• 大丈夫=マイペンライ
    2026/07/03
    大丈夫=マイペンライ タイ在住  野口 信也 タイ人のようぼくで、日本語で「大丈夫」という意味のタイ語「マイペンライ」が口癖のTさんという方がおられます。 この方は、若い頃友人に誘われ、日本へ行くことになりました。しかし、いざ出発となった時、その友人は、「もしかすると騙されているかも知れないので、自分は日本へ行くのをやめる」と言い出したそうです。しかし、Tさんは「まあ、だいじょうぶ、何とかなる」と持ち前の性分を発揮し、誘われるがまま日本へやって来ました。 そこは岡山にある天理教の教会で、Tさんはその後、修養科を修了し、その教会でお世話になりながら日本語学校へ通いました。彼は勉強が得意ではなく、教会でのひのきしんも気の向くままという程度でしたが、その教会の会長さんや前会長さんは、そんな彼の気ままな生活を責めることなく、温かく見守り、大切にしてくれたとのこと。その時の恩返しをしたいと、Tさんはタイで天理教を広めることを心に誓いました。 Tさんは26年前にタイへ帰国後、自宅に立派な神床を構えて神様をお祀りし、日を決めて月次祭をつとめ始めました。友人や知人、近所の方、散歩中に知り合った方、子供のクラブの関係者、会社の方など誰にでも声を掛けるので、月次祭には初参拝の方が多く来られます。 また、祭典に間に合わなかった人にも、「大丈夫、今おつとめ終わったから、飲みに来てね」と電話をかけ、奥さんのおいしい手料理を食べながら、みんなで楽しくビールを飲みます。とにかくいつも明るく、誰にでも気さくに優しく声をかけ、人を責めることをしない彼の元には、どんどん人が集まります。 教祖誕生祭がつとめられる4月中旬、タイではタイ正月の長期休暇があります。Tさんはこの時期を利用して団参を組み、おぢばがえりを続けています。最初は少人数でしたが、現在は毎年30名で帰参。これは教会で受け入れることの出来るギリギリの人数で、来年、再来年とも予約でいっぱいだそうです。 帰参する人の中には、「天理教はどんな教えですか?」と尋ねる人もいますが、Tさんは親神様、教祖について少しだけお話をして、「まあ、大丈夫、行ったらわかりますから」といった調子です。教えに興味がある人も、ない人も、「大丈夫」と気軽にどんどん誘います。そして、誰もがおぢばと教会での温かい受け入れに心を打たれ、「また帰りたい」と口にします。 ある年、私が別席のお誓いの通訳をしていた時のことです。そこに、どこかで見覚えのあるタイの方が来ました。よく見ると、なんとタイの税務署の方々でした。タイの公務員の中には少し高飛車な方もいて、私も留学の時の手続きで苦労させられたので、受付の方々の顔を覚えていました。 私は自分の目を疑うほどびっくりして、Tさんにどういう経緯で彼らがおぢばがえりをすることになったのか聞いてみました。 毎年、帰参前の3月末頃から、Tさんが勤める日系の会社でも税申告の手続きが必要なのですが、それがなかなかスムーズに進まないので、Tさんはいつも「早くしてくれないと、日本に行けなくなります」と訴えるのだそうです。すると税務署の方に、「どうして毎年日本に行く必要があるんだ」と聞かれたので、「日本には天理という素晴らしい所があって、そこへ行くことを毎年みんな心待ちにしているんです」と。 すると職員さんが、「そんな所あるはずがない。騙されているんだろう」と言うので、Tさんはいつもの調子で「一度行ってみればわかりますよ」とお誘いし、税務署の窓口の職員さんをまとめてお連れしたとのこと。Tさんの器の大きさに驚かされました。 そんな彼の信仰信念を垣間見た出来事があります。Tさんと一緒に帰参する予定だったある母親と小学生の息子さん。息子さんはもともと腎臓病で少し顔が黒ずんでいました。 出発を前に体調を崩し、お医者さんから「日本行きは中止するように」と言われ、母親は仕方なくTさんに帰参出来ないことを伝えました。するとTさんは、「大丈夫、病気だからこそおぢばへ行くのですよ」と一歩も引きません。果たして、...
