• 心定めが第一
    2026/06/12
    心定めが第一 埼玉県在住  関根 健一 待ちに待った教祖140年祭。その日を間近に控え、我が家もそれぞれ予定を調整し、家族揃って1月25日におぢばがえりをすることになりました。 車いすの長女も連れて新幹線で移動するため、荷物は前もって宅配便で発送を済ませ、あとは妻と一緒に教祖へのお土産を買いに行くだけ━そんな出発前日の夜のことでした。 近くの大型商業施設が夜9時まで営業しているので、午後7時から出勤する次女を職場へ送りながら出かけようという段取りになりました。夕づとめをつとめ、夕食を終えた私は一旦自室へ上がり、おぢば滞在中に片付ける仕事の資料を整理していました。 そろそろ時間かと思った頃、階下から私を呼ぶ次女の声がします。「はーい、今行くよ」と返事をし、パソコンを閉じて上着を手に階段を降りようとすると、次女が途中まで上がってきていました。そして私の顔を見るなり、「お母さんが心臓の辺りが痛いというので、病院に連れて行って欲しい」と、神妙な面持ちで告げたのです。 慌てて一階に降りると、胸を押さえて横になる妻の姿がありました。これまでも腰痛などでうずくまることはありましたが、明らかに様子が違います。ただならぬ気配を感じ、「救急車を呼ぼうか」と声をかけました。すると妻は苦しそうにしながらも、「救急病院に電話して」と指示を出しました。 すぐに連絡し症状を伝えると、「その症状は当院では専門外になる可能性があります。救急車を呼ぶか、総合病院へ連絡して下さい」との返答でした。 電話を切り、妻と相談の上119番へ連絡。事情を説明すると、「救急車を向かわせました」と言って頂き、少し安堵しました。その後も詳しい症状を聞かれ、最後に「サイレンが聞こえたら外へ出て誘導して下さい」と指示を受けました。 我が家から数百メートルの場所に消防署があるため、そこから来るものと勝手に思い込み、次女に妻を任せて私はすぐ外へ出ました。外へ出てから、「次女におさづけの取り次ぎをお願いすればよかった」と気づきましたが、あとで戻ってからでもいいかと思い、そのまま到着を待つことにしました。 坂の上から消防署の灯りは見えるものの、動く気配がありません。しばらくすると、向かっている救急隊員から私の携帯に電話が入りました。 改めて本人の状態を確認したいとのことでしたが、私が外で待っていると伝えると、「到着まで10分以上かかります。患者さんのそばにいてください」と言われ、そのとき初めて最寄りの消防署からの出動ではないと気づきました。落ち着いているつもりでも、どこか動揺していたのかもしれません。 家に戻ると、次女が「お母さんにおさづけを取り次がせて頂きました」と報告してくれました。その言葉は父親への説明というより、所属の教会長への報告のように響きます。促さなくとも自らおさづけを取り次いでくれた次女の姿が、実に頼もしく感じられました。 やがて救急車が到着。その頃には激痛は和らいでいたものの、波のように痛みが戻る様子です。妻をストレッチャーに乗せ、私と次女も車内へ。既往歴や服薬状況の確認が続き、搬送先が決まると、妻には次女に付き添ってもらい、私は自分の車で病院へ行くことにしました。 帰宅時間が読めないので、長女の介助を看護師の友人にお願いし、入れ替わりで病院へ。すると処置室の前で次女が待っていました。検査と処置にまだ時間がかかるとのことで、「このまま入院になるのか。果たして年祭に参拝できるのか」と、不安が押し寄せてきました。 すると、次女がポツリと「直前までいろいろ起こるね。これが年祭なんだね」と。そのひと言にハッとさせられました。目の前の出来事にうろたえて、これもまた親神様、教祖の思召しだと受け止められていないことに気づきました。 無心で祈る思いで待つこと一時間。看護師さんに呼ばれ、妻のもとへ向かいます。ベッドに横たわる妻は落ち着きを取り戻し、「もう大丈夫」と言えるほど回復していました。 検査結果では急を要する所見もなく、本日は帰宅可能とのドクターの説明を受け、一同胸...
