道がなされるなど、長寿が...
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  • タイでひろがるたすけ合いの輪
    2025/09/05
    タイでひろがるたすけ合いの輪                      タイ在住  野口 信也 私はタイへ赴任して14年目になります。教祖140年祭に向け、皆が心を一つにして、病気の方や困っている方の力になってもらいたいとの真柱様の思いを少しでも実現するため、教友の方々と様々な取り組みをしてきました。そうした中、身近な方々が重病を発症されたり、急にお亡くなりになるなど、心を倒しそうになることもありましたが、大きなたすかりを頂戴することも多くあり、教祖の年祭へ向けた活動の大切さを改めて感じる毎日です。 そうした活動の中でのことをお話したいと思います。友人の誘いで信仰を始め、母親の大けがを通して親神様の大きなご守護を体験したチューンさんという方がいます。私の住むタイ出張所の近くで小さな料理屋を経営し、そこに妹さんと住んでおられました。 チューンさんの妹さんは優しくてとても温厚な方でしたが、病弱で心臓病や重度の糖尿病など様々な病気を併発していて、私は病気の平癒を願い、何度かおさづけをさせて頂いていました。かいさ しかしその後少し遠方に引っ越され、コロナ禍もあり思うようにお会いできなくなってしまいました。 チューンさんは以前から、自分も人類のふるさとである天理で教えを学ぶべく修養科を志願し、おさづけの理を拝戴して、一日も早く妹におさづけを取り次ぎたい、と話していました。 そして、2020年5月から開始予定の修養科タイ語クラスに志願するため、料理屋を辞め、日本のビザを取得し、後は出発を待つのみでしたが、コロナ禍の影響で二年に一度開催されるはずのタイ語クラスが急遽中止となってしまいました。そして、あらためて開催されることになった2022年の修養科タイ語クラスへの志願を目前に、妹さんは残念ながらお亡くなりになりました。 私は、チューンさんは修養科を辞退されるのでは、と思いましたが、「神様との約束ですから」と初志貫徹。修養科にて三か月間学び、自身の悩みの種であったひざの痛みも完治のご守護を頂き、勇んでタイへ戻ってきました。 そして、知り合いや近所に病気の方やケガ人がいると、自身の学んできたことをお伝えし、妹さんに出来なかった思いも込めて、おさづけの取り次ぎを続けておられました。 「これまでおさづけを取り次がせて下さいとお願いして、一度も断られたことはありません」と、チューンさんは嬉しそうに話していました。 そんなある日、今年の一月のことです。チューンさんを信仰に導いたBさんから連絡があり、チューンさんから緊急のラインが入ったとのこと。現在、バンコクから約400キロ離れたブリラム県の病院で母親の看病をしているが、膀胱炎で血と膿が止まらず、心臓肥大に末期の腎不全など様々な症状を併発している。94歳という年齢も考え、延命治療は断っているが、検査のための採血などで腕は青あざだらけで、可哀そうで仕方がない。お母さんが安らかな最期を送れるようお願いして欲しい、とのことでした。 お母さんは家庭の事情から、チューンさんの兄嫁の実家へお兄さんと一緒に引っ越しておられたので、10年ほどお会いできていませんでした。私は何とかもう一度お会いしたいと思い、すぐに車を運転してBさんと現地へ向かいました。 到着後、病室へ入ると、お母さんはとても苦しそうで話が出来る状態ではなく、すぐにおさづけを取り次ぎました。すると、たちまちいびきをかいて気持ち良さそうに眠ってしまいました。 私が来るのを待って下さっていて、このままお亡くなりになるのでは、という不安が頭をよぎりました。その横でチューンさんとBさんは、「お母さんはこの辺りに知り合いがいないので、葬儀はバンコクでやりたい」など、今後のことについて相談をしていましたが、夜間の地方道路での運転は危険を伴うため、15分ほどの滞在ですぐにバンコクへとんぼ返りしなければなりませんでした。しかし帰りの運転中も、バンコクへ到着してからもお母さんの容態が気になって仕方がありませんでした。 翌日、Bさんからチューンさんのラインが転送...