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  • 母が大切にしていたもの
    2026/07/10
    母が大切にしていたもの 大阪府在住  山本 達則 ある日、50代後半の男性Aさんが、天理教の教会長をしている私に相談があるということで、訪ねて来られました。 Aさんは、父親が早くに亡くなり、母親と同居していました。そして、その母親もおととし亡くなったのですが、未だ納骨をせず、自宅に遺骨を置いたままになっているのです。 と言うのも、Aさんの両親は天理教の熱心な信者でしたが、Aさん自身は天理教のことはまったく知りません。父親が天理の納骨堂に入っているので、夫婦同じ所に入れてあげたいという思いはありながら、天理教に知り合いがいないので、どうしたものかと思案に暮れている所で、伝手を頼って私を訪ねて下さったのです。 私はさっそく手続きを進め、納骨の日を待ちましたが、Aさんの奥さんと一度もお会い出来ていなかったこともあり、納骨までに一度Aさんの自宅を訪ねることにしました。 母親の遺骨は、和室に丁寧に祀られていました。そして、その横にはA4ぐらいの大きさの紙に筆書きで何かの言葉が記されていました。 それはよく見ると、 「大恩忘れて小恩送るような事ではならんで」(M34.2.4) という神様のお言葉でした。 大恩とは親神様のご守護であり、産み育てて下さる親の慈愛で、日常を生きる根源となる恩。一方で小恩とは、人間同士の日常の暮らしの中での恩。 つまり、人間同士の義理も大切だが、優先すべきは親神様の大恩に報いていく姿勢であり、その心を持ちつつ、小恩にも感謝することが大切であると教えられているのです。 母親は、主人が亡くなってAさんと暮らすことになった時、このお言葉の書かれた紙を、自分の部屋の枕元に大切に掲げていたそうです。Aさんは、その意味は分からずとも、「きっと母が大切にしている言葉なんだな」と思っていたとのこと。私は、自分で理解している範囲で、Aさんにそのお言葉についてお話しさせて頂きました。 天理教では、自分自身の身体をはじめ、家族、日常接する人たち、仕事や学校、生活環境など、自分の心以外はすべてが親神様からの「かりもの」であると教えられます。 朝起きて、準備を済ませ、仕事や家事に動き出す。いつもと変わらず務めを終えて、当たり前のように帰宅し、食事、入浴、就寝。ある意味「何の変哲もない一日」であり、「当たり前の一日」のように思えます。 しかし、本当にそうでしょうか? 朝、必ず目が覚めるという確約は、誰が出来るでしょうか。 食事がとれる元気な身体で、一日をスタートさせる事が出来るのは、当たり前のことでしょうか。 仕事場や学校まで何事もなく行け、いつもと変わらずに家路につけることは、それほど大したことではないのでしょうか。 それらのことを、家族の一人ひとりがやり遂げ、一日を過ごし終えることは、「当たり前」のことなのでしょうか。 人はややもすると、人間同士の義理や人情に対しては恩を感じやすいのですが、「生かされていることの大恩」に対しては、あまりにも当たり前過ぎて、感謝することを忘れてしまう。 そのことに気がつくのは、当たり前が当たり前でなくなった時です。当たり前のように過ごす、そんな感謝につながらない生き方に対して、立ち止まって見つめ直す機会を下さるのが、「当たり前でなくなる」こと。それが、様々な形でお見せ頂く「病気」や「事情」なんです。 天理教では「大恩」、つまりは親神様から頂く大いなるご守護にしっかりと感謝をさせて頂き、その恩に報いる生き方を教えられています。それは自分自身の身体のことだけではなく、家族やその他の人間関係に至るまで、すべてが親神様から与えられているもので、そのことにも感謝を忘れてはいけないと教えられているのです。 私は届かないながら、そのようにお話をさせて頂きました。 Aさんと奥さんは、深くうなずきながら私の話を聞いて下さいました。そして、「今のお話を聞かせて頂いて、母の姿と重ねてすごく納得できました」と、Aさんは言いました。 「母は、いつも子供たちに対して『ありがとう』とお礼を言う人でした。そして、私たちきょうだいにも...