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  • 親身の親
    2026/06/05
    親身の親 千葉県在住  中臺 眞治 我が家には、8歳と6歳の娘がいます。今はまだ幼く「お父さん、見て見て」と声をかけてくれたり、「お父さん、一緒にあそぼう」と手を引っ張って誘ってくれたりします。そんな時間を私はとても幸せに感じています。 けれども、子供は成長します。だんだんと家族以外の世界が広がり、親と過ごす時間は減っていくのでしょう。親にとって、子供の成長は嬉しくもあり、どこか寂しくもあるものだと感じています。 私は以前、子供とあまり遊んでいませんでした。そのことを反省した出来事があります。 娘の通う幼稚園の行事に参加した時の話です。そこで園長先生が、保護者に向けてこんなお話をして下さいました。 「今のうちに、しっかり子供と遊んでおかないと、将来困った時に相談してもらえなくなりますよ。一緒に遊びながら、喜んだり悲しんだりする。その積み重ねが、〝親は自分のことを分かってくれている〟という安心につながるのです」。 その言葉を聞いた時、私はドキッとしました。我が家の娘たちはとても仲が良く、放っておいても二人で楽しく遊んでいます。妻も子供と遊ぶのが上手で、三人で出かけることもしばしばあります。 それに比べて私は、「仕事があるから」「疲れているから」と理由をつけて、あまり一緒に遊んでいませんでした。「このままだと将来、私だけ相談してもらえない父親になるかもしれない」そんな思いが胸をよぎりました。 それ以来、妻と子供たちが「三人で遊んでくるね~」と言う度に、園長先生の言葉を思い出し、「ちょっと待って、俺も行く~」と後を追いかけるようになりました。 公園で遊んだり、お昼ご飯を食べに行ったり。特別なことではありませんが、その時間が今では、私にとってかけがえのない温かい時間になっています。正直に言えば、今さらあわてて関わり始めた私が、将来どこまで頼ってもらえるかは分かりません。それでも、この時間の積み重ねを大切にしたいと思っています。 子供が将来、誰に相談するのかを考えた時、私はふと、あることを思いました。 私は最近、疑問に思ったことを対話型AIに相談することがあります。膨大な情報の中から、自分では決して思いつかない答えを示してくれる、頼りになる有り難い存在です。しかし、どれほど優れた答えを示してくれても、私と共に悩み、共に喜び、幸せを祈り続けてくれる存在ではありません。 これから先、子供たちも少なからずAIに相談しながら生きていく時代になるでしょう。その時AIは、正しい答えを示してくれるかもしれません。ですが、我が子の幸せを心から願い続ける存在にはなれません。その役目は、やはり親にしか出来ないのではないかと思うのです。 私たちの元の親、実の親である親神様について、『天理教教典』には以下のように記されています。 「親神は、ただに、神と尊び月日と仰ぐばかりでなく、喜びも悲しみもそのままに打ち明け、すがることの出来る親身の親である」 神様には嬉しいことも、悲しいことも、どんなこともそのまま安心して打ち明けることが出来ます。なぜなら、例えこちらが何かが出来ていても、何も出来ていなくても、神様の子供可愛い一条の親心は揺らぐことがないと信じられるからです。 誰もが長い人生の中では、生きる意味や、自分の存在価値を見失うことがあるかもしれません。だからこそ、子供たちには、いつでも、いつまでも揺らぐことのない神様の親心を感じながら、生き抜いていってほしいと願っています。 そのためにもまずは私自身が、どんな時も神様に喜びも悲しみも打ち明け、感謝しながら歩む姿を、子供たちに見せていきたいと思っています。 心に吹く風「思いは誰かに届く」 私は天理教の教会長ですが、それ以外にもいろんな活動に関わっています。宗教家としての熊本刑務所教誨師、行政では主任児童委員、そして学校ではコミュニティー・ティーチャーという立場を頂いて、たびたび小学校の英語の授業にアシスタントとして入っています。 あれは六年前のことでした。私の受け持っていた小学校六年生のクラスで...
