『天理教の時間「家族円満」』のカバーアート

天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
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このコンテンツについて

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。 スピリチュアリティ
エピソード
  • あるタイ人の若者と天理教の出会い
    2025/12/19
    あるタイ人の若者と天理教の出会い                     タイ在住  野口 信也  タイにはラームカムヘーン大学という、高校卒業資格を持つタイ人であれば誰でも入学できる大学があり、40万人を超える学生が学んでいます。ただ、入学が簡単で学生数が多いため、講義はモニター越しで行われることがほとんど。やる気のある者には広く門戸を開いて受け入れるが、真剣に学ばない者は卒業できないという、日本にはないタイプの大学です。  ある時、この大学に通っていたK君と知り合いになりました。彼は、私が再留学した時に住んでいたアパートの駐車場にある店舗で雑貨を販売していました。K君はとても気のいい人で、アパートの住人や警備員など、誰とでも気さくに話し、私もすぐに彼と仲良くなりました。 K君は人付き合いが良く、友達も多いのですが、勉強が少し苦手なようで、大学卒業は難しいかな、といった感じでした。 K君は私と仲良くなるにつれ、タイ出張所へ参拝に来たり、子供会などの行事に参加したり、時には友人を誘って参拝に来るなど、次第に天理教に関心を持ってくれるようになりました。そこでK君には、大学を卒業出来なくても、仕事を始める前に、少しでも天理教のことを学んでもらいたいと思うようになりました。 天理教には、人生で本当の幸せをつかむための心の使い方と身の行い方を、人類のふるさと「ぢば」で3カ月間学ぶ「修養科」という所があります。たすかりたいという心から、たすけたいという心、人のために尽くす心に生まれ変わる場所です。 1988年から、修養科にも隔年でタイ語クラスが開催されるようになり、K君にもぜひ修養科に入ってもらいたいと思っていました。しかし、修養科の費用や日本での滞在費、航空券代など、とても当時の彼にはそうした費用は捻出できません。また、私が費用を出してまで行ってもらう意味があるのかどうかと悩んでいました。 そうした時、ある先生から、「子供が成人するまで面倒を見るのが親の役目。費用は親の立場である導いた者が負担させてもらう。そうすることで、導かれた信者さん自身はおぢばで伏せ込んだ徳を頂き、費用を出し導いた者は半分徳を頂くことになります」とのお話を聞きました。それで決心がつき、K君に話をしてみると、大学のことも気にかかっていたようですが、日本へ3か月間行けるという楽しみが勝り、すぐに承諾してくれました。 そうしてK君は、翌年の5月から開催された修養科タイ語クラスに入学しました。一か月が経った頃、K君の関係者から、大学での試験にパスして卒業に必要な単位を取得できたとの連絡があり、K君は涙を流して喜びました。彼にとっては、本当に人生のいい分岐点になったのだなと感じました。 さて、修養科を終えタイへ戻ったK君、次は就職です。悩んだ末、高校時代から付き合っている彼女の勧めで公務員の試験を受けました。9年かかってようやく大学を卒業した彼はすでに29歳、何とかギリギリの点数で採用され、雑用係からのスタートとなりました。 その2年後、タイ出張所で行われた、修養科に志願する人たちの事前研修会でK君に修養科の感想を話してもらいました。彼は、授業はタイ語だったので問題はなかったけれど、生活する詰所ではタイ語が通じなかったことや、日本人の修養科生との共同生活での苦労などを語り、「でも、私の人生にとってはよい経験になりました」と話してくれました。 そして35歳の時、レクリエーション課長に就任した彼は、ようやく高校時代から付き合ってきた彼女と結婚しました。タイ出張所で天理教式の結婚式を挙げ、その後、タイ式結婚式、披露宴と続きました。 K君の田舎から、彼の母親と家族がバンコクへやって来ました。彼は「僕は9番目の子供で、一番の問題児だった。その僕がこんなに盛大な式を挙げられて本当に嬉しい」と話しました。また、K君の奥さんと家族からは、「天理教のおかげで彼は変わりました」と、お礼を言って頂きました。  それもそのはず、就職してからのK君は、何か思うことがあったのか、大学の土曜日、...