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  • 神が引き受けて居る
    2026/07/17
    神が引き受けて居る 福岡県在住  内山 真太朗 毎年3月、おぢばで開催される、学生生徒修養会大学の部・高校卒業生コース、通称「学修」。私は長年、この学修のスタッフとして携わってきました。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、数年間中止となりましたが、2023年、数年ぶりに開催されることとなり、3月10日から12日にかけて開催される高校卒業生コースのスタッフとしてお声がけを頂きました。 しかし当時、私の妻は4人目の子供を妊娠中で、ちょうど学修期間中と出産予定日が重なり、上3人の小さな子供たちの世話もあることから、今回は学修のスタッフを務めることは難しいだろうと考えていました。 お断りの連絡を入れようとした正にその日、学修を運営する本部学生担当委員会から連絡を頂き、今回の学修ではこのような係をおつとめ頂きたいとの打診がありました。断ろうと思っていた矢先の連絡に驚きましたが、これも神様からのお導きだと考えをあらため、妊娠中の妻と相談をしました。 そして、「人類のふるさと『おぢば』に帰ってくる学生たちを迎える大切な御用だから。自分たちの子供は親神様、教祖が必ず守って下さるよ」と二人で心を定め、学修のスタッフを務めさせて頂くことにしました。 3月7日、学修に出発する日、臨月を迎えていた妻でしたが、まだ出産の兆しはなく、学修が終わる3月12日に入院するという予定を立て、おぢばへと向かいました。 そして迎えた久しぶりの学修。大勢の学生たちが集い、スタッフたちも一緒になって春のおぢばでかけがえのない時間を過ごし、私もその一端を担わせて頂くことが出来ました。 学修も無事終わり、教会への帰路の途中、妻が入院している産婦人科から連絡がありました。「エコーで胎内を見たところ、胎児の首にへその緒が巻きついています。このままだと胎児の命に危険が及ぶので、すぐに処置をして出産に入ります」。 あまりのことに驚き、不安でいっぱいになりました。私は夜遅くに教会へ着くと一目散に神殿へ向かい、お願いづとめをつとめ、病院へと向かいました。素早く処置をして頂いたおかげで、首に巻きついたへその緒は外れ、妻は無事に元気な男の子を出産しました。その後、主治医の先生からこのような説明を受けました。 「今日入院していて本当に良かった。エコーで確認しなければ、処置が遅れて取り返しのつかない事態になっていました」。 そもそも妻を入院させたのは、私が学修のために不在になることがきっかけでした。もし学修のスタッフを断って私が側についていたら、陣痛がくるまでそのままにしていたかも知れません。そこを思い切って学修スタッフを務めたおかげで、胎児の命をつなぐことが出来たのではないか。そう考えると、断ろうと思っていた矢先の一本の電話こそ、神様のお声だったのではないでしょうか。 出産を見届け、医師の説明を受けた後、深夜に病院を出ました。夜空を見上げ、一連の出来事を振り返ると、親神様の深いお導きを感じ、涙が止まりませんでした。 神様のお言葉に、 「先は神が引き受けて居る。案じる事要らん/\」とあります。(M33.12.22) 神様の御用、また神様のお喜び下さることを第一に通っていれば、神様が必ずおたすけくださる。私はあらためて、おぢばの尊さ、神様の御用を務める大切さ、有り難さを実感させて頂きました。 麻と絹と木綿の話 日本発祥のものの中で、便利な道具はたくさんありますが、その中でも風呂敷は最高傑作の一つではないでしょうか。 風呂敷はどんな形の物でも包むことができ、使わない時には小さく折り畳んで持ち歩けます。かけてもいいし、敷いてもいい。まさに自由自在の働きです。西洋式のカバンではこうはいきません。 風呂敷の持つこうした特質は何に由来するのか、それはその開かれた姿によると言えるでしょう。丸いものでも四角いものでも、細長いものでも平たいものでも、何でも内に包み込むその大きな包容力こそ、風呂敷の一番の長所です。 このような包容力は、私たちにとっても大切なものではないか。教祖はある時、着るものに例えてお諭し下...