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  • 今が有難い
    2026/05/29
    今が有難い 東京都在住 松村 登美和 2月のことです。妻とテレビのワイドショーを見ていました。コメンテーターが、あるマラソンレースの結果を振り返りながら、正月の箱根駅伝でも活躍した選手の走り方や、次に開催されるオリンピックの代表選考について、解説をしていました。 次回のオリンピックは2年後、2028年にアメリカのロサンゼルスで開催されますが、マラソンの代表選考は、昨年のレースからすでに始まっているのだそうです。 「そうか、もう次のオリンピックがあるんだ」「前回はパリで、その前が東京だったっけ」と話しながらテレビを見ていると、妻が「東京オリンピックって、メダルいっぱい取ったんだよね」と言いながら、スマホで当時のことを調べ始めました。 すると、「あれ、『2020年東京オリンピック』って書いてあるけど、やってるの2021年だよ」と言うのです。一瞬、頭の中にはてなマークが灯りましたが、すぐに思い出しました。 そうです、2020年は新型コロナウイルス禍の真っ最中で、オリンピックは一年延期されたのでした。世界を恐れと不安に陥れたあの出来事の記憶を、たった5、6年で頭の隅へ追いやってしまうんだ、と自分を振り返りながら、テレビを消して、当時のことについて妻と話をしました。 新型コロナウイルスの流行で、日本では10万人以上の方が命を落とし、すべての人が身体や心、生活や仕事に大きなダメージを受けました。 東京オリンピックが開催されるはずだった2020年は、その年の1月に国内で初の感染者が発生し、東京でも次々と感染が広がっていきました。 私はその東京に住んでいるのですが、東京都では2020年4月から、感染対策として大学などの学習施設、劇場やスポーツ施設、カラオケ施設などに営業休止が要請されました。 また飲食店は午後8時閉店、お酒は午後7時までしか提供できなくなりました。最初の要請は6月に一旦解除されましたが、感染拡大を受けて、その年の夏から秋に、営業短縮の要請が発出されました。 私の家の近くには、居酒屋などの飲食店が多くあります。小中学校の同級生も数人、お店を営んでいるのですが、そうした友人と話をしていても、「居酒屋で夜7時までしかお酒が出せないなんて、誰も店に来ないよ。店を続けていけるか心配だ」といった不安の声をよく聞きました。 夏秋の営業時間短縮は、感染状況を踏まえながら、段階的に緩和されていきました。8時までだった営業時間が10時まで、7時までだったお酒の提供は8時まで、そして10時まで、と段階的に軽減されていったのでした。 その2020年の秋、町で知り合いの男性に会いました。その方も飲食店を開いています。 世間話から始まって、「最近はお店、どうですか?」と尋ねてみました。するとその方の話では、春の緊急事態宣言の時には、しばらくお店を開けていたけど全くお客さんが来ず、最近まで長期間、閉店していたとのこと。時間短縮の期間が明けて、夜もお酒を出すことが出来、お店を遅くまで開けるようになってから再開したと話していました。 そこで私が、「お客さんは戻ってきましたか?」と尋ねると、「いや、まだ全然だよ」との返事でした。 「それは大変ですね」と言うと、その方は「でもね、前に比べたらましだよ。4月は全然だったから。今はね、遅い時間にお客さんは来ないけど、6時7時には来てくれるんだよ」と言うのです。 そして、「4月の時は本当に誰も来なかった。でもね、今は有難いんだよ。早い時間に常連さんが来てくれるようになったから。それが嬉しいんだよ。時間が経てば、きっと遅い時間にも来てくれるようになると思う。今、来ないお客さんのことを思って無いものねだりしてストレスを溜めても、何もいいこと無いからね」と仰るのでした。 その話を聞いて、私は「水を飲めば水の味がする」と教祖が仰せられたお話を思い出しました。 天理教の教祖、中山みき様は、天理教が始まった当初、ご自身がお嫁入りの時にお持ちになった荷物から始まり、中山家の食べ物、着物、金銭に至るまで、次々と困っている人々に施されていきました。生計が苦しくなってからも...
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  • 私、ひのきしんがしたい!
