• yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

著者: TOKYO FM
  • サマリー

  • 風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。
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あらすじ・解説

風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。
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エピソード
  • 第497話『褒められたいと願う』-【軽井沢にゆかりのある作家篇】芥川龍之介-
    2025/03/08
    「軽井沢 つるや旅館」で、病める心を癒した作家がいます。
    芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)。
    大正時代を代表する文豪です。
    わずか35年の生涯で、『羅生門』『杜子春』『蜘蛛の糸』など、いまなお読み継がれる名作を世に送り出しました。
    その作品は、海外にも多数紹介され、幻想小説家のボルヘスは、スペイン語に翻訳された『河童』を読み、これこそ文学世界の新しい空間を切り開いた傑作! ノーベル文学賞に値すると、大絶賛しました。

    芥川が、信州・軽井沢を訪れたのは、たったの2回だけ。
    亡くなる数年前の、夏のことでした。
    当時、軽井沢は、文豪たちが執筆のため、夏の暑さを逃れる、格好の別荘地。
    芥川も、3つ年上の親友、室生犀星(むろう・さいせい)の勧めに応じて、この避暑地にやってきたのです。
    ただ、彼が軽井沢を訪れたとき、心のコンディションは、決してよくありませんでした。

    24歳のとき、『鼻』という短編小説で、夏目漱石から多大な評価を受け、颯爽と文壇デビューを果たした芥川は、絶えず、己の才能の枯渇を恐れていました。
    さらに彼を追い詰めたのが、日本文壇に台頭してきた、プロレタリア文学。
    1923年の関東大震災など、大きな災害や広がる貧富の差が、その流れを後押ししました。
    反体制側から、芥川や夏目漱石の文学は、ブルジョワジー、世の中を高みから見物する余裕派、高踏派と、揶揄されたのです。
    非難の最たるものは、芥川の作品を「芸術のための芸術」と決めつけたもの。
    でも、芥川ほど、日常の何気ない機微や、知人友人たちとの素朴なふれあいを愛した作家は、いなかったのです。
    周囲の評判と自分の思いの齟齬に疲れた彼は、心身を病み、逃げるように軽井沢の地を踏んだのです。
    軽井沢の優しく清らかな風は、彼に何を教えてくれたのでしょうか。
    短編小説の神様として世界にその名をとどろかす、日本文壇のレジェンド、芥川龍之介が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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    12 分
  • 第496話『自分を冷たく突き放す』-【軽井沢にゆかりのある作家篇】池波正太郎-
    2025/03/01
    軽井沢、「万平ホテル」を愛した、時代小説家のレジェンドがいます。
    池波正太郎(いけなみ・しょうたろう)。
    戦後の日本を代表する、時代小説、歴史小説の書き手であるだけでなく、味わい深く示唆に富んだエッセイでも有名です。
    三大シリーズと呼ばれる、『剣客商売』『鬼平犯科帳』、そして『仕掛人・藤枝梅安』は、今も多くのファンに読み継がれ、何度も映像化されています。

    池波が初めて軽井沢を訪れたのは、彼がまだ10代の頃でした。
    小学校を出ると、家計を助けるため、すぐに仕事につき、13歳のときには、株式仲買店で働きながら、小説を書いていた池波。
    友人と二人で行った夏の軽井沢は、ある意味、後の作家人生の伏線になるような、思い出深い旅になりました。
    南アルプスで遊び、八ヶ岳山麓をめぐり、星野温泉に宿泊。
    当時の軽井沢は、街並みに、江戸の宿場町の風情を残していました。
    晩夏の街道に人影はなく、いかにも長脇差を腰に、さんど笠を被った「沓掛時次郎(くつかけ・ときじろう)」が歩いてくるようだったと、エッセイ『よい匂いのする一夜』に書いています。
    『沓掛時次郎』とは、「股旅物」を世に広めた大家、長谷川伸(はせがわ・しん)の大人気戯曲。
    そのときの池波は、のちに、自分が長谷川伸に弟子入りするとは、思いもしなかったことでしょう。
    さらに、沓掛とは、江戸から数えて19番目の宿場で、そこは、現在の中軽井沢に位置します。
    軽井沢は、池波の作家人生を支える、大切な場所になりました。
    別荘を持たなかった池波ですが、特に軽井沢の「万平ホテル」は、彼にとって大きな存在でした。
    10代で初めて「万平ホテル」に泊まったとき、年齢を偽って21歳としても、ホテルのひとは問いただすことはありません。
    一人前の大人として扱ってもらったこと。
    そのときの喜びと身が引き締まるような思いを、生涯、忘れませんでした。

    池波は、師匠、長谷川伸に、いくつかの言葉をもらいますが、特に忘れられないものに、この言葉をあげています。
    「絶えず自分を冷たく突き放して見つめることを忘れるな」
    人情やユーモアを大切にして、常に弱い者の視点を貫いた池波の、根幹。
    そこには、冷静に、己の生き様を見つめる眼がありました。
    67年の生涯を「書くこと」に捧げた文豪・池波正太郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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    12 分
  • 第495話『逆境に負けない』-【福岡県にゆかりのあるレジェンド篇】作曲家 古賀政男-
    2025/02/22
    福岡県に生まれた、昭和を代表する作曲家・ギタリストがいます。
    古賀政男(こが・まさお)。
    作曲した楽曲は、5000曲とも言われ、『酒は涙か溜息か』『丘を越えて』『影を慕いて』や『東京ラプソディ』など、独特の曲調、旋律はリスペクトを込めて、『古賀メロディ』と呼ばれています。
    古賀は、昭和13年から東京、代々木上原に移り住み、その地を音楽村にしようという構想を持っていました。
    現在、その遺志は「古賀政男音楽博物館」として結実。
    大衆音楽の伝統を守り続けています。
    この博物館にはホールもあり、古賀の自宅から一部移築した書斎や日本間が展示されている他、1000曲にも及ぶ彼の楽曲を視聴できるコーナーもあります。
    作曲家として大成功を収めた古賀ですが、実は、その人生は苦難の連続でした。
    幼い頃、父を亡くし、故郷を追われて朝鮮に渡ったこと。
    貧しさや強い喪失感は、後に発表した楽曲に影響を与えています。
    さらに、有名になってからも苦労は絶えませんでした。
    特に古賀を苦しめたのは、誹謗中傷。
    日本図書センター刊『古賀政男 歌はわが友わが心』には、そのときの思いが綴られています。

    …心ない批評にたいして、血の気の多い頃の私は、ほんとうに腹がたった。
    作品がヒットしても、「なに、あれはマスコミの力さ」と、こともなげに言い放つ人々もいた。
    しかし、私は一言も反論や弁解をせずにじっと耐えてきた。

    古賀がイチバンに信じたのは、彼が作曲した曲を口ずさんでくれる一般大衆でした。
    毎日、汗水たらして働き、嫌な思い、辛い思いをかみしめ、ささやかな幸せを大切にして生きているひとたちに、届く歌。
    彼は、歌の力を信じていたのです。
    常に聴くひとの心に寄り添い続けたレジェンド・古賀政男が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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    11 分

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