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  • 街中の小さなふれあい
    2026/06/26
    街中の小さなふれあい フランス在住  長谷川 善久 天理教の教えによると、この世界の始まりは「人間が互いにたすけ合い、陽気に暮らす姿を見て共に楽しみたい」という親神様の願いにあるとされています。 残念ながら、これまでの人類の歴史では、戦争、紛争、憎しみ合いが無くなったことはありません。一方で、個人生活のレベルで見れば、神様の願いに叶うような経験、一度きりの偶然の出会いで心を通わせたり、ほんわかした優しさを感じたり、小さな幸せを味わうような経験は誰にでもあるのではないでしょうか。 人に接する際に大切なこととしてまず浮かぶのは、心のこもった挨拶やお礼の言葉です。「おはよう」「こんにちは」「ありがとうございます」といった明るい声は魔法の言葉で、この言葉一つでその場の空気は変わります。 この教えでは、挨拶のみならず、人に掛けるすべての言葉「声」は、畑にまく肥料に語呂を合わせ、人生を肥やす「肥」になり得ると教えて頂きます。 学生の頃、天理教に批判的だった未信者の友人から、思いがけずこんなことを言われました。 「先日夜遅くK君に誘われて、あまり気は進まなかったけど本部の神殿に一緒に行ったんだよ。正直退屈だったけど、気持ち良かったことが一つあったわ。神殿に上がる時に、靴べらを持った見知らぬ人に声を掛けてもらってさ、『こんばんは、ご苦労様です』って。俺みたいな奴にも声を掛けてくれて、なんだか嬉しかったよ」 私が住むフランスでは、日常生活の中での、「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」などの挨拶が何よりも大事です。例えば日本でコンビニに入った時に、カウンターにいるアルバイトの店員に挨拶をする人はほとんどいないでしょう。しかし、フランスではお店に入る時には必ず「こんにちは」と挨拶し、出る時には「さようなら」と言います。 これは単なる個人間の礼節に由来するものではなく、フランスでは文化的要因を含む常識となっています。 フランスでは、個々の存在を大変重要視しますが、それを起因として「こんにちは」には三つの意味づけが見られるそうです。 まず、そこにいるのはお店の人だという承認。次に、その人は職業従事者である前に一人の人間であるという配慮。そして、この配慮の上に、お互いの立ち場の違いを超えた平等性を構築することが出来るのです。 もし、あなたが黙ってお店に入ってしまえば、店員はあなたから「人として存在しない者」、あるいは単なる「道具」モノであると見なされたと思い、侮辱されたと感じてしまうのです。 実際、私も来仏当初は、このようなフランスの文化を知らずに数々の失敗をしました。 あるレストランでは、注文してから料理が出てくるのがあまりに遅いので、日本にいる調子で少し強めの声で店員さんを呼ぶと、「分かってるから、いちいち呼ぶな!」と、かえってより大きな声で怒鳴られたこともありました。 また、高速道路の料金所では、すぐにお金を受け取ってもらえず、窓口の人は私に「ボンジュール」と繰り返すばかり。訳が分からず困惑していると、「ハッ」と気づきました。答えは「あいさつ」。お金を渡す前に、私に対してキチンと挨拶をせよ、ということだったのです。おかげで今では、街中で道を尋ねる時でも、いきなり要件から入らずに、相手の目を見て「こんにちは」とひと言挨拶をする所から会話に入れるようになりました。 このような、日常生活のどんな場面であっても、人を決して道具のように扱わないフランスの生活ぶりが私は気に入っています。 お客さんに対する店員の対応で、こんなこともありました。私たちが食事をとっている隣のテーブルに、落ち着いた感じの中年のフランス人の男女カップルがいました。男性のほうは、席に座るやずっと一人で携帯を見ています。30代ぐらいの女性店員さんが注文を取り終えた後も、ずっと携帯を見たままでした。向かいに座るフランス人女性は、黙ってつまらなさそうな様子です。 そこに料理を運んできた先ほどの店員さんが、男性に向かっておもむろにこう言いました。 「あなた、何...