    2026/05/22
    「私、ひのきしんがしたい!」 兵庫県在住  旭 和世 ある日の夕方のことです。教会につながる中学生のTちゃんから、私の携帯に着信がありました。 電話に出ると、Tちゃんはいつもと違う元気のない様子で「いま、塾に向かって途中まで来たんやけど、どうしても行けない。でもうちにも帰りづらい…」と、最後は涙声でした。 驚いた私は、そのまま彼女を迎えに行き、教会に連れて帰ることにしました。冬休み直前の出来事でした。 Tちゃんはそれまでの数か月、学校に行けない日が続いていました。いわゆる、不登校のような状況です。 さかのぼること5年ほど前、友人の娘さんが、突然学校に行けなくなった事がありました。その後、状況はどんどん進み、学校どころか部屋からも出られなくなってしまったのです。 けれど信仰熱心な友人夫婦の事、これはきっと神様が友人家族にお与え下さった節なんだ。いつかこの節が生き節になって、この日があったからこそと思える日が来ますように…と、毎日お願いしていました。 その後、しばらくは大変な状況が続きましたが、不思議なご守護を頂いて娘さんの心は少しずつ回復していき、現在はとても元気に成長されています。 友人はこの大変な経験から、「同じように辛い思いをしている人たちの手だすけがしたい」と、子供の不登校や心理学について勉強し、「不登校対応講座」の講師の資格を取得したと連絡をくれました。 彼女によると、不登校は決して怠けている訳でも、サボっている訳でもなく、なんらかのストレスによって心の傷が深まった時、本能的に心を守ろうとする自己防衛のようなものだということ。なので、なぜ学校に行けないのか、本人にもその理由が分からないというケースも少なくないそうです。そして、そんな状況の子供たちへの対応を学ぶことで、子供も親も不安が減り、早期回復を促すことが出来ると教えてくれました。 私にとっては、目からウロコなことばかり!これは不登校のお子さんがいる方はもちろん、そうでない方にも聞いてもらい、不登校の子供たちへの理解を深める事が重要だと思いました。 そこで、是非その「不登校対応講座」の話を、うちの教会で開いている「こども食堂」でしてもらえないかとお願いすると、友人は二つ返事で引き受けてくれました。 当日は、実際に不登校のお子さんを抱えているご家族や、こども食堂にボランティアに来て下さっている方など、色々な立場の方が参加して下さり、私も一緒に学んだ事で不登校への認識がまったく変わりました。 先が見えない事ほど不安な事はないと思いますが、お子さんが不登校になると、本人はもちろん、親御さんも「この先どうなってしまうのか、いつになったら復帰できるのか?」と焦って、お先真っ暗の状態になってしまう。さらに、その親御さんの不安げな顔を見て、お子さんも二重の苦しみを受けていく…という悪循環が生まれてしまうと思うのです。 しかし、不登校にはある程度段階があって、その段階を知り、親御さんや周りの人が適切な対応をする事で、子供たちの心は回復に向かうという事でした。 その講座の後、ほどなくして、Tちゃんのお母さんから、Tちゃんが最近学校に行きづらくなっていると聞きました。私はすぐに、講座で教えてもらった話をお母さんに伝え、まずは本人の思いを尊重しましょうと話しました。その後、Tちゃんは体調を崩し、寝込んでしまう日が続きました。 私は、とにかくおさづけを取り次がせて頂こうと、Tちゃんの家に行きました。いつも教会に来る時の明るい表情とはまったく違う、元気のないTちゃんの顔にびっくりしながらも、おさづけを取り次がせてもらいました。 お取り次ぎの後、「学校で何か嫌な事とか行けない理由があるの?」と聞くと、「ううん。学校には行きたいねん、でも何でか分からんけど無理やねん…」と。 その言葉を聞いて、ハッとしました。これは自己防衛をしているのだと。そこで私は、「Tちゃんは真面目だから学校いかなアカンって思ってるけど、心が疲れているから元気出ないんよ。今は体がTちゃんの心を守...