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  • 共に栄える理
    2025/08/29
    共に栄える理 東京都在住  松村 登美和 今年の夏も、厳しい暑さが続いています。振り返ると、ちょうど一年前は、今頃の季節からスーパーマーケットの棚からお米がなくなり始めて、以来「令和の米騒動」と呼ばれる状況が続いています。 3月からは政府備蓄米の放出が始まり、我が家も安い米を入手しようと、スーパーマーケットやドラッグストアのチラシをこまめにチェックするようになりました。 6月に近所のスーパーで、一回目の放出分の米を5キロ3,500円で買ったのですが、その時妻と「今まで4,500円ぐらいしていたから、たすかるね」「でもよく考えたら、去年の今頃は5キロ2,000円ちょっとだったよなあ。やっぱり高くなったなあ」などと話をしていました。 その夜、テレビでお米の値段について話題になっていました。「消費者にとっては安い方がありがたいけれども、生産者の農家からすれば、今までの値段は安すぎた」との内容でした。 番組では、農業関係者の方が「生産者側にとっての適正価格は?」とインタビューされて、「5キロで最低3,000円は…」「3,000円から4,000円」「3,500円は欲しい」など、それぞれの相場観を語っていました。 私は「もうちょっと安い方がいいなあ」と思いながら見ていたのですが、妻は「そう言えば、結婚した頃は今よりだいぶ、お米の値段は高かったわよね。農家の方にしてみれば、値段が下がり過ぎるのも辛いわよね」と言いました。 その時にふと、天理教教祖・中山みき様「おやさま」のあるお言葉が、頭の中をよぎりました。それは「高う買うて安う売りなはれや」というお言葉です。 天理教には、教祖が時々にお教え下されたお言葉などをまとめた『天理教教祖伝逸話篇』という書物があります。その中の一遍に記されている内容を少し紹介します。 ある時、43歳になる男性が、教祖のもとへ詣りました。その時、教祖が「あんた、家業は何をなさる」と、お尋ねになりました。男性が、「はい、私は蒟蒻屋をしております」と、お答えすると、教祖は、「蒟蒻屋さんなら、商売人やな。商売人なら、高う買うて安う売りなはれや」と、仰せになりました。 ところが男性は、どう考えても、「高う買うて、安う売る」という意味が分かりません。そんな事をすれば、損をして、商売が出来ないように思われる。そこで、早くから信仰をしていた先輩に尋ねたところ、こう諭されたそうです。 「問屋から品物を仕入れる時には、問屋を倒さんよう、泣かさんよう、比較的高う買うてやるのや。それを、今度お客さんに売る時には、利を低うして、比較的安う売って上げるのや。そうすると、問屋も立ち、お客も喜ぶ。その理で、自分の店も立つ。これは、決して戻りを喰うて損することのない、共に栄える理である」。 男性はそれを聞いて、初めて「成る程」と得心がいった、という逸話です。 私は米にせよ何にせよ、安い方がありがたいと思う訳ですが、確かに妻の言う通り、作る側にしてみれば、それが辛い状況につながることもあるのです。 天理教では、「自分さえ良ければ人はどうでもよい」という考え方は、「我が身可愛い」ほこりの心遣いである、と神様から戒められています。それを妻の一言で思い出しました。 ところで、今回改めてこの逸話を呼んで、一つ心に留まった一文があります。それは「問屋も立ち、お客も喜ぶ。その理で、自分の店も立つ」という部分です。「理で立つ」とは、どういった意味なのでしょうか。 問屋から高く買えば、問屋は喜びます。そうしたことで信頼関係を築き上げられれば、例えば商品が品薄になった時でも、多少なりと融通してもらえるかもしれません。また、お客に安い値段で売っていれば、客足は伸びていくでしょう。それが人情というものです。 しかし、男性に諭し話をした先輩は、そうした義理人情だけで「自分の店が立つ」と話したのではないように感じます。 自分の利益を優先する態度を「利己主義」と言います。その反対にあるのが「利他」の精神です。他人のために心を使ったり行動をしたりすることです。 親神様は、世界中の人間の「陽気ぐらし...
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