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  • 生きていることがキセキ
    2026/06/19
    生きていることがキセキ 岡山県在住  山﨑 石根 昨年の9月末頃のことです。当時、中学一年生だった三男が、妻に深刻そうに相談してきました。 「僕、乳がんかも知れん。多分、ステージ1…」 突然の告白に、妻は心配よりも驚きのほうが大きかったようでしたが、聞くと一か月前ぐらいからずっと左胸にしこりがあるとのことでした。それは、妻が触れても分かるぐらいのしこりでしたが、本人は自分でインターネットで検索し、症状と照らし合わせながら、そう思ったようでした。 何でも気軽に調べることが出来る世の中になったとは言え、子どもが自分で病気を調べ、その小さな胸でそれを何日も抱えていたことを思った時、私たち夫婦は胸が締め付けられる思いがしました。 とは言え、これまで大小問わず親に相談することが不得意だった彼が、こうしてSOSを届けてくれたことに、どこかホッとした一面も私たちにはありました。 近くの病院の小児科を調べると、ちょうど大きな病院から専門医が来られる曜日があったので、すぐに受診しました。お医者さんからは、「おそらく第二次性徴の関係でしょうが、まれに悪い病気があるので、きちんと血液検査をしましょう」と提案されました。 また、母子手帳に加え、小・中学校での身長と体重のデータを提出するよう指示を受けたので、学校で用意してもらうと、保健室の先生が「本人、打ち明けるまでは本当に辛かったでしょうね」と、とても心配して下さいました。 4日後の10月1日、いよいよ検査の日です。実は、この日まで三男には、病気と同じぐらい心配なことがありました。それは、大の苦手である注射です。待合室でソワソワする彼は、「なあ、鼻血で検査したらダメなん?」と妻に尋ね、「鼻血ってどうやったら出るんやろう」と必死に考えていたようです。 さあ、処置室に入ってからも大変でした。「いや、ちょっと待って」と言いながら、なかなか看護師さんに採血をさせないのです。注射をしようと二人がかりで押さえても動いてしまい、もう一人来てもダメ。4、5人で押さえても、中学生の強い力で抵抗してしまうので、危険だと判断されました。 そこで、「ベッドで落ち着くまで待とう」となり、妻のスマホで思い出の家族動画などを見ながらリラックスしようとしますが、入れ替わり立ち替わり看護師さんが様子を見に来るので、どうしても心の準備が出来ません。 最終的には、本人には寝ながら動画に集中してもらい、妻が押さえながら何とか採血することが出来たようですが、翌週、妻が検査結果を聞くために通院すると、「なんか大変だったみたいですね」と主治医に言われるほど、病院内で噂になっていて、彼は有名人になっていました。 肝心の結果は、ひとまず大丈夫とのこと。しこりが大きくなっていないか、痛みが出ていないかを三か月後に経過観察をしたいと言われ、幾つかの症状をあげながら、それらが窺われたら診察に来るよう指示があったので、手放しでは喜べませんが、親としてようやくホッと出来たのです。 年が明け、今年の一月に再度受診をしました。その日、彼は朝からソワソワのドキドキでした。今回もまた、あの注射があると思ったからです。ところが、今回は問診と触診だけで、彼も「やれやれ」と胸をなでおろし、しかも問題の症状もなかったので、そのまま元気に登校することが出来ました。 こうして結果的に何もなかったからこそ、採血の時のドタバタ劇を笑い話に出来るのですが、渦中にいる時は生きた心地がしませんでした。というのも、子どもに大きな病気を見せられる度に、私は今は亡き祖父のことを思い出すからです。 教会の三代会長である祖父は、16歳の娘を突然の心不全で失っています。この時の心情を、祖父は天理教の月刊誌に執筆しており、「肉親の情として、十六才の若さで花のつぼみを散らせたいとしさ、かわいさがたまらなく、共に過ごした日々の思い出に、押さえきれぬ悲しみがあふれて、何のかんばせあって私の信仰が語れようと、まったく地に沈む思いに苦しみました」と語っています。 しかし、祖父はその出来事...