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  • みんなちがって、みんないい
    2026/05/15
    みんなちがって、みんないい 岩手県在住  相澤 加奈子 こども番組で流れてくる、金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」の詩をメロディーにのせた「みんなちがって、みんないい」という歌が、私は大好きです。 私たち夫婦は、七人の子供を授けて頂きました。その子供たちはまさに七人七様、同じように育てているつもりなのに、のんびりなマイペースタイプの子や、お世話好きのちゃきちゃきタイプ。スポーツが得意な子もいれば、スポーツは出来るだけやりたくないけど絵を描くのが得意、などなど。 同じお腹から産まれても、一人ずつ『得意なこと』が違うのです。子育てをする中で、子供たちが自分で得意なことを見つけ、それを大切にしてもらいたいと、親として感じていました。 ある時、当時幼稚園に通っていた次女が、「お姉ちゃんは足が速いからいいなぁ」と、少し顔を曇らせて言いました。確かに長女は小さい頃から活発な子で、リレーの選手に選ばれるほど運動が得意でした。一方、次女はおっとりしていて、運動会のかけっこでもゴールするのは決まっていつも最後のほう。 そんな次女が通う幼稚園の面談で、先生から「彼女は遊びに集中出来ていないんじゃないかと、少し気になっています」と指摘を受けました。よく聞いてみると、次女は、一人で遊んでいるお友達がいれば、自分の遊びをやめてそちらに行き、また次は違うお友達のところに行き…と転々とする事がよくあり、「周りを気にし過ぎて、遊び込めていないのでは」とのことでした。 私はそれを聞いて、「いつも気にかけて下さってありがとうございます。そのお話を聞かせてもらって、すごく嬉しいです。きっと本人は、お友達が一人で寂しがっていると感じて、自分からお友達の所へ行ったんだと思います。そうしてあげてね、と教えたとしても誰にでも出来ることはではないと思うと、娘の行動がすごく嬉しいです」と答えました。 運動が苦手でも、周りに気を配って優しい行動が出来ること。それを自分の「得意」なことだと感じてほしい、そう思った瞬間でした。 親神様は、世界中のどの子にも、きっと素敵な「得意」をお与え下さっているのです。天理教では、こうしたことを「徳分」と聞かせて頂きます。一人ひとりに与えて下さっている徳分、しかし自分ではそれに気づけないこともあると思うのです。 周りの人がキラキラ輝いて見えて、自分には何もないと落ち込んでしまったり、出来ないことばかりが目について自信をなくしたり。私自身も何度もそう思ったことがあります。だからこそ、子供たちには与えて頂いた「得意」に気づいて、それを伸ばして欲しいと思っていました。 中学一年生の次男は、ある事がきっかけで字を書くことが得意になりました。私の記憶では、小学三年生までは特別字が綺麗な訳でもなく、「もう少し丁寧に書いて」と注意するほどでした。 ところが、四年生の時の担任の先生が連絡帳に書いた字を毎日チェックし、丁寧に書けた人にシールを貼ってくれたのです。そのシール欲しさに丁寧に連絡帳を書き始め、先生や私に「きれいに書いてあって見やすいね。字が上手だね」と褒めてもらううちに、次男本来の真面目さも手伝って、字を書くことが得意になったのです。 自分で気づけなくても、周りから言ってもらううちに自分の得意に気づくこともあります。次男のおかげで、みんなが言ってくれる事が力になると分かって、家庭内でもそれぞれの得意なことを声に出して言うことを心がけるようになりました。すると、「お兄ちゃんって、こういう所が得意だよね!逆にこういうのは苦手で、弟の方が得意だよね」というように、会話の中で自然に相手の「得意」な所が出てくるようになりました。 しかし、いつもそう思える訳ではなく、得意な所を見てあげたいと思いながらも、それとは真逆の「苦手」な所が目についてしまうこともしょっちゅうです。 小学二年生の三女は、幼少期から語彙が少なく、言葉で指示を受けても、それを理解するのが難しいことを指摘されていました。私も三女の小学校入学後の学習を心配...