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  • 陽気ぐらしの扉は自分で…
    2025/12/12
    陽気ぐらしの扉は自分で…                     大阪府在住  山本 達則 家族の存在は当たり前で、それ自体に幸せを感じることを、忘れがちになってしまうことが多いように思います。それどころか、時には煩わしい存在になったりする事も少なくないと思います。 家族だからこそ言えること、言ってもらえることがある。それは本当は、自分自身にとってとても大切な存在のはずですが、かけがえのないものなのだと気づく時は、それを失った時だということもあるのではないでしょうか。  でも、それは「当たり前だ」という思いがもたらすのです。全ての人が、当たり前に与えられるわけではありません。  ある家族の話です。 会社員のAさんは、奥さんとの間に高校生の男の子と中学生の女の子、二人の子がいるごく普通の家庭を築いています。Aさんのお母さんは91歳で亡くなりましたが、そのお母さんが晩年に、とても趣深いお話しを聞かせて下さいました。 お母さんは、戦後の混乱期に、実に数奇な人生を歩まれた方でした。彼女は長崎で生まれ、幼い頃に被爆し、その影響で視覚に障害がありました。戦後、一人の男性と出会い、子供を授かります。しかし、男性の家族から厳しい反対にあい、結婚どころか、子供の認知もしてもらえませんでした。彼女はそれでも子供を産み、育てて行くことを決意しました。 今以上に私生児に対する風当たりの強かった当時、その厳しい視線にさらされ、視覚のハンデを背負いながらも、必死にAさんを育てました。 そんな時、お母さんは天理教の教えに出会い、教会に足を運ぶようになりました。そして、会長さんに諭された言葉によって、大きな勇気を得ました。 「あなたもあなたの子供さんも、決して不幸ではなく、ましてや神様から罰を与えられている訳でもありません。『お父さんがいない』というご守護を頂けたんですよ。  父親がいて母親がいて子供がいる、というご守護ももちろんあって、それが当たり前だと思ってしまいがちだけど、決してそうではない。世の中には結婚どころか、出会いすらないという方もいるし、いくら子供が欲しいと思っても、授からない人もたくさんいます。目が普通に見えるのは、当たり前ではない。見えない方もたくさんおられる中で、あなたは見えにくいというご守護を頂いたんです。その上であなたは子供を与えて頂いた。素晴らしいご守護ですよね。 でもね、そのような現実を喜ぶのは言葉で言うほど簡単ではありません。けれど、それを喜べるように心を切り替えて、生活していくのが天理教の教えなんです。今の状況を心の底から喜べるようになったら、きっと神様が次の喜びを下さいますよ」 そして会長さんは、「だから、二人で教会においで」と優しく言って下さったそうです。 それから、二人は教会に住み込みました。お母さんは教会で教えを学び、ひのきしんに励みながら、昼間は外で働いて必死にAさんを育てました。教会には8年間住み込み、その後、お母さんを応援して下さる方が現れ、教会を出て親子二人での生活が始まりました。 親子は本当に仲良く、いつもお互いを労わり合い、教会にもしっかりとつながりながら、日々を過ごしました。 お母さんは、「私は周囲の人から『大変ね』とか『頑張ってね』と励まされることが多い人生でしたけど、実は私自身は大変だと思ったことはないんですよ」と笑顔で話して下さいました。 そしてAさんは、高校卒業後、公務員として務めることになりました。Aさんは真面目に働き、親子でコツコツ貯めたお金で念願のマイホームを手に入れ、その数年後、Aさんは一人の女性と出会い、結婚することになりました。 ほどなく子供も授かり、親子3代仲睦まじい家族の形ができました。お母さんの喜びようは、例えようのないものだったと思います。 そしてお母さんは、息子さん家族の幸せな姿を見ながら、91歳の長寿を全うし、出直しました。自分自身が心から望んだ「家族」に見守られながら、安らかな最期を迎えることが出来たのです。 お母さんは生前、Aさん家族の姿を見...