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  • 心定めが第一
    2026/06/12
    心定めが第一 埼玉県在住  関根 健一 待ちに待った教祖140年祭。その日を間近に控え、我が家もそれぞれ予定を調整し、家族揃って1月25日におぢばがえりをすることになりました。 車いすの長女も連れて新幹線で移動するため、荷物は前もって宅配便で発送を済ませ、あとは妻と一緒に教祖へのお土産を買いに行くだけ━そんな出発前日の夜のことでした。 近くの大型商業施設が夜9時まで営業しているので、午後7時から出勤する次女を職場へ送りながら出かけようという段取りになりました。夕づとめをつとめ、夕食を終えた私は一旦自室へ上がり、おぢば滞在中に片付ける仕事の資料を整理していました。 そろそろ時間かと思った頃、階下から私を呼ぶ次女の声がします。「はーい、今行くよ」と返事をし、パソコンを閉じて上着を手に階段を降りようとすると、次女が途中まで上がってきていました。そして私の顔を見るなり、「お母さんが心臓の辺りが痛いというので、病院に連れて行って欲しい」と、神妙な面持ちで告げたのです。 慌てて一階に降りると、胸を押さえて横になる妻の姿がありました。これまでも腰痛などでうずくまることはありましたが、明らかに様子が違います。ただならぬ気配を感じ、「救急車を呼ぼうか」と声をかけました。すると妻は苦しそうにしながらも、「救急病院に電話して」と指示を出しました。 すぐに連絡し症状を伝えると、「その症状は当院では専門外になる可能性があります。救急車を呼ぶか、総合病院へ連絡して下さい」との返答でした。 電話を切り、妻と相談の上119番へ連絡。事情を説明すると、「救急車を向かわせました」と言って頂き、少し安堵しました。その後も詳しい症状を聞かれ、最後に「サイレンが聞こえたら外へ出て誘導して下さい」と指示を受けました。 我が家から数百メートルの場所に消防署があるため、そこから来るものと勝手に思い込み、次女に妻を任せて私はすぐ外へ出ました。外へ出てから、「次女におさづけの取り次ぎをお願いすればよかった」と気づきましたが、あとで戻ってからでもいいかと思い、そのまま到着を待つことにしました。 坂の上から消防署の灯りは見えるものの、動く気配がありません。しばらくすると、向かっている救急隊員から私の携帯に電話が入りました。 改めて本人の状態を確認したいとのことでしたが、私が外で待っていると伝えると、「到着まで10分以上かかります。患者さんのそばにいてください」と言われ、そのとき初めて最寄りの消防署からの出動ではないと気づきました。落ち着いているつもりでも、どこか動揺していたのかもしれません。 家に戻ると、次女が「お母さんにおさづけを取り次がせて頂きました」と報告してくれました。その言葉は父親への説明というより、所属の教会長への報告のように響きます。促さなくとも自らおさづけを取り次いでくれた次女の姿が、実に頼もしく感じられました。 やがて救急車が到着。その頃には激痛は和らいでいたものの、波のように痛みが戻る様子です。妻をストレッチャーに乗せ、私と次女も車内へ。既往歴や服薬状況の確認が続き、搬送先が決まると、妻には次女に付き添ってもらい、私は自分の車で病院へ行くことにしました。 帰宅時間が読めないので、長女の介助を看護師の友人にお願いし、入れ替わりで病院へ。すると処置室の前で次女が待っていました。検査と処置にまだ時間がかかるとのことで、「このまま入院になるのか。果たして年祭に参拝できるのか」と、不安が押し寄せてきました。 すると、次女がポツリと「直前までいろいろ起こるね。これが年祭なんだね」と。そのひと言にハッとさせられました。目の前の出来事にうろたえて、これもまた親神様、教祖の思召しだと受け止められていないことに気づきました。 無心で祈る思いで待つこと一時間。看護師さんに呼ばれ、妻のもとへ向かいます。ベッドに横たわる妻は落ち着きを取り戻し、「もう大丈夫」と言えるほど回復していました。 検査結果では急を要する所見もなく、本日は帰宅可能とのドクターの説明を受け、一同胸...