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  • 教祖のお導き
    2026/05/08
    教祖のお導き 福岡県在住  花田 浩美 去る1月26日、教祖140年祭がおぢばにて執り行われました。私たちの教会からは総勢17名が、福岡からおぢばに帰ることが出来ました。 大変寒い中でしたが、年祭に参拝できて、「ありがたかったね」「よかったね」「教祖に喜んで頂けたかな?」とお互いに喜び合い、その日の午後、大阪発のフェリーで帰るため、マイクロバスで詰所を出発しました。 しかし、ホッとした喜びもつかの間、奈良県と大阪の境目辺りの高速道路上で、前を走っているトラックがハザードランプの点滅を始めました。私たちが乗っているバスもゆっくりスピードを落としていきます。 どうやら渋滞に巻き込まれたようです。しばらくするとバスはぴたりと止まり、二車線とも全く動かなくなりました。 初めは年祭の影響で、交通量が多くて渋滞しているのかなと思っていましたが、消防車や救急車などの緊急車両が次々と路側帯を通り抜けて行きました。これは事故だ、しかもかなり大きな事故じゃないか…。 その時は、まだフェリーの出航時間まで余裕がありましたが、そのうちNEXCOの方が各車両に携帯用トイレを配り始めました。私たちのバスも人数分頂きましたが、その時に前方の事故の様子を聞いてみると、かなり大きな事故で、まだまだ通行できる目途が立たないとのことでした。 バスの中には、乳幼児、妊婦さん、ご高齢の方、がんの身上で横になっている方もいました。出港時間も迫り、だんだん心細くなってきました。 車内の誰かがスマホで調べると、トンネル内で、トレーラーとトラックが衝突し、車が横転したらしいと情報が入ってきました。私たちがいる場所から1.5キロ先に、トンネルが見えます。トンネルの中で車が炎上でもしたら、中の人たちが大変なことになると、皆で無事を祈りました。 ふと車の外を見ると、数人の女性が道路を歩いていました。何があったのか尋ねると、一キロ先に女性用の仮設トイレが設置してあるとのこと。私たちも車椅子の人を連れてバスを降り、一緒に歩きました。 高速道路を歩くなんて初めてで、ちょっと感動しました。しばらく歩くと、仮設トイレには200人ほどの長い列が出来ていました。並んで一時間近く経った頃、仮設トイレの容量がいっぱいになったらしく、携帯用トイレを使うしかない状況になりました。 私は余分に持っていたので、持っていない人がいないか確かめるため、並んでいる方一人ひとりに声を掛けていきました。すると、私の名前を呼ぶ声が聞こえました。 なんと列の中に、会いたいと思っていた、信仰を同じくする北海道の友人がいたのです。思いも寄らないことに驚き、感激のあまり、何度も何度も無事を確かめ合うかのように、抱き合いました。 私以外にも知り合いに会えた人や、トイレに並んでいる間に意気投合して友達になったりと、渋滞に巻き込まれたからこその出会いが多々ありました。 結局4時間後に通行止めは解除となりましたが、フェリーには間に合わず、陸路で福岡県へと戻ることになりました。 幸い、事故に遭った人たちは軽傷で済んだとも聞きました。大変なアクシデントではありましたが、その中でもバスの車内には笑顔がいっぱいでした。 「何が起こるか分からんけど、皆無事で良かったね」 「これも忘れられない思い出やね」 「護って頂いとるね」 と口々に喜び合い、教祖が最後の最後に私たちがもっともっと喜べるように、心一つになれるように、果たすべきことを与えて下さったのではないかなと思いました。 まさかの状況の中でも、不足することなく、誰を責めることもなく明るく過ごせたのです。そのみんなの姿を見て、本当にありがたく、嬉しく思いました。 無事に参拝できたこと。今こうして元気でいられること。それが、すでに大きなご守護。 普段何も起こらない日。無難で通らせて頂く日。それは〝何もない日〟ではなく、常に大きな難を小さくして頂き、小さな難を、何事もなく、無事にお連れ通り頂いている日なのだと感謝しました。 無難ではなく、小難という事故渋滞に敢えて関わらせ、見せて下さったお蔭で、...