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  • アリガトウ大作戦
    2025/12/05
    アリガトウ大作戦 岡山県在住  山﨑 石根 今年の夏休みに、小学5年生の末娘が歯医者で舌の手術をしました。きっかけは舌小帯と呼ばれる、舌の裏側についているヒダが短いと、小学校の健診で指摘をされたことでした。 歯医者を受診すると、確かに舌を前に出そうとしても口からあまり出ておらず、これから学校で英語などを学ぶ際に発音が難しくなるだろうからとの理由で、手術することを勧められました。 さて、彼女の手術は朝イチでしてもらいました。もちろん麻酔をしているので手術中は痛くないのですが、「麻酔が切れると今日一日は痛いでしょう」とのことで、痛み止めの薬と抗生剤を処方して頂きました。また、食事は刺激のあるメニューは避け、柔らかいものを食べるように助言を受けました。 ところが、彼女は昼食も夕食も痛くて何も食べられなかったのです。 昼には妻がフレンチトーストを作ってみましたが、本人は口を動かすのも痛いようで昼食はあきらめました。夕食では、「それを牛乳に浸しながら食べたら飲み込めるかも?」と挑戦しましたが、やはり無理でした。お腹が空いているのに食べることが出来ず、とても辛そうで、私たち夫婦も切なくなりました。 その日の夜、私は末娘に、病の平癒を願う「おさづけ」を取り次ぎました。神殿の参拝場にて妻も一緒にお願いをさせて頂いた後、私は娘に「かりもの」の話をしました。 天理教では、誰もが自分のものであると思って使っているこの身体は、親神様のご守護と共に私たち一人ひとりに貸し与えられた「かりもの」であると教えられます。そして、心だけが自分のものであり、自由に使うことをお許し下さっているので、神様にお喜び頂ける心遣いが大切になります。 私はこの大事な教えを末娘に分かるように伝えた上で、「こうして身体が自分の思い通りに使えなくなった時こそ、普段、当たり前のようにご飯が食べられていたことの有り難さを確認して、感謝したいよね。実は、ととも今から20年以上前に、ご飯が食べられなくなった時があるんで~」と、自分の体験を話しました。 平成13年6月17日、私は人生で初めて入院を経験しました。その2、3日前から発熱と喉の痛みがあって、次第に声が出なくなり、食べ物や飲み物が喉を通らず、ついには唾すらも飲み込めなくなりました。 当時、妻とはすでにお付き合いしていたのですが、心配して一人暮らしの私の住まいに看病に来てくれた彼女とは、筆談でしか会話が出来ませんでした。そしていよいよ限界が来て、大きな病院を救急で受診して検査をすると、白血球の数値が20,000を超える危険な状態ということで、緊急入院となりました。 翌朝、痛み止めの薬を飲み、何とか3日ぶりに食事がとれたのですが、さっそく午前中に扁桃腺を切開する手術のような処置がされました。診断名は「扁桃周囲膿瘍」という扁桃腺に膿がたまる症状で、切開で膿を排出することが必要でした。 その処置の痛いの何の! 処置の後も痛み止めを飲んだのですが、あまりの痛さに昼食は一時間かけても口に入らず、結局ほとんど残すことになってしまいました。 このような苦い体験を末娘に説明しながら、私は5日間の入院中、大勢色んな人たちがおさづけを取り次ぎに来てくれて嬉しかったことや、その時にみんながたくさん神様のお話を聞かせてくれて有難かったことなどを伝えました。 とりわけ面白くて心に響いたのは、私の母、娘にとってはおばあちゃんの話。「おじいちゃんとおばあちゃんと、ととの妹がすぐに岡山から駆け付けてくれて、やっぱり神様のお話をしてくれてね。最後におばあちゃんが、『あ んたはいっつも返答せんから、扁桃腺が悪くなるんやで』って言ったんで~」と言うと、それまで辛そうにしていた娘も、ようやく笑顔になりました。 病気や困りごとは神様からのお手紙だと聞かせて頂きます。当時の私は実際に親から、教会の月次祭へ参拝するよう、信仰姿勢を問いかけられていたのに、仕事の忙しさを理由に返答できていなかったのです。 毎日、当たり前のように会話ができ、ご飯が食べられ、お水が飲...
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