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  • 親身の親
    2026/06/05
    親身の親 千葉県在住  中臺 眞治 我が家には、8歳と6歳の娘がいます。今はまだ幼く「お父さん、見て見て」と声をかけてくれたり、「お父さん、一緒にあそぼう」と手を引っ張って誘ってくれたりします。そんな時間を私はとても幸せに感じています。 けれども、子供は成長します。だんだんと家族以外の世界が広がり、親と過ごす時間は減っていくのでしょう。親にとって、子供の成長は嬉しくもあり、どこか寂しくもあるものだと感じています。 私は以前、子供とあまり遊んでいませんでした。そのことを反省した出来事があります。 娘の通う幼稚園の行事に参加した時の話です。そこで園長先生が、保護者に向けてこんなお話をして下さいました。 「今のうちに、しっかり子供と遊んでおかないと、将来困った時に相談してもらえなくなりますよ。一緒に遊びながら、喜んだり悲しんだりする。その積み重ねが、〝親は自分のことを分かってくれている〟という安心につながるのです」。 その言葉を聞いた時、私はドキッとしました。我が家の娘たちはとても仲が良く、放っておいても二人で楽しく遊んでいます。妻も子供と遊ぶのが上手で、三人で出かけることもしばしばあります。 それに比べて私は、「仕事があるから」「疲れているから」と理由をつけて、あまり一緒に遊んでいませんでした。「このままだと将来、私だけ相談してもらえない父親になるかもしれない」そんな思いが胸をよぎりました。 それ以来、妻と子供たちが「三人で遊んでくるね~」と言う度に、園長先生の言葉を思い出し、「ちょっと待って、俺も行く~」と後を追いかけるようになりました。 公園で遊んだり、お昼ご飯を食べに行ったり。特別なことではありませんが、その時間が今では、私にとってかけがえのない温かい時間になっています。正直に言えば、今さらあわてて関わり始めた私が、将来どこまで頼ってもらえるかは分かりません。それでも、この時間の積み重ねを大切にしたいと思っています。 子供が将来、誰に相談するのかを考えた時、私はふと、あることを思いました。 私は最近、疑問に思ったことを対話型AIに相談することがあります。膨大な情報の中から、自分では決して思いつかない答えを示してくれる、頼りになる有り難い存在です。しかし、どれほど優れた答えを示してくれても、私と共に悩み、共に喜び、幸せを祈り続けてくれる存在ではありません。 これから先、子供たちも少なからずAIに相談しながら生きていく時代になるでしょう。その時AIは、正しい答えを示してくれるかもしれません。ですが、我が子の幸せを心から願い続ける存在にはなれません。その役目は、やはり親にしか出来ないのではないかと思うのです。 私たちの元の親、実の親である親神様について、『天理教教典』には以下のように記されています。 「親神は、ただに、神と尊び月日と仰ぐばかりでなく、喜びも悲しみもそのままに打ち明け、すがることの出来る親身の親である」 神様には嬉しいことも、悲しいことも、どんなこともそのまま安心して打ち明けることが出来ます。なぜなら、例えこちらが何かが出来ていても、何も出来ていなくても、神様の子供可愛い一条の親心は揺らぐことがないと信じられるからです。 誰もが長い人生の中では、生きる意味や、自分の存在価値を見失うことがあるかもしれません。だからこそ、子供たちには、いつでも、いつまでも揺らぐことのない神様の親心を感じながら、生き抜いていってほしいと願っています。 そのためにもまずは私自身が、どんな時も神様に喜びも悲しみも打ち明け、感謝しながら歩む姿を、子供たちに見せていきたいと思っています。 心に吹く風「思いは誰かに届く」 私は天理教の教会長ですが、それ以外にもいろんな活動に関わっています。宗教家としての熊本刑務所教誨師、行政では主任児童委員、そして学校ではコミュニティー・ティーチャーという立場を頂いて、たびたび小学校の英語の授業にアシスタントとして入っています。 あれは六年前のことでした。私の受け持っていた小学校六年生のクラスで...