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  • そのひと言があったから
    2026/05/01
    そのひと言があったから 助産師  目黒 和加子 「よく、曲がらないで育ったもんだ。そんな環境にいたら、道を踏み外して不良になってもおかしくないよ」 私の生い立ちの話になると、夫のめぐちゃんは、切なさと不思議さが入り混じった顔でそう言います。 「不良になるチャンスは何回もあったわ。悪くなっていく同級生や先輩も身近にいてたし」 めぐちゃんと私が育った昭和50年代は、素行不良の中高生が続出し、校内暴力・家庭内暴力が社会問題になった時代。 「今日を限りにいい子はやめる!悪い仲間に入ってグレてやる!って決意したことがあってんけどね。そのひと言があったから、道を外さんと踏ん張れてん」 「へえー。そのひと言って、なに?」 昭和43年。私が4歳の時、父の事業が失敗。父は多額の借金を残し、浮気相手のホステスと蒸発。ヤクザまがいの借金取りが入れ代わり立ち代わりやって来て、一家心中寸前まで追い込まれました。 その後、大阪から遠く離れた父の所属教会に預けられ、次に信者さん宅に引き取ってもらい、半年後、大阪に戻りました。が、元の家ではなく、そこは親戚宅の三畳間。 事情を知らされていない私は、「パパはどこにおるの?」と母にたずねました。途端に母の顔がこわばり、つないでいる手が震え出したのです。 〝パパのことを聞いたらあかんのや〟。幼心に刷り込まれ、それからは言わなくなりました。 もちろん、母も父のことを一切口にしません。その後も別の親戚宅を間借りして、浮草のような暮らしが5年も続いたのです。 小学三年生の時、親戚宅から独立し、アパートを借りて母と私と弟の三人で暮らせるようになりました。母は生活と父の借金返済のため、看護師の仕事以外に内職もしていました。働きづめで余裕がなく、笑顔が消えていったのです。 「お母さんが暗い顔してる。なんとかせなあかん」 元気の出る明るい歌を笑顔で歌い、掃除、洗濯、アイロンがけに買い物、何でもしました。 「和加ちゃんが歌ってくれると心が明るなるわぁ。家のことをしてくれるから安心して仕事に行ける。ほんまにたすかるわ」と微笑む母。 「わ・か・ちゃん。あ・そ・ぼ~」 「今、お風呂の掃除してんねん」友達が誘いに来ても、あくまで家のことを優先。 「帰ってきたら、すぐお風呂に入れるようにしといたげよ」 母の笑顔見たさに懸命に家事をする、しっかり者のいい子だったと思います。 父のことはもっぱら親戚から聞かされました。 「自分がつくった借金を女房に丸投げして、ホステスと逃げる最低な人間や。お父さんみたいな人になったらあかんよ。あんな人でなし!」 父は周りの人を不幸にした張本人です。しかし、そんな親でも悪く言われると子供の心はえぐられ、次第に傷は深くなります。 中学生になって間もない頃、法事で親戚が集まりました。会社の社長をしていた親戚のおじさんが、酔った勢いで「和加ちゃん、お父さんに似てきたなぁ。横顔なんかそっくりや。あんたのお父さんは悪い奴でなぁ。有名大学を出てるから営業部長にしてやったのに、営業だと言ってキャバレーで会社のお金を使い込んだ。だから倒産したんや! 倒産が決まった時に『社長がバカだからこんなことになったんだ』なんて言いやがって!」そう言って、手元にあったおしぼりをテーブルに叩きつけたのです。 「すみません、すみません」小さくなってひたすら謝る母。その姿がみじめで情けなくて、〝お父さんのしたことやのに私にぶつけるんや。これからも言われ続けるんやろな。もう耐えられへん。いい子はやめる。グレてやる!〟と決意したのです。 さっそく、不良グループを観察。「どないしたら仲間に入れるんかなぁ」と探っていました。 そんなある日、夕食の片づけをしていると母が側に来て、ニコッと笑うと、「和加ちゃんが産まれた時、お父さんはすごく喜んだのよ」と言ったのです。父のことを一切話さない母が、しかも笑顔で。そのひと言だけ言って、隣の部屋に行ってしまいました。 産まれてきた我が子を見て喜ばない親はいないでしょうから、ごく当たり前のことを言...