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  • 私、ひのきしんがしたい!
    2026/05/22
    「私、ひのきしんがしたい!」 兵庫県在住  旭 和世 ある日の夕方のことです。教会につながる中学生のTちゃんから、私の携帯に着信がありました。 電話に出ると、Tちゃんはいつもと違う元気のない様子で「いま、塾に向かって途中まで来たんやけど、どうしても行けない。でもうちにも帰りづらい…」と、最後は涙声でした。 驚いた私は、そのまま彼女を迎えに行き、教会に連れて帰ることにしました。冬休み直前の出来事でした。 Tちゃんはそれまでの数か月、学校に行けない日が続いていました。いわゆる、不登校のような状況です。 さかのぼること5年ほど前、友人の娘さんが、突然学校に行けなくなった事がありました。その後、状況はどんどん進み、学校どころか部屋からも出られなくなってしまったのです。 けれど信仰熱心な友人夫婦の事、これはきっと神様が友人家族にお与え下さった節なんだ。いつかこの節が生き節になって、この日があったからこそと思える日が来ますように…と、毎日お願いしていました。 その後、しばらくは大変な状況が続きましたが、不思議なご守護を頂いて娘さんの心は少しずつ回復していき、現在はとても元気に成長されています。 友人はこの大変な経験から、「同じように辛い思いをしている人たちの手だすけがしたい」と、子供の不登校や心理学について勉強し、「不登校対応講座」の講師の資格を取得したと連絡をくれました。 彼女によると、不登校は決して怠けている訳でも、サボっている訳でもなく、なんらかのストレスによって心の傷が深まった時、本能的に心を守ろうとする自己防衛のようなものだということ。なので、なぜ学校に行けないのか、本人にもその理由が分からないというケースも少なくないそうです。そして、そんな状況の子供たちへの対応を学ぶことで、子供も親も不安が減り、早期回復を促すことが出来ると教えてくれました。 私にとっては、目からウロコなことばかり!これは不登校のお子さんがいる方はもちろん、そうでない方にも聞いてもらい、不登校の子供たちへの理解を深める事が重要だと思いました。 そこで、是非その「不登校対応講座」の話を、うちの教会で開いている「こども食堂」でしてもらえないかとお願いすると、友人は二つ返事で引き受けてくれました。 当日は、実際に不登校のお子さんを抱えているご家族や、こども食堂にボランティアに来て下さっている方など、色々な立場の方が参加して下さり、私も一緒に学んだ事で不登校への認識がまったく変わりました。 先が見えない事ほど不安な事はないと思いますが、お子さんが不登校になると、本人はもちろん、親御さんも「この先どうなってしまうのか、いつになったら復帰できるのか?」と焦って、お先真っ暗の状態になってしまう。さらに、その親御さんの不安げな顔を見て、お子さんも二重の苦しみを受けていく…という悪循環が生まれてしまうと思うのです。 しかし、不登校にはある程度段階があって、その段階を知り、親御さんや周りの人が適切な対応をする事で、子供たちの心は回復に向かうという事でした。 その講座の後、ほどなくして、Tちゃんのお母さんから、Tちゃんが最近学校に行きづらくなっていると聞きました。私はすぐに、講座で教えてもらった話をお母さんに伝え、まずは本人の思いを尊重しましょうと話しました。その後、Tちゃんは体調を崩し、寝込んでしまう日が続きました。 私は、とにかくおさづけを取り次がせて頂こうと、Tちゃんの家に行きました。いつも教会に来る時の明るい表情とはまったく違う、元気のないTちゃんの顔にびっくりしながらも、おさづけを取り次がせてもらいました。 お取り次ぎの後、「学校で何か嫌な事とか行けない理由があるの?」と聞くと、「ううん。学校には行きたいねん、でも何でか分からんけど無理やねん…」と。 その言葉を聞いて、ハッとしました。これは自己防衛をしているのだと。そこで私は、「Tちゃんは真面目だから学校いかなアカンって思ってるけど、心が疲れているから元気出ないんよ。今は体がTちゃんの心を守...
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