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  • 心にチカラを
    2026/04/24
    心にチカラを 兵庫県在住  旭 和世 「先進国における子供の幸福度」という調査があるのをご存知でしょうか? 先進国38か国で行われている調査ですが、その中で日本の子供達の現状として驚くべき結果が出ています。 「身体的健康」いわゆる体が元気という面では1位であるのに対し、「精神的健康」心が元気かどうかという面では、38か国中32位という、最下位に近い真逆の結果になっています。要するに体は健康なのに、心が元気ではないという事なんです。 また、日本の10代後半から20代の死因の1位は「自死」という調査結果もあります。 たとえ元気に産まれてきて、住む家、着るもの、食べるものにそれほど不自由のない状況だったとしても、心が幸せではないという、とても切ない現実があるのです。 とある新聞記事では、ベトナムからの留学生が日本の感想をこんな風に語っていました。 「日本に来るまでは、きっと日本人は自分の国に誇りを持ち、幸せに暮らしていると思っていた。しかし実際に来日してみると、日本人はいつも疲れていてあまり笑っていない。いつも何か心配しているように見える。経済的豊かさは幸福につながるとは限らない。日本人の幸福とは何なのか」 海外の人にも、日本人の心は疲れているように見えるのだと思いました。 少し前のことです。娘が学校でいじめにあっているのでは?と思う事がありました。最近元気ないな、学校へ行くのも足取りが重たいな…とは感じていたのですが、ある日たまたま娘のいつもとは違う状況を見かけたのです。考えすぎかな?と思いながらも気になったので、その夜それとなく聞いてみました。 「今日何かあった?」 「え~、べつに…」と娘は言葉を濁し、そのあと小さい声で「私も悪かったかもしれんから…」と言うのです。 「どうしたの?」と聞くと、少しずつ話してくれました。 ずっと仲良しだった友達が最近そっけなくなって、グループの中で仲間外れにされている、という内容でした。 私は「そうだったの。それはしんどかったね。よく言ってくれたね」と答えつつ、娘のそうした状況に遭遇したのは、何か神様からのお知らせなのではないかと思いました。 そしてふと、私が子供の頃、娘と同じような経験をした事を思い出したのです。 その時母は、「もし自分の事を悪く言う人がいたら、その人の後ろ姿を拝ませてもらうんよ。あなたの悪いところを払ってくれていると思ってね」と優しく諭してくれました。 私はこの言葉で、とても心が明るくなりました。悪口を言われるのは辛い事だけど、信仰によってこんな風に前向きに捉える事ができるんだ、信仰を常に中心に置いていれば行き詰まることはないんだと、心にチカラをもらえたのです。 その事を思い出した私は、娘にも自分が母から教わったこの話をしました。そして、「きっとその子には、そうせざるを得ないような、心に背負っているしんどい事があるのかもしれないね」と伝え、相手を恨んだり、正したりしない事に決め、二人で約束をしました。娘も自分の気持ちを分かってもらえる存在が近くにいる事で安心し、少しずつ前に進む元気を取り戻したようでした。 こうして母の教えのお蔭で娘も元気になれた事を母に伝えると、母はこんな話をしてくれました。 「お母さんも若い時、陰口を言われたり、いじめられたりした事があってね。すごく辛くて悔しくて、心のやり場がなくて…。それで、父にその辛い気持ちを話したの。そうしたら父はじっと聞いてくれて、『その人はお前の悪いいんねんを取ってくれる人だから、有り難いと思って後ろ姿を拝ませてもらえ。そして、その人が喜ぶ事をさせてもらったらいい』って言ったの。それでハッとして…。そうやって心を治めたらいいんだって思ったら、だんだんその人への恨みの気持ちがなくなって、心が軽くなった事があってね。それで、その父の言葉を忘れずに大切にしてきたんよ」 天理教には「たんのう」という教えがあります。「おさしづ」という神様のお言葉に、 「成らん中たんのう、治められん処から治めるは、真実誠と言う。前